[結論を急いで編集から:音楽は国籍と関わりない。音楽には国境がない。音楽の評価は、その歌、その曲が好きか嫌いかで決めればよい。(下のアルバムはビング・クロスビー:彼はアイルランド系アメリカ人。下のアルバムをクリックするとYouTubeでクロスビーの『ホワイト・クリスマス』が視聴できます。)]
10年ほど前のこと、カリフォルニアである優れた交響楽団と共に、週末クリスマス・コンサートの指揮を引き受けて演奏した。初日は伝統的なホリデー向けの曲目で好調に始まり、私は誰からも喜んでもらえたと思っていた。だが私の甘い選曲は、アイス・キャンディのように(溶け易く脆い)問題があったようだ。
二日目の夜、私がステージへ上がる直前、オーケストラ委員の代表が落ち着かぬ様子で楽屋に現われ、私の「選曲がユダヤに傾き過ぎている」という批判があると告げにきた。やれやれ、演奏間際に主催者の立場にありながら悪い冗談を言う人だ、と私は彼の真意を図りかねていた。だが嫌な役回りに立たされていたその委員から、批判が聴衆の一部から出たものだと聞かされて信じられず、私の笑顔がこわばってきた。
前夜の演奏会で私は「一般に親しまれているクリスマスの曲目の殆どがユダヤ系の作曲家によって創られたものです。その反面、非ユダヤ人の音楽家がハヌカー(12月に行われるユダヤ人の祭り:Hanukkah)の歌を作曲しています」と、演奏の合間に説明を加えた。それに対して観客が喝采してくれていたから、批判は委員会の中から出たのに違いあるまいと思った。
言いにくい伝言をもたらしてきたその委員に、私が「今晩の演奏曲目は、昨晩よりさらにユダヤ的ですよ」と宣告した途端、出番の声がかかって救われた。私は間一髪で舞台に上がり「今晩はクリスマス気分を充分に味わって頂きましょう」とムカつく腹の虫を抑えて何とか笑顔をとりつくろって観客に挨拶した。ジェリー・ハーマン(Jerry Herman)作の古いクリスマス曲の演奏が進むにつれて、私の気持ちもメロディに溶け込み次第に穏やかに収まっていった。
クリスマス自体、その都度生まれた音楽に影響されながら歴史的に進化してきた。この祝祭日が確立されるにつれ、その音楽も宗教的にも精神的にも親しみ易い『赤鼻のとなかい(Rudolph)』とか『ソリの鈴とサンタ(sleigh bells and Santa)』などを主題とし、定着してきた。多くのキリスト教徒が、本質的なクリスマス精神が失われたと苦々しく思うのは理解できないことはない。宗教的な伝統が、商業的目的に利用され、更に信仰に対する本当の祝祭日としての意義をそっちのけにされている現実には我慢ができないことであろうと察する。
だが、こうした侵害を嘆く人々には、そうしたお祭り騒ぎ的な現象が、ある意味ではホリデー精神を違った形で世界中に浸透させるのに役立ってきたことも容認してもらいたいと思う。私たちは多くの異文化が共存する時代に生きているのだから、それぞれ違った伝統が混じり合うことは避けられない。それ故に、わがユダヤ系アメリカ人が、過去一世紀に及ぶ間に、ハヌカー音楽よりも多くのクリスマス音楽を創作したのではなかろうか。
今日多くの人々に親しまれているクリスマス音楽の数々を振り返ってみると、ユダヤ系アメリカ人によって作曲されたものが圧倒的に多くを占めている。アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)の『ホワイト・クリスマス(White Christmas)』、メル・トーメ(Mel Tormé:右の写真)のクリスマス・ソング(The Christmas Song)』、『雪よ降れ、降れ、、、(Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!)』、『クリスマスに帰郷(I’ll Be Home for Christmas)』、『シルヴァ・ベルズ(Silver Bells)』、『赤ん坊サンタ(Santa Baby)』、『赤鼻のトナカイ、ルドルフ(Rudolph the Red-Nosed Reindeer)』、『ウインター・ワンダーランド(Winter Wonderland)』などなど枚挙にいとまがない。殆どがミュージカル舞台や映画のためではなく、ニューヨークの片隅、多くの音楽家が住んでいたティン・パン横町(Tin Pan Alley)から生まれたものである。例外として『ホワイト・クリスマス』は映画『ホリデー・イン(Holiday Inn)』の主題歌として、『シルヴァー・ベル』は映画『レモン・ドロップ・キッド(The Lemon Drop Kid)』で紹介された。
以上のリストには、著名なユダヤ系アメリカ人作曲家の名が見当たらない。何故か?ティン・パン横町の作曲家たちと違って、彼らは契約している出版社の企画に従い、舞台とか映画の観客に合わせた明確な注文に応じて創作していた。ジェローム・カーン(Jerome Kern)、ガーシュイン兄弟(Gershwins:右の写真はジョージ・ガーシュイン)、リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)、ハロルド・アーレン(Harold Arlen)等がそうだ。脚本にクリスマスの状景が挿入されていない限り、彼らは、注文作品の制作に追われ、クリスマス曲を創る暇も必要もなかったのだ。(左の3人は:左から、ロジャース、バーリン、ハマースタイン)稀に1950年代、ロジャース/ハマースタイン(Rodgers and Hammerstein)の二人が映画『ハッピー、クリスマス(Happy Christmas, Little Friend)』のために作詞作曲し、ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney:左の写真:クルーニーはイギリス系とドイツ系半々の非ユダヤ系)が歌ったが、結果は惨憺たるもので、30年経ってクルーニーにその歌を唱ってもらおうとしたが、まるで憶えていない、という頼りない曲だった。
私のクリスマス季節の出演では、いつも新鮮味を出したいと考えて新曲を紹介してきたが、それに当って作曲者の宗教的な信仰心を考慮したことはない。それでいて私はいつも曲と並行して沸き上がる意外な感傷を発見して驚かされる。それは心理学者フロイドに分析してもらうまでもなく、甘菓子、ヒイラギ、宿り木、などのイメージが自分の感覚を安らかにし、憧れの何か、安心感と平和、その他無意識な渇望が胸中を横切っていく。そんな渇望は陳腐だと思うだろうが、それが私の本心なのだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、その他諸々のいずれかを信仰する人間としての各人、お互いの相違点より共通点の方が多いのではなかろうか。それこそお祝いするに値いする真実なのだ。
1 件のコメント:
全く同感です。
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