黒崎 次郎(くろさき じろう)
オハイオ州トレド市
オハイオ州トレド市
日本の新聞に、今年2009年の世相を反映する漢字として『新』が選ばれたと発表されていた。京都市の日本漢字能力検定協会が、郵便やインターネットで募集し、昨年を約5万票も上回る過去最多の161,365票が集まった。『新』は、鳩山新政権の誕生や米オバマ新大統領就任、新型インフルエンザの猛威、イチローの新記録、などから連想した人が多く、14,093票(8.73%)を獲得して入賞。2位は芸能界などの薬物汚染とか、インフルエンザのワクチンにちなんで『薬』(10,184票)、3位は政権交代を象徴する『政』(5,356票)だった。(右の写真:12月11日、京都の清水寺で今年の漢字『新』を揮毫する清水寺の森清範(もり せいはん)貫主;毎日新聞西村浩一撮影)
私にとって、日本語は自身を形成する誇りある文化の重要な一部である。その気構えをもって、日本に興味をもつアメリカ人に日本語を教えている。従って、私は毎年上記の行事の成り行きを特別な関心を抱いて見守ってきた。日本語が乱れていると言われている一方で、こうした漢字への関心が高まっているという傾向は喜ばしいことだと思うが、正直なところ釈然としないものがあり、諸手を挙げて賛成できない理由が幾つかある。
一字の漢字が持つ意味
私が生徒に日本語を教える時、会話と並行して『仮名と漢字』の読み書きも教えている。『平仮名と片仮名』を先ず修得させてから『漢字』に入る。通常ここで生徒たちは4,300字という漢字の数に戸惑う。そこで私は「漢字は単なる文字ではなくそれぞれが意味を持っている。17万語ある英語のことを思えば驚くことはない」と言って安心させた後で「日本の言葉、即ち熟語(じゅくご)は多くの例外を除いて、おおむね二つの漢字の組み合わせで成り立っている」と付け加えることを忘れない。
例えば『平』の意味は「たいら」「なみの」「ひとしい」「さだまる」「つね」「ひら」など、そして『和』は「やわらぐ」「やわらか」「ととのう」「たいらぐ」「おだやか」「かなう」「やまと」といずれも漠然としているが、『平和』と熟語になれば意味は明確に限定される。 今年の『新』も「あらた」「あらためる」「したしむ」など、一字だけでは漠然としている。或は協会が意図的に漠然とさせているのかも知れない。
日本漢字能力検定協会の権威は?
私は戦前から戦後にかけての動乱時代に教育を受けた。戦後、旧漢字を単純化する意図をもって文部省(だと思う)によって『当用漢字』なる制度が適用され、折角修得した漢字の多くを放棄させられた。最大の被害は『木偏』が付く樹木の名、『魚偏』が付く魚の名、そして『金偏』の漢字の多くが追放され『かな書き』にすることになった。懸命になって覚えた漢字と別れを告げた苦々しい記憶がある。
私の息子が生まれ、区役所へ届けに行った時、窓口の役人が『当用漢字表』なる小冊子を放り出し「これに含まれていない漢字の名前は受け付けられないから、調べてから出直して」くるよう言い渡された。不幸にして、女房と『姓名判断』までして考えついた息子の素晴らしい名前の漢字は掲載されていなかったので、白紙から考え直さざるを得ない羽目になった。
その数年後、当局は「杉」とか「松」のように人名によく使われている漢字を慌てて追放解除にし『人名当用漢字表』を追加した。 そのような制度の目を潜ってか、執行猶予になっていたのか、愛知県刈谷市には、錠弌、銓子、錫弘、鎬治、 鉞春、鉦、など、読めないような『金偏』漢字の名前の人が続々と存在する。
かかる権威に振り回された国語教育を受けてきた私は『日本漢字能力検定協会』などという厳めしい名前を聞いただけで恐怖に近いアレルギーが起こってくる。何やら日本国民の漢字能力が監視され、漢字の使用法まで規制される制度が復活するのではないか、と心痛に堪えない。
絶対多数の意見が正しいとは限らない
協会は『新』の採用に当たって投票制度をとったそうだ。誠に民主主義を地でいった形ではあるが、多数決が常に正しいとは限らない。ガリレオが「世界は球体である」と発表したが大多数に反対されて苦境に立たされた。多数が間違っていた良い(悪い)例である。『新』を選んだ人が14,093名いて1位となったそうだが、全投票の一割にも満たない8.73%であったことに首を傾げたくなる。
清水(きよみず)の舞台から
名刹清水寺(きよみずでら)の貫主が金ピカな朱の袈裟(けさ)をまとい、巨大な筆で墨痕鮮やかに『新』を書き上げる状景は、さぞ劇的な儀式であったろうと想像できる。お祭り結構、儀式も結構、敢えて反対は唱えない。しかし、である。その光景から私は戦時中に政府と宗教が結びついて『一億総決起』を掲げ、小学生までが『一億一心』という書き初めを強制された思い出が蘇ってくる。あの時は夢中だったが、冷めてみると『洗脳されていた』ことに寒々とした怖れを抱かざるを得ない。協会が持つ権威の程度が気になる由縁でもある。
1 件のコメント:
全く同感です。
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