2009年12月3日木曜日

『ブラウニィ』が見た真珠湾攻撃

12月8日(ハワイでは7日)は、1941年(昭和16年)日本空海軍が真珠湾を奇襲し、日米戦争が始まった記念日である。時の大統領フランクリン・ルーズベルト破廉恥(はれんち)の日(The Day of Infamy)』と呼びアメリカ国民の総決起を促した。終戦以来今日まで、毎年その日になると、あの攻撃に関わる何らかの話題が提起される。

近年来話題になっていたのがアマチュア・カメラのブラウニィ(Brownie) 『ブラウニィ』『ボックス・カメラ』とも呼ばれ、1940年代のアマチュア・カメラで、6センチと9センチの矩形が一齣で、一本のフィルムで10枚前後が撮影できる。構造は単純そのもの、小さなレンズは固定焦点で、前景も背景もシャープに写るのでピンぼけの心配がない。

68年前の12月7日アメリカの太平洋艦隊は真珠湾に集結し停泊していた。日本の連合艦隊の山本五十六司令長官はそのチャンスを狙って艦隊を全滅する作戦を立てた。攻撃は午前7時55分に始まった。日曜の朝で、住民はもとより、ホノルルに駐屯していたアメリカ将兵は予期していなかった水陸からの攻撃に混乱した。

その時、USS補助艦クアポウ(Quapaw)に勤務していた水兵の一人(姓名不明)ブラウニィを掴んで、硝煙と混乱の中を駆け回り惨状を撮影した。
それから60年以上の年月が経過し、その水兵がどうなったのか不明のままブラウニィは同艦のフット・ロッカーに収納されたまま忘れ去られていた。

それが最近発見され、フィルムが取り出されて現像された。イメージは次に掲げる数々だが、何の損傷もなく当時の状況を無言のまま如実に物語っている。



アメリカ側の死傷者
★陸軍:死者218名、負傷者364名
海軍:死者2008名、負傷者710名 海兵隊:死者109名、負傷者69名 一般市民:死者68名、負傷者35名 死者合計2403名、負傷者合計1178名

艦艇その他の損害

戦艦アリゾナ(Arizona):大破沈没 戦艦オクラホマ(Oklahoma):転覆沈没 戦艦カリフォルニア(California):大破沈没、後に引き揚げられて修復 戦艦ウエスト・ヴァージニア(West Virginia):大破沈没、後に引き揚げられて修復 戦艦ネヴァダ(Nevada):大破座礁、後に修復 戦艦ペンシルヴァニア(Pennsylvania):小破 戦艦メリーランド(Maryland):小破 戦艦テネシー(Tennessee):小破 戦艦ユタ(Utah):大破沈没 巡洋艦ニュー・オルリーンズ (New Orleans):小破 巡洋艦サンフランシスコ(San Francisco):小破 巡洋艦デトロイト (Detroit):小破 巡洋艦ラーリィ(Raleigh):大破、後に修復 巡洋艦ヘレナ(Helena):小破 巡洋艦ホノルル(Honolulu):小破 駆逐艦ダウンズ(Downes):大破、部分的に回収 駆逐艦カッシン (Cassin):大破、部分的に回収 駆逐艦ショウ (Shaw):大破、修復不能 駆逐艦ヘルム (Helm):小破 掃海艇オガラ(Ogala) :大破沈没、後に引き揚げられて修復 飛行艇カーチス(Curtiss):大破、後に修復 修理船ヴェスタル (Vestal):大破、後に修復 タグボート、ソトヨモ(Sotoyomo):大破沈没、後に引き揚げられて修復 航空機合計 188機; (内訳は海軍92機、陸軍 92 機 その他.)

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

真珠湾奇襲から始まった太平洋戦争は、百万人単位の犠牲者を双方に強い、広島、長崎の原爆投下まで3年9ヶ月の苦難、苦闘、破壊をもたらしました。
どんなことがあっても、戦争は避けるべきです。