天皇『ザ、サン(太陽)』が傾いた時
マノォラ・ダルギス(Manohla Dargis)
11月18日付け、NYTの映画批評から
マノォラ・ダルギス(Manohla Dargis)
11月18日付け、NYTの映画批評から
ロシアのアレキサンダー・ソクロフ(Alexander Sokurov)が監督した華麗にして奇異な映画『ザ、サン(The Sun)』で、(イッセー尾形が演ずる)天皇裕仁(ひろひと)が、そっと大事にしていたカニを熱心に眺め、背景音に軍用機が墜落していく爆音が消えていく一場面がある。白っぽく醜怪で目立たない甲殻動物を見つめて「何という奇跡だ!」と裕仁がつぶやいるのを侍従の一人が聞いている。「神々(こうごう)しいほどの美しさだ!」と言ってカニを見つめている裕仁の場面で、観客は、小動物が生きている汚い水槽環境を写す沈鬱な画面から、現実の何かを連想させられる。
『ザ、サン』の筋書きの大半は、1945年(昭和20年)の敗戦の前後から、それに続く時代における裕仁とその低迷した皇居内の禁じられた内部を描写している。この映画は、ソクロフが歴史的な想定で製作した三部作の第三番目である。第一作は、ヒットラー(Hitler)とエヴァ・ブロウン(Eva Braun)がバーバリアン・アルプス(Bavarian Alps)の家で生活している様を描いた『モロック("Moloch" 1999)』で、第二作はレーニン(Lenin)の死にまつわる『トウラス("Taurus" 2001)』であった。『ザ、サン』は歴史の流れを詳細に描いてはいるが、通常の劇化ドキュメンタリー(ドキュラマ; docurama)ではなく、権力を剥奪され人間性を露わにした人物の肖像画を印象的に描いている。(実は『ザ、サン』は4年前、2005年にベルリン映画祭で封切り公開され、最高映画の一つに評価されていたが、やっとアメリカの劇場に輸入され、2009年の最高映画の一つという前評判が高まっている。)
人間天皇の描写は、皇居における裕仁の、食事から着付けに至まで侍従や付き添いによって行われる日常生活から始まる。(佐野史郎が演ずる)侍従の一人が囚人監視員(あるいは乳母)が見せるような視線を常に裕仁に注ぎ、次から次と皇室の日程を伝え、その中には『個人的に過ごす時間』まで組まれていた。「もしアメリカ人が訪問してきたらどうする?」と訊く裕仁。その質問に対して、侍従は、1924年(大正13年)にアメリカの東洋人排斥移民法で味わった『屈辱』を例に挙げて強引に却下する。「あっ、そう」と不透明に応え、水槽の金魚のように口をパクパクさせるだけの裕仁。
占領軍の最高司令官(ロバート・ドウソン: Robert Dawson 演ずる)ダグラス・マッカーサー元帥(General Douglas MacArthur)が重要問題の連絡で現われ、裕仁は急遽続けて二回の会合を持つ。裕仁は友好的に接待したものの、遠回しなアメリカの占領政策計画の説明にやや圧迫を感ずる。この間の模様を書いた脚本はユリィ・アラボフ(Yury Arabov)によるもので賢明で達者な筆致で浮き彫りにされ、それに従って監督ソクロフは、二人の登場人物の表情:マッカーサーの勝者の笑みと、裕仁の虚勢を張った頑くなな顔面とにカメラを向け、交互の心理状況を巧みに描き出している。(右は、昭和20年9月17日の朝、天皇裕仁がGHQのマッカーサー元帥を訪問した時の写真。新聞に掲載されて皇室側から苦情が出たが、後のまつりだった。)
その会合が終った直後、裕仁はマッカーサーから離れ、閉まったドアの前まで歩んでから不器用にたじろぐ。そこで観客は現人神(あらひとがみ)である天皇が、いまだ且つて自分でドアを開けたことがないことを悟る。この些細な悲喜劇的一コマが、それから間もなく裕仁が『人間宣言』をすることへの暗示的な一瞬でもあったのだ。
[戦争中でも]神格扱いされることに忸怩(じくじ)とし、人間性を主張していた裕仁は、それに抵抗を感じていた側近たちに「私の体形は、どの日本人と比べて少しも変わりがないではないか」と自衛的に抗議していた。彼が自身の『人間性』を主張していた反面、軍隊の指導者たちに対する時は、その言葉遣いや行動が『思い』とはかけ離れた形で現われていた。海軍が惨敗し、陸軍が撤退し、敗戦の色が濃くなったニュースが届いた時、裕仁は目をパチパチさせ、口を(金魚のように)パクパクさせ、祖父明治天皇の御製『四方(よも)の海、みな同胞(はらから)と思う世に、など波風の立ち騒ぐらむ』を取り出して読み上げ、(訳註:それは対米宣戦布告をする前、1941年(昭和16年)のエピソードであって、敗戦間際の1945年ではない。)「降伏は日本帝国や国民の伝統と反する」とし「我々は勝ち残るために戦わねばならない。わが国民のためになる平和こそが、唯一の平和である。太平洋の波高かるべし」と結んでいる。
裕仁が戦争遂行者であったというイメージは、名誉を重んじ平和を探求し、1989年の死後に表面に出た『修正主義者という人格』とは全く相反する。ハーバート・ビックス(Herbert P. Bix)が2000年に発表した『ヒロヒトと近代日本の建設(Hirohito and the Making of Modern Japan)』の中で「ヒロヒトは(昭和3年に)即位した発端から行動的な天皇だと思われていた反面、消極的な皇室の自衛的な設定を試みていたという矛盾が見られる。世界の国々からは、政策設定や決定権を行使する重要な地位にある人物という印象はなく、無能な傀儡(かいらい)に過ぎず、特筆に値する知的な宣言に欠けていた、と考えられていた。実際には、人々の評価は過小で、彼は賢明で口やかましく、エネルギッシュでもあった」と記述している。
それはともかく、ソクロフ監督は日本の歴史そのものに焦点を当てることには興味を示さず、そこから離れ、権力の条理が心理的に動かされていた世界を『ザ、サン』に織り込んでいる。ソヴィエトの国家統制主義(totalitarianism)時代に生まれ育った映画製作者として、当然のように帰着した制作姿勢であろう。大日本帝国の欠陥がソクロフ監督の手で、その陰鬱で特異な美しい映像----19世紀風の柔らかい画面で表す時代的な雰囲気------が見事に伝えられている。
自然博物館の片隅に取り残されて埃をかぶり蜘蛛の巣が張った展示物を見つめている貴方を想像してごらんになると判る。映像とは不思議なもので、あまりにも人間臭い人々の挙動を眺めている内に、背景にある破壊的な戦争の凄惨さが生々しく沸き上がってくる。
1 件のコメント:
或る人が「天皇に戦争責任があると思いますか?」と聞かれたとき、すこし考えて「宣戦布告を発行した以上、責任はあるでしょうね」と答えた。だからといって、戦争犯罪人として逮捕し東京裁判にかけるべきだったか、と重ねて問われたら、首を傾げて「それはどうも、、」と口ごもったであろう。未だにこの一件に関しては割り切れない。
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