去る10月7日、写真家アーヴィング・ペン(Irving Penn)が亡くなった。享年92才。
(下の肖像は1951年の撮影、ペン34才。)
(下の肖像は1951年の撮影、ペン34才。)
アーヴィング・ペンは20世紀の写真家の中で、最も多作で最も影響力のあった写真家の一人である。彼の被写体はファッションと著名人が主で、その作風は古典の優雅さと冷静なミニマリズム(単純化されて繊細な表現主義)に徹していた。1943年以来、ヴォーグ(Vogue)などのファッション雑誌に永年に亘りしばしば掲載されたが、一目でペンの作品と判る明確な個性を見せていた。
例外的に1950年頃、宣伝用にクライスラー(Chrysler)の新車の撮影を引き受けたことがある。まだ宣伝物の商品は車に限らずイラストが主流で、宣伝に使うのに値する車の写真を撮影できる写真家が生まれていなかった。だが、デトロイトは自動車産業の中心地、自動車を撮影できる大型のスタジオや設備だけは整っていた。依頼を受けたアーヴィング・ペンは、課題であるクライスラーの新車を前にして腰を下ろし、角度に注文をつけ、照明をあれこれと調整し続け、満足できる条件に達して撮り終わるまでたっぷり一日かかった。
助手を務めていたある写真家は、そのペンの制作態度をつぶさに観察し「まるでキャンバスに向かった画家が」慎重に照明の強弱、角度、拡散度を「丁寧に描いているようだった」と感銘し「あれほど美しい自動車の写真は見たことが無い」と絶賛していた。これは一部の間にしか伝わっていないペンの伝説的なエピソードである。
アーヴィング・ペンの名を知らない方でも、ペンの作品をどこかで見たことはある筈だ。以下はペンの作品のほんの一部だが、彼の作風を偲ぶには充分であろう。蛇足だが、モノクロの写真の成否の鍵は、何といっても照明による光と陰の描写にかかっている。
左:イゴール・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky)、ニューヨークにて。1948年
右:シモーヌ・ド・ボーヴォワ(Simone de Beauvoir)、パリにて。1957年
左:バラをもつ婦人(ラ・フォーリ La Faurieのドレスを着たリサ・フォンサグリーヴス・ペンLisa Fonssagrives-Penn)パリにて。1950年
右:ジャン・コクトウ(Jean Cocteau)、パリにて。1948年
左:ハーレクイン・ドレス Harlequin Dress (モデルはリサ・フォンサグリーヴス・ペン) ニューヨークにて。1950年
右:『最も多く撮影された12人のモデル達』ニューヨークにて。1947年
左:イングマー・バーグマン(Ingmar Bergman)、ストックホルムにて。1964年
右:ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe)、ニューヨークにて。1948年
左:『バレー・ソサイエティ(Ballet Society)』(左から:コラド・カグリCorrado Cagli;ヴィットリオ・リーティVittorio Rieti;タナクイル・ラ・クレロクTanaquil Le Cleroq;ジョージ・バランチンGeorge Balanchine)ニューヨークにて。1948年
右:『クズコの子供たち(Cuzco Children)』、クズコにて。1948年
左:『グラスを傾ける女性(モデルはメリー・ジェーン・ラッセル Mary Jane Russell)』、ニューヨークにて。1949年
右:『No.52、葉巻』ニューヨークにて。1972年
左:『家政婦(Charwoman)』ロンドンにて。1950年
右:トルーマン・カポテ(Truman Capote)、ニューヨークにて。1965年
左:『ヌード58番』ニューヨークにて。1949〜50年
右:『コレット(Colette)』パリにて。1951年
左:『アサロの泥人種3人(Three Asaro Mudmen)』ニューギニアにて。1970年
右:パブロ・ピカソ(Pablo Picasso);フランス、カンヌ、ラ・カリフォルニアにて。1957年
1 件のコメント:
時には、モノクロ写真の方がカラー写真より強烈な印象を与えますね。勿論、動物、植物、風景とか、カラーでなければ表現できない被写体もたくさんありますがね。
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