2009年9月28日月曜日

忘れられたアメリカの汚点

[はじめに:どの国でもそうだと思うが、学校で教える自国の歴史は、その恥部についての叙述は控え目にして、国威を宣揚する輝かしい誇れる史実を強調する傾向がある。アメリカの歴史教育も例外ではない。一方で、そうした虚飾に満ちた教育に反発する発言が、何時の頃からか折々書物やテレビなど公(おおやけ)の場で発表されるようになった。

アメリカの場合に限ってそうした告発説を展望すると:★コロンバスはアメリカを『発見』したのではなく『侵略』したのだ。★インディアン(アメリカの原住民)は野蛮人ではなかった。★東洋人を排斥した史実。★その他。


このブログでも、そうした教科書に書かれていない『告発説』を、将来折りを見てご紹介する計画を立てている。
今回の話題は、アメリカの黒人が強制労働を強いられていた史実の告発をご紹介する。 アフリカから黒人をアメリカに拉致し、奴隷として売買し、それが南北戦争の直接の原因になった史実は、教科書に触れているので誰でも知っている。しかし、南北戦争でリンカーン大統領の北軍が勝って解放された筈の黒人が、それ以後も奴隷同様の労働を強いられていたことは余り知られていない。それが、ダグラス・ブラックモン(Douglas A. Blackmon)が取材して著書にした『名目を変えた奴隷制度(Slavery by Another Name)』である。編集]

キャメロン・マクワーター
(Cameron McWhirter)寄稿
[筆者はアトランタ・ジャーナル・コンスティチューション紙(The Atlanta Journal Constitution)のベテラン記者]

ダグラス・ブラックモンについて:
過去20年以上に亘って、ダグラス・ブラックモンは、アメリカで虐げられていた人種を重点的に書き続けてきた。ミシシッピー三角地帯(Mississippi Delta)の農村で生まれ、その地方の白人黒人混在の学校で少年期を過ごし、公民権運動の陰でもみ消されていた挿話、近代社会が過去における葛藤のシコリをどう処理するかという苦悩、などに繰り返し直面し、その答えを模索していた。 蓄財、企業の運営、人種差別など夫々の様相がお互いに絡み合った題材を扱った彼の評論は、しばしばウォール・ストリート・ジャーナル紙(The Wall Street Journal)に掲載された。同紙のアトランタ支局長として、彼はアメリカの東南部における運輸関連企業、その他の商社や公的組織の取材を管理している。ブラックモンとそのチームは、金融崩壊や、2005年のカトリナ暴風(Hurricane Katrina)などを始めとした数々の取材を発表し業界で認められてきた。

ブラックモンは、成長期に黒人の社会を自分の耳目で見聞していたので、学校で教えられた奴隷の歴史に食い違いを感じ、素直に受け入れられなかった。彼にとって不可解だったのは、南北戦争以後、奴隷制度が違法となったのに何故白人と黒人の生活程度や教育水準に大きな格差が開いたかという疑問だった。ブラックモン我々は、黒人が貧しく教育程度が低いのは南北戦争当時に彼らが奴隷だったからだ、と教えられたが納得いかない。経済的な面だけから見ても、戦争当時は誰もが貧困だった。どうして今日、白人が中産階級になっているのに、黒人が取り残されているのは不公平だ」と、南部地域一帯の裁判所記録を7年かかって片端から調べ上げ、南北戦争以後から20世紀に至るまで奴隷制度が違った形で継承されていたことを突き止め、その答えを出した著書が名目を変えた奴隷制度である。

そして[アメリカが無視しておきたい醜い真実を抉り出したことによって]彼の著書はノン・フィクション分野で今年度のピュリツア賞を受賞した。

『名目を変えた奴隷制度』について:

ブラックモンがアメリカの黒人の公民権を話題にすると必ず誰かが「何で黒人は不平を唱えるのだ?その問題は150年も昔に片が付いた筈なのに」と不審がる。彼は「そうした『不審』が歴史的にも現実的にも間違っているのだ」と指摘する。(写真右:未成年の囚人、ルイジアナ州)

更にジム・クロウの差別法(Jim Crow laws)や、KKK団の狂信的な黒人排斥活動の以前に、南部における経済と癒着(ゆちゃく
)した法律制度と、企業や産業が安い労働力の供給を求めていたことに問題が潜在していたのだ。言うなれば『強欲』が動機だったのだ」と断定する。この著書でブラックモンは、なぜアメリカの歴史は書き換えられねばならないか、について次の項目に分けて説明している。

◆ 別の
『ネオ奴隷制度』が生まれた根拠
◆ 陰謀を扶助した犯罪制裁制度
◆ いかに歴史家が史実を見逃したか

◆ 20世紀の奴隷制度

◆ 戦争による(奴隷)解放

◆ 都合の良い『忘却』

◆ 『記憶』すべき理由


南北戦争が終ったのが1865年、それから近代産業の幕が開き、様々な産業が勃興した。農業、鉱業、鉄鋼産業、などの企業経営者は、新しい需要を開拓して着実に利益を上げていたが、より大きな利益を上げるために『安い労働力』を獲得する方法を探索していた。そこで目を付けたのが、囚人の強制労働を利用することだった。

彼らは囚人の労働力を獲得する手段を裁判所や警察と談合して合意を得た。警察は産業が『注文した』必要な労働人数を満たすため、より多くの犯罪者を検挙する必要に迫られ、微罪(万引きなど)でも容赦なく検挙し裁判にかけた。それを受けた裁判所は罪の軽重に拘らず何年もの過酷な『強制労働』の刑を与えた。

労働環境には殴打、体罰、拷問など日常茶飯事で(写真左上;右上は猟犬を使って脱走者の逮捕に)、中にはその挙げ句に死に至ることも稀でなく、屍体は無縁墓地に埋められた。同時に北部の商人たちは、そうした事実には目をつぶって安い商品を買いあさり利益をむさぼっていた。(左:奴隷制度反対者の間で配布されたパンフレット)

ネオ奴隷制度は第二次世界大戦の勃発まで続いていた。偶然ではないが、その頃から農業や鉱山に新技術が導入され労働力事情が徐々に不必要になってきた。

それに伴って、白人たちは罪の意識に囚われないために、黒人たちは彼らの子供たちに『怒り』の火を点けるのを怖れたために、ネオ奴隷制度は忘れ去られていった。

また、ブラックモン「こうした1910年代のジョージア州における末期的な制度の犠牲となった大多数の黒人たちが、貧しく文盲だったのでアンネ(Anne Frank)の日記を書ける者がいなかった。歴史家たちは事実を見逃した。彼らが白人だったからでもあるが、彼らはまた、『我々に報道記者など要らない』とうそぶいてもいた」と嘆息する。 --------------------------------------------------------------------
『名目を変えた奴隷制度(Slavery by Another Name)』はまだ翻訳されていないようです。

日本にお住まいの方はAmazon.co.jpを通じて洋書としてお求めになれます。価格¥2,962

アメリカにお住まいの方はAmazon.comでお求めになれます。価格
新本$19.77;中古は$9.94から

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

人間が他の人間を『人間』として認めず、『家畜』や『セックスの道具』としてコキ使っていた歴史が、今日どこにも残っていないことを信じたいと思いますが、残念ながら別の形をとって未だに存在しているようです。正に『名目を変えた奴隷制度』ですね。