2009年9月7日月曜日

昔の面影、今もなお:川越市

ケン・ベルソン(Ken Belson)
9月6日
[筆者は在日、New York Times の寄稿者]

もし貴方が『伝統的な日本の面影』を頭に描いて近代日本を訪れたら、十中八九は失望するであろう。『古代の日本』なら、まだ京都、奈良や東京の片隅にも残っている。私が言う『伝統的な日本の面影』とは、第二次大戦以前の明治、大正、そして昭和初期の日本人の生活環境のことである。それが見聞できることで一般に知られているのは、名古屋の北方にある、史蹟を保存し、一カ所に集めて造られた明治村であろう。


だが明治村を訪れることは誰にでも手軽な旅行ではない。私の場合は東京に住んでいるので新幹線を利用しても片道2時間はたっぷりかかる。だが、東京の北西、埼玉県の川越市には、正真正銘の明治大正の面影が残され、電車で30分の距離なので気軽に行ける。川越市には、100年前の土蔵(どぞう下の写真)の数々が手入れよく保存されているのを始めとして、各種の昔の名残りが継承されている。

その土蔵街の近くには『時の鐘』(後述)と呼ばれる旧い木製の時計台があり、今の日本には見られない魅力的な大正、昭和時代の建物が建ち並んでいる。且つての城下町だった川越の町並みは江戸時代まで遡った雰囲気さえ醸し出しているので小江戸(こえど)』という異名を持っている。

その町並みの故に人口33万人の川越市は、NHK制作のミニ・シリーズ、時代劇ドラマ撮影のロケ地に選ばれた。このドラマが観光客の誘致に役立ったのは言うまでもない。6月のある日の午後、一台の貸し切りバスが到着、年配の男女(この場合は祖父母の年代)乗客たちを降ろした。彼らはその町並みを往来し、数々の(くら)に驚嘆し、昔懐かしい駄菓子屋に立寄って懐旧に浸り、優雅な喜多院
(後述)に感銘していた。

今から20年前、私が初めて川越で教師を勤めた時のこと。10月の第三週末日に祭りが開かれ、大勢の群衆が、3トンの華麗にして巨大な山車(だし)を一目でも見ようと詰めかけてきた。

川越を訪問するのは至って手軽なことだ。市が東京のベッドタウンでもあるので電車の便が良い。池袋から出る東武、東上各線で本数も多いし、運賃も片道450円と安い。西武新宿駅から出る新赤羽?(New Red-Arrow Express?)急行は指定席で座り心地がよく、1時間毎の運行で片道890円。本川越駅で止まるから、そこで降りて散策を始めてもよい。市の観光地帯の大方は徒歩で2時間もあれば周り切れる。各種の美味しい料理を提供するレストランが数々並んでいるし、ビールも市内で醸造している。


くろぶた・げきじょう(文字不明)というレストランを経営している[ひびき・よしはる(文字不明)]氏は「川越は江戸時代以前の首都でしたから『本当の江戸』なんです。だから私は小江戸と言われるのは不満です」と胸を張る。同氏は市の活性化運動グループの会員でもある。

徒歩観光はバス発着所から中央通りに向かってもよいし、一筋裏の静かな通りを歩くのもよい。戦後建てられた家並みや店舗を過ぎると、大正ロマン通りという戦前の建物が並ぶ地帯に入る。(島の恋?)大正館、アート・デコ風装飾の大正モダン喫茶店、などがある。


その100メートルほど先に商工会議所(右の写真)のビルがある。その石造り円柱が外装の建物はアメリカ中西部の小都市を思わせる。日本の西欧化時代の名残りである。そこから左に折れて直ぐ右に曲がると再び中央通りに出てそこからは一番街で、蔵が並んでいる通りである。

日本の土蔵というと大体が白壁だが、川越の蔵(前掲の写真参照)は19世紀後半(明治の後期)の建築方式で木炭混じりで黒ずんでいる。二階の窓に取り付けてある4層造りの分厚い外扉は耐火性で、火事が起きても隣家に類焼しないよう配慮されている。蔵の主な目的は米その他の貯蔵で、今日まで残存しているのは、川越の旧地主たちが、明治時代の鉄道敷設に抵抗を示し、そのため川越の工業化が立ち遅れたお陰で戦時中アメリカ空軍の爆撃目標から除外されていたからである。


現在、ある蔵は小売店に変身し、酒、漬け物、さつま芋、その他の日常品を売っている。また別の蔵は喫茶店(茶店[ちゃみせ]?)や、蒲焼き屋、そば屋(前掲の写真を参照)、その他のレストランに改装された。


その通りにある名物の一つに時の鐘がある。400年の歴史を持ち、1893年(明治26年)の大火で再建された高さ38メートルの塔は一本の杉の木で支えられている。今は鐘を人手で叩くのを止め、一日4回(電動式の)チャイムが鳴る。

本通りを渡ると、川越まつり会館という博物館がある。中には数台の装飾された山車が展示され、丈の高い山車は優に3階建ての高さを誇り、年に一度の祭りに町を練り歩く。同館の館長大河内とおる(文字不明)「高ければ高いほど神に近付く」という信仰を語る。

その博物館から二筋通りを外れると菓子屋横町で、お菓子屋や、昭和初期に流行った子供向けのお土産店(多分、駄菓子屋かおもちゃ屋のこと)が14軒並んでいる。この店並みは、且つて液体砂糖(多分アメのこと)を保存していた倉庫を改装したもので、その一軒ではアメの制作実演(右の写真)をしている。

本通りから外れて15分ほど回り道になるが、優雅な喜多院(きたいん)へは訪れる値打ちがある。西暦830年(天長7年)に建てられ、16世紀の後半に将軍が川越に立ち寄ったことから日本で重要な寺院の一つとなった。1638年(寛永15年)の大火で寺院が焼失し、将軍が江戸城の一部を川越に贈った。喜多院の有名な所蔵品は500点に及ぶ僧侶の石像で、一点一点が独特の表情をしている。それらが寺院の一郭に安置され、或る僧は考え、或いは笑い、或いは酒を呑み、或いは他の鼻をつまむ、など観る人々を飽きさせない。

本通りへ戻り、JR駅へ行く前にいちのや(文字不明)で蒲焼きの昼食をお奨めする。5種類の漬け物と吸い物付きで2400円也。


夕食まで散策するなら、JR駅からさほど遠くない前述のくろぶた・げきじょうが私の好みだ。メニューは、脂がしたたるような焼き豚、新鮮な野菜サラダ、ピリッとした味噌たれ、などが旨い。こうした料理を地酒かがみやま(文字不明)か地元醸造の小江戸ビールを呑みながら食べたら最高だ。

いずれも駅から遠くないから、食後、気軽に電車で東京その他の近郊へ戻れる。
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筆者からの案内:

大正館:連雀町13-7;電話81-49-225-7680
(クリック)
川越まつり会館:元町2-1-10;電話81-49-225-2727

いちのや:松江町1-8-10;電話81-49-222-0354

くろぶた・げきじょう:わきた町17-4、2階;電話81-49-226-8899


川越市の一般的な案内は、ここをクリック。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

ガイジンから日本の名所を紹介されるとは、思い掛けないことです。
ありがとう、ベルソンさん!