2009年9月8日火曜日

成長した日本人

村上 龍(むらかみ りゅう)
東京発
ニューヨーク・タイムス評論

【編集から:筆者は『コイン・ロッカーの赤ん坊』などで知られる作家。この評論は英語に翻訳されたものを再び日本語に直したもので、原文とは表現の点で相違があるかも知れませんが、筆者の意図は伝えられたと信じています。】


先週報道されたニュースの一部では、半世紀に亘って主導権を握っていた自民党の議席を民主党が奪ったことを『革命的な事件』だと表現していた。古い党派が落ち込み、新風が取って代わった。それなのに何故、選挙民は諸手を挙げて喜べないのだろうか?(上の写真:当選直後の民主党、鳩山由紀夫代表:毎日: 須賀川理撮影)

日本の国民は、どの政党が政治を与っても、現在の難事を解決できないことを認識しいているからだ。でもそれは憂うべきことではない----日本人が究極的に成長した証拠なのだから。


吾が報道メディアは記者達を街頭へ飛ばし、新政権に対する期待を街中の人々から聞き集めさせた。インタビューに応じた市民達はマイクに顔を近づけ、単純に正直に「私は、新政府が経済を回復させることを、、、」とか「年金制度を確立して、、、」とか「失業者に職の道を、、、」などの希望を語っていた。しかし、彼らの表情には、その期待と裏腹な虚無的な不安が隠せなかった。


過去において、政府は国内の問題を解決する能力があった。第二次世界大戦後、日本の成長はおおむね政府の指導によるものだった。国民は、政府が道路を敷設したり病院を建設し、企業を保護し、その従業員の終身雇用を保証するものだと期待していた。そうした時代遅れの社会機構や不完全な年金制度が一部の原因で、今日の政府は単純に全てを改善するに充分な予算を持ち合わせていない。

自民党の多数は、民主党は勝てないと思い込んでいたが、結果として惨敗した。それは丁度勝てない筈のレッド・ソックスがヤンキースを敗った試合と似た現象だった。選挙民の内には自民党は国民の幸福など考えていない、と見限っていた人もいた。或は、単純に最早彼等には政治を任せられない、というのが率直な本心だったのだろう。


同党は、農家、土木建築業、中小企業など地方選挙民に金をバラ撒いて、彼等の支持(投票)を買っていた。戦後間もなくは、政治家達が自分の選挙区の一般人や私設企業を裏口のコネクションを通して抱き込む、といった活動がその主な役割だった。そうした理由で、彼等はその息子や娘たちに自分の職業や地盤を継がせることに熱中していた。


何もかも豊かだった時代は去ったが、政府の大盤振る舞い(税金の無駄遣い)の要求は継承されている。ある選挙区のグループが政府予算で地方の道路を新設させようとし、また他のグループは地方病院を新設させようとしている。今日こうした動きがもたらした不都合な問題は、経営不振が悪化している背景で、病院が経済的に窮状に陥る困難という形で現われた。


だが民主党にとって圧倒的勝利が、新道路を建設したり、新病院を新設するための金をもたらすわけではない。国家的、地方的な政府の財政は破綻寸前に追い込まれている。日本国民はこうした経済危機の時代に、政府が交替したからといって諸手を挙げて浮かれるほど無邪気ではないし、又、国民の生活がいっぺんに好転すると信ずるほどバカでもない。


不景気が各家庭を脅かしているのが現実だ。日本の社会では、政権交替は
一部の層に利益をもたらすかも知れないが、大方にとっては重荷になるかも知れない。主要産業は課税が軽減されて多少救われるが、同時に従業員の給料を凍結するであろう。もし最低賃金が引き上げられれば、企業側は製造部門を(賃金の安い)海外に移すであろう。

何もかも夢のように旨くいって生活水準が年毎に向上していた日々が過ぎ去ってから大分年月が経過した。今日では、誰の懐も現金が乏しく、日本の一般国民は困難な生活を強いられている。

我々全て、経済危機のしわ寄せが骨身に沁みている。だから、街頭で記者から質問を受けた人々が楽天的な表情を見せなかったのだ。だがそれは我々が落ち込んだり腐ったりしている訳ではない。我々は、次代の子供たち誰もが生長して大人になる過程で、こうした時代の体験を避けられないことを思い虚無的になっていたのであろう。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

アメリカの選挙民は大統領を選べますが、日本の選挙民は首相を選べないんですね。
鳩山由起夫が不満だ、という訳ではありませんが、党内部の決定というのがちょっと気に掛かります。