高橋 経

さて話題は尼僧のことではない。その庭園の一郭にあるラビリンス(Labyrinth)についてである。


ドミニコ会の庭園にあるラビリンスが迷路ではないと断定し一旦は失望したものの、かくも優雅にして荘重な尼僧院が、人手をかけ良質の材料を使い、成人が何人も歩けるラビリンスを造成するからには何か特別な意味があるのではないかと思い直し、年配の尼僧にその意義を伺ってみた。彼女は親切にかつ優しく;

という訳で、数々のヘアピン曲折はともかく一本道だからと漫然と歩いて中心に辿り着き「誰にでもできる」とバカにしていたら何の啓発にもならないのだ。ゆっくり静かに歩きながら、瞑想に耽り、思考し、苦吟し、精神の修養を積み重ね『人生の答え』を探求するため己(おのれ)を無心の状態にするために、ラビリンスという場は絶好の環境設定なのである。
