高橋 経
最近の報道によると、ドキュメンタリー映画『ザ、コーヴ(The Cove)』に抗議し、その上映に反対する人々に屈し、全国の映画館が次々と公開を取り止める方向に向かっているようだ。一体、日本の民主主義はどうなっているのだろうか?『言論の自由』が失われつつあるのだろうか?
上映反対の理由に耳を傾けてみた。
◆「文化の違いや、反対意見はあってもいいが、この映画は一方的で紳士的ではない」という声があった。この発言には矛盾がある。映画はドラマにしてもドキュメンタリーにしても、基本的に制作者の主観に基ずくもので、その人の感情や思想が作品に反映するものである。この抗議者は「反対意見があってもよい」と認めておきながら、映画制作者の主観を『一方的』と極め付け、『反対意見』は見たくも聞きたくもないのだろうか。
◆「内容が反日的だ」という声があった。『ザ、コーヴ』はイルカを殺戮し、食用に供する『行為』を批判したのであって『日本』を批判したのではない。その伝統的な習慣を継承していたのが、たまたま日本の一漁村だったからといって、映画を『反日的』だとするのは短絡的で単純に過ぎるのではなかろうか。
◆すでに前回で言及したが、現地、太地町(たいぢまち)の町長と漁業協会の組合長が共同声明で「イルカ漁は県の許可を得て適法、適正に行っている」と、映画のイルカ漁告発を不当であるとした声があった。加えて「映画は虚偽の事項を事実のように表現している」と不満を洩らし、「地域の伝統を理解して尊重すべきだ」と要求していた。ならば、『臭いものに蓋(ふた)』をせず、『ザ、コーヴ』に挑戦し、真実の『太地町の実態』を映画にして発表したらよいではないか。それができないなら、内心では矢張り同町のイルカ漁の伝統を恥じ、後ろめたい思いがあるに違いない。
日本におけるイルカ漁の実態:「古式捕鯨発祥の地」を表看板とする太地町をはじめ、全国各地にイルカ漁の長い歴史と文化がある。農林水産省の海面漁業生産統計調査(2008年)によ ると、全国の漁獲量は9082頭。過去20年間で約4分の1に減少した。都道府県知事の許可で漁ができ、和歌山県の他には、北海道、青森、岩手、宮城、千葉 、静岡、沖縄の各県が許可されている。
前回のコメントを繰り返すが、世界中の大半の人々から愛されているイルカという動物を、「伝統だから」とか「県の適法だから」に頑なにこだわって固執せず、世情の移り変わりに順応して『保護派』に転向するだけの勇気と柔軟性を持っても良いのではなかろうか。『負けるが勝ち』という言喭(ことわざ)がある。そうしたら太地町は世界中から、その勇気に対して絶賛されるであろう。
最後に、朝日新聞、天声人語子の評論『人の掟(おき て)』をご参考のためお伝えする。
野生動物の幸不幸は、人間にどう見られるかでだいたい決まる。『賢い愛敬者(あいきょうもの)』のイルカには漁をとがめる映画ができ、いっぺんにらまれた種は最悪の天敵を抱える羽目になる。どうかすると末代まで▼野生復帰に向けて訓練中のトキ9羽が殺された件で、容疑のテンが佐渡島のトキ保護センターで捕まった。「犯人」 かどうか、毛のDNAを照合中という。あの惨劇で、テンは天然記念物を食い散らす乱暴者の烙印(らくいん)を押されかけている▼佐渡のテンは、林業の害に なる野ウサギの天敵として本土から持ち込まれたもの。小欄はこの小動物に思いを寄せつつ、「ウサギを食べたら益獣、トキを殺せば害獣という『人の掟(おき て)』に小首をかしげていることだろう」と書いた▼本能に従う獣たちを、人の都合で善悪に分ける身勝手。自然を愛し、トキ復活に汗を流す人たちなら、とうに承知のことらしい。憎かろうテンにイモやリンゴを与え、動物園などの引き取り先を探しているという。温情判決である▼「害獣」といえば先般、田畑を荒らす イノシシやシカを食用にする動きを喜んだところ、「動物こそ乱開発の被害者」、「傲慢(ごうまん)だ」との声が寄せられた。むろん殺生は必要の限りとすべきで、どうせ駆除するなら、ありがたくいただこう、という趣旨である▼いっそのこと、人と動物、人と自然といった対立軸を捨ててはどうだろう。私たちは「ジグソー・パズル地球」の遊び手ではなく、大きめの一片とわきまえたい。おごらない共生の視点から、人がこの星に招いた災いの出口が見えてくる。
1 件のコメント:
『意見の対立』は国と国との戦争から兄弟喧嘩まで、全ての争いの元凶です。『対立』を調整する努力には、善意、理解、根気が必要ですが、結果として『平和』を導きます。
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