追悼:舞踏(Butoh)を世界に広めた大野一雄

大野一雄は、1907年(明治40年)生まれ北海道出身、日体大(旧、日本体育会体操学校;現、日本体育大学)在学中から舞踏家を志し、旧制女子中学で体操教師を勤めていた頃にモダン・ダンスを修得した。第二次大戦の直前に勃発した日中戦争に召集され転戦したが、命永らえて帰国、1949年(戦後4年目)に舞踏の初公演を行った。

いずれにしても単純に彼らの舞踏の特長を形成過程として定義付けるならば、両者共に『能』のスタイルを基本とし『日本舞踊』や『モダン・ダンス』の技術を取り入れ『パントマイム』による『無言の思想表現』で訴える、とでも言ったらご理解いただけるであろう。また踊り手の肉体的な表現を重んじていたので、肌を露出する必要に迫られ、しばしば『猥褻(わいせつ)』な踊り、と批判されたこともあった。
大野は、100才を超えても公演を続け、つい最近まで認知症と闘いながら舞踏への情熱を持ち続けていたと言う。
大野や土方の舞踏や経歴を全て叙述するにはスペースが限られ過ぎている。ご興味があったら、そうした著書や資料は容易に入手できると思う。何はともあれ彼らの舞踏が如何に西欧の舞踏家たちを刺激したかという様子の一部を写真で見て頂こう。また何と言っても『動き』が生命の芸術である以上「絵に描いた餅」だけでは物足りない方々のために。動画ビデオのリンクをご利用の上お愉しみ頂きたい。




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以下はYouTube(ユーチューブ)のサイトで、大野一雄や土方巽、その他の関連した舞踊のビデオが多数用意されています。一本は、平均3分前後です。お選びになってクリックすると、サイトに繋がります。
★ 舞踏、その1
★ 大野一雄の舞踏
★ 土方巽をインタビューと、彼の舞踏
1 件のコメント:
公演は鑑賞して愉しい面もありますが、舞踏をする歓び、恍惚感の方が遥かに大きいと思います。
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