今でもラーメンは二日に一度は自前で調理しています。生麺が近隣で手に入らないので、止むを得ずインスタントを使いますが、野菜、肉、エビなどを投入して栄養価を高めるよう心掛けています。 先日、今回のニューヨーク・タイムズ記者の探訪報告を読んで。東京のラーメン文化が驚異的に成長多様化し、外人まで病み付きになっていることを知り、ご同慶の至り、隔世の感に堪えません。
マット・グロス(Matt Gross)
1月31日付け、NYTから
1月31日付け、NYTから
東京、早稲田大学の近く、セヴン・イレヴンの角を曲がった横町に、ラーメン屋らしくないラーメン屋がある。事実、その『頑固(ガンコ:右と下の写真)』という店の名に相応しく、得体不明な店構えである。看板もなければ、窓もない。荒っぽい黒いタープ(ビニール・シート)がテントのように壁に下げられ、商売のシンボルでもあるかのように、白い動物の骨がぶら下がっているだけだ。(右の写真) タープをくぐり、引き戸を開けると『頑固』の店内、止まり木椅子が五つ、ベニア張りのカウンターの前に並び、顔を上げると小さな調理場からの細い隙間が、間断なく立ち上る湯気や煙で真っ黒に、しかし汚い感じではない。
調理人はたった独り、無精ひげのまま、蒸気で曇った眼鏡をかけ、襟にタオルを引っかけ、正に『頑固』丸出しの風体だ。慣れた手さばきで、手際よく並べた丼にソバや汁を満たし焼豚、メンマをのせ、海苔をパラパラ、刻みネギをポロポロ、で出来上がり。その間ずっと無言。
音といえば、客がソバやダシの利いた汁をズルズルとすする音だけ。火傷しそうに熱いソバ汁をすする音は、かすかに聞こえるラジオの音楽を背景に、大らかに、長々と、調理人の腕を讃えるかのように合唱し、音響効果の役割を演じている。
「ごちそうさま。」一金700円也、を支払って白昼の横町に出ると『頑固』での体験が幻覚の世界で起こったような気がする。
と言うと『頑固』が、隠れた秘密社会に存在する店、という印象を与えたかも知れない。でも私は『頑固』を、英語のブログ<Ramenate!>に公開されていたから知ったのだ。そのサイトは、近代日本文学で博士号を取る卒業論文を書いているコロンビア大学の学生が始めたものである。彼にとって日本文学より大事な課題は、毎日ラーメンを食べ歩いて、系統だったデータを作成することである。
Ramenate!だけが、ラーメンに関する唯一のブログではない。他にも日本語、英語で幾つものブログがラーメン情報を公開している。ブログの他に、多国語のガイドブック、色刷りのラーメン情報雑誌、データベース、コミック本、テレビ番組、映画(古典になった『タンポポ(1985年)』など)、それらを綜合しても、東京におけるラーメン事情の、ほんの一部を紹介しているに過ぎない。
(日本を知らないアメリカ人に)これだけ言っても納得いかなかったら、ニューヨーカーのピザ好き、ホトドッグ好き、ハンバーガー好き、などを思い起してみればよい。東京人のラーメンへの『こだわり』はそれに匹敵、またはそれ以上なのである。
ここで紹介しているラーメンは、学生間で流行っている例の乾燥したインスタントではない。有名な店のラーメンでも、ちっぽけな屋台のラーメンでも、全て生麺を使っているのだ。手製で、自家製の汁、赤ブドー酒に漬けた豚肉、醤油味の鶏ダシ汁、豚骨(とんこつ)のダシ汁、といった材料が九州から本州へかけての好みのようだ。札幌のニンニク風味のミソ味の濃い汁で太目のソバも満更ではない。いずれにしても、風味は調理人が工夫して創り上げるもので、時代の変化にも影響され移り代わっている。
去年の11月、私は6日以上も続けて東京のラーメン文化にどっぷりと浸ってみた。有名な店から小さな店まで、一日平均4杯を標準に食べ歩き、何が味の決め手になるかという材料調べだけでなく、注文の仕方、ラーメンの食べ方、などの作法まで身に付けた。こうした探訪をしながら、私は何故こんな単純な『食べ物』(17世紀中、孔子の教えを広める使者たちがもたらした食品)が、日本人ばかりか我々外国人まで夢中にさせたのかを知れば、東京そのものをもっと深く理解できるのではないか、と考えるようになった。
私の探訪記事のネタは、サンフランシスコで英語を教えていた31才のブライアン・マクダクストン(Brian MacDuckston)が出しているウェブサイト<RamenAdventures.com(このサイトは目下不能)>に負うところが大きい。長身で色白、禿げ上がって眼鏡が似合うマクダクストンは、すらりと細く、その容姿自体がソバみたいだ。事実、彼は3年半の日本滞在中に体重が減った。料理ブロッグ家達の間では傑出した存在である。
彼は、来日当初、ラーメンはほとんど食べなかった。池袋のしゃれたラーメン屋『無敵屋(むてきや:左の写真)』の前に、45分はたっぷり待たされる客の列が並んでいるのに気が付いてから数ヶ月経った2008年の1月、その列に並ぶ決心がつき、初めて丼に箸を付けた。
「その時は、すごく美味しいと思った」と回想する彼。焼豚がたっぷり載ったその店の特製ラーメンが、最近テレビで紹介された。「焼豚の切り身、シチュウの豚肉、そして豚肉のミートボール、おまけに豚の挽き肉の山、信じられない位の旨さでしたよ」思わず彼は唾を飲み込む。
彼はすっかり病み付いきになった。以来、インターネットで評判の高い店を検索しては店を探し当て、何時間も行列に並んだ。「まるでバカ丸出し、と思うでしょう。たかが汁ソバを食べるのにですよ、二時間も並んで待つなんて。何か強烈に惹かれるものがあるんです」彼は告白する。まあ、バカ、気違いと言ってしまえばそれまでだが、僅かな仕事と失業保険で暮らしている内にブログを始めた、という訳だ。
今でも相変わらず『無敵屋』の行列は続いているが、マクダクストンの舌は肥えてきて、その豚骨スープより優れた味が他にもあることや、ソバがやや茹で過ぎであることまで判るようになった。『無敵家』の次に『凪(なぎ:右の写真)』で試食し、すっかり気に入ってしまった。本店、支店が何軒かあり、彼が行ったのは渋谷の繁華街にある支店だった。一夕、マクダクストンがその店へ私を案内してくれた。二年ほど前、私は友人と何か食べ物屋を探しながらその静かな一郭を散策した記憶が残っていた。その時は、その辺りに東京で人気の高いラーメン屋があるなどとは知らなかった。
よくある勘違いだが『凪』の店構えは、ラーメン好きの客で繁盛している店、というより高級料亭の風格があったからだろう。食堂はしっとりと落ち着いた雰囲気、壁は茶色い小麦粉袋が貼られ、一般的な自動販売機で食券を買うのではなく、ウエーターに注文し、彼は客の好みのソバの茹で加減(堅めか柔らかめか)まで確かめる。我々は、腰の強い茹で加減(バリ)を頼み、注文通り、美味しいモチモチで堅めのラーメンが運ばれてきた。旨いの何の、それは絶品で、でも丼に汁が残ったので、ソバ玉の追加注文をして平らげたほどだった。
何日もかけ豚骨を茹でてとったダシ汁も絶品、載っていた柔らかい焼豚や半熟卵も絶品というラーメンがこの『凪』という店の身上である。 次にマクダクストンが連れて行ってくれたのが『バサノヴァ(Basanova:左の写真)』、渋谷から私鉄で二、三駅先、近隣があまり芳しくない環境だったが汁の味は最高。『バサノヴァ』の特製はグリーン、カレー・ラーメン、日本人好みに合わせ、タイ風味を巧みに取り入れていた。口にすすり込んだ時ピリっとした辛子が舌に、レモンとライムの香りが鼻に、しかし、本質は日本固有のラーメンである。この味はバンコックでは見つかるまい。
『凪』同様、『バサノヴァ』はゆったりと落ち着ける店だ。但し、ここには食券の自動販売機が置いてあり、ステインレス・スチール張りのカウンターで食べさせる。従ってビールの一杯でも呑む気にもさせる。店主は写真を撮られるのに嫌な顔も見せず、かえって我々と言葉を交わすほど愛想がよかった。彼の話では、両親が日本の反対側(裏日本のことであろうか)の出身だったので、様々なラーメン味を体験し、それらが融合し、結果としてこの店の味となったのは当然の成り行きだったらしい。
マクダクストンと私が店を出たら、後から若い女性も出てきた。通りで私たちに近付き、自分は長島カナという者で、10年程シンガポールの大学で『ラーメン・クラブ』を組織していたが最近帰国した、と自己紹介した。たいへんに快活で『バサノヴァ』のラーメンには我々同様に印象付けられたようだ。別れ際に、マクダクストンと彼女は同好者としてお互いの連絡先を交換していた。
他の素敵な『融合味』は更に西へ下った『イワン・ラーメン( Ivan Ramen:左の写真)』で体験した。創始者は、当年46才の生粋のニューヨーカーで、ルテチェ(Lutèce)でコックをしていたイワン・オウキン(Ivan Orkin)。東京へは日本人の妻と息子と2003年に移住し、収入の道を求め、ラーメン屋が面白かろう思い付いた。準備を済ませて始めたのが2007年、他国の伝統料理に挑戦するのは難しかろうと危ぶまれたが、商売は当たった。彼の恐るべく単純な塩味、醤油味、一本やりの汁、それと少し変わったライ麦粉から作ったソバ、汁を別に添えたツケ麺は評判になった。それは、コンビニエンス・ストアのサークルKにも卸し、店の前に20人は並んで待つほどになった。
オウキンに言わせると「日本人がラーメンに取り付かれた理由は、その味が普遍的なものだったから、、、」だそうだ。「値段から言っても、誰でも払える価格です。丼一杯の盛り付け、単純にバランスが取れています:汁、ソバ、添え物、全てがまとまっているでしょう。だから一杯のラーメンを食べると、誰でも必要な食材料が腹に収まるのです。」なるほど、尤もだ。
バランスと言えば、『斑鳩(いかるが:右の写真)』ほどバランスがとれたラーメンはないであろう。その店へは、香港から来日したメター・チェン(Meter Chen)と彼の助手、横井なお子と試食した。芸能関係の仕事をしているチェンは、中国語でラーメンについての本を書いた。店の外で20分ほど待たされている間、チェンは『斑鳩』のロゴを見て「この店の味の良し悪しは別として、ここの店主はデザインに気を配っている」と褒めていた。
店に入ると、照明が明るく穏やか、テーブルやカウンターとの間が広くとってあった。調理人やウエーターは応対が快活で優しく、黒いシャツのボタンはきちんと喉元まで止められ、微笑をたたえていた。正にオアシス、典型的なラーメンの男性的なイメージを拒絶しているラーメン店のガイドブック『女性のヌードル(ラーメン?)・クラブ』で推薦されたのも無理からぬことだと納得した。
で、『斑鳩』ラーメンの味は?正統なラーメンから見たら異端者のようだが、豚骨ダシの汁に微かなカツ節を嗅ぎ取ったし、焼豚の切り身の縁にキャラメルの甘味が残り、新鮮で、ソバを口に入れ、半熟卵を噛んだ歯応えも脂気は少々。ここのラーメンで完璧さと満足感を堪能した。
一口に完璧と言っても様々だ。『斑鳩』と対照的なのがラーメン店チェーンの『二郎』。この店に病み付きになっている42才のアメリカ人、ボブ(Bob:姓を名乗らない)は<RamenTokyo.com>というブログを制作している。細身のマクダクストンが『ソバ』なら、ボブは『肉付きのよい豚』といたったところだ。フランチャイズ『二郎』の33支店を悉く試食するという意欲に燃えているのも頷ける。(左の写真は『中華そば井上』)
ボブは「(『二郎』は)ホワイト・キャッスル(the White Castle:ハンバーガー、チェーン)のラーメン版です。この店のラーメンは、安くてお手軽、守るべき伝統的ルールを無視しています。丼は大型、ソバは粗め、汁は濃く、モヤシやキャベツが山盛り、細切れの豚肉はニンニク漬け、それにニンニク、又ニンニク、丼から溢れる程です。味といったら信じられない、何とも形容の仕様がありません」と説明してくれた。
全くその通り、ある意味では完璧に凄い丼だ。私はこの化け物丼に挑戦したが食べ切れなかった。45分も並んで待たされるからには、と期待に胸をふくらませた結果がこの様(ざま)とは、私の予測も当てにならなくなってきた。マクダクストンに言わせれば狂気の沙汰だ。それとも、私は皆と同じようにラーメン党になってしまったのかも知れない。
東京で数日過ごした後で、私はラーメンの人気に関して幾つかの考察を引き出した。1958年代の都会の地下に繁栄した洞窟のような『新横浜ラーメン博物館』(左の写真)には、有名なラーメン店の支店が何軒も建ち並んでいた。その展示で「1960年代の日本が産業復興と共に、日本人の食生活に西欧の美食(グルメ)が移入され、ラーメンが冷遇された。それが1980年代となると、影響力の大きい新世代が、ラーメンのルーツを掘り起こしたのである」と説明されていた。
チェンのアシスタント、横井なお子は「若い人々の間でラーメンが流行の先端として考えられるようになりました。どのラーメン屋が格好(かっこ)良く、有名店がどれかを熟知していることが人格の一部として評価されているんです」と分析していた。
ボブはずばり「この世の中でソバが嫌いな人なんていません」と断言。
多くのラーメン党にとって(私も含めて)、思うに『追求』の一語に尽きる。新聞、雑誌、テレビ、その他のマスメディアを通じて『追求』するか、足で探し廻るか、嗅ぎつけるか、行列のある店をキョロキョロして探すか、東京だけで4千137軒(内輪に見積もって)もあるラーメン店から好みに合った店を『追求』する骨の折れる作業は、すすった汁の味の旨さを発見した瞬間に報いられるであろう。
墨のように真っ黒に「焦げた」『五行(ごぎょう)』の味噌ラーメン(左の写真)、その穴蔵みたいな店を迷いもせずに探し当てた挙げ句の試食だったら、好きになれるのではなかろうか?若し『中華そば井上』のスタンドで、ごく月並みな醤油ラーメンを年配の調理人から出された時でも、すぐ近所の築地の魚河岸で観光客が大枚を出して寿司を味わっていると知っていたら、私は通(つう)と言えるのではなかろうか?若しマクダクストンと私が、どの店も閉まっている雨の日に1キロ以上も歩いて『けいすけ、四番店』に辿り着き、鍋盛りツケ麺にありついたら、それにかぶりつくであろうか?
といった考察を繰り返してみると、それ以外に報われたものがある。私は、悪名高い東京の迷路のような道路をどのようにに歩き廻って目的地に到着できるかを体得した。その間、私の日本語は、ほんの少しだが上達した。そして、私は如何にラーメン党同士が、その生まれ、人種、履歴の如何に拘らず、難しいことでも通じ合うことができることを経験した。私が単に「何を」求めているかを表現しただけで、特定の店を推薦され、その説明を受け、そして「一緒に」と誘われることもあった。
ある夕方、私がソヒィ・パーク(Sohee Park)とチーズ粉まぶしのラーメンを食べていた時、2008年に公開された、ブリタニー・マーフィ(Brittany Murphy)扮する野心的なラーメン調理人が主人公の映画『ラーメン・ガール(The Ramen Girl)』が話題に上った。彼は結論として(私も同感)、「試してみるのは愉しい」ことだった。
「試してみるのは愉しい」だけでは充分ではなかろう。だが東京では、、、この大都会は、しばしば、あらゆる機会が開放されて体験できる反面、しばしば、特殊な社会が閉鎖的で、、、「試してみるのは愉しい」機会はまだまだ未開拓の分野だ。それは固く閉ざされているものを軟化させ、病み付きこだわりの瀬戸際で、45分も無駄な時間を潰したり、「火曜日休業」の札に失望したりすることもある。
例えば、マクダクストンと私が『凪』で食事をした晩のこと。渋谷の雑踏をかき分けていた時、ある若い人々の列が通りにはみ出しているのをチラと見付けた。彼はラーメンを『追求』する欲望に満ち満ちた眼差しで、列のドン尻にいた女性に「何を待っている列ですか?」と日本語で尋ねた。彼女の答えは「エレベーターです。」
ともあれ、我々は『追求』し、渇望して挫けることはない。どこかで我々を待っているに違いない、次に試食するラーメンの丼に素晴らしい味を発見するまでは、一晩中歩き廻っても構わない意気込みだ。
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インターネット案内の一部
◆ Ramenate.com
◆ RamenTokyo.com
◆ GoRamen.com
◆ Rameniac.com
ラーメン店の所在地
★ 頑固がんこ, 新宿区西早稲田3-15-7 電話なし
★ 五行, 港区西麻布1-4-36 ; (81-3) 5775-5566; ramendining-gogyo.com
★ イワン・ラーメン, 3-24-7 世田谷区南烏山; (81-3) 6750-5540; ivanramen.com
★ 新横浜ラーメン博物館, 横浜市港北区新横浜2-14-21; (81-45) 471-0503;
raumen.co.jp/ramen/
★ 斑鳩いかるが, 千代田区九段下1-9-12; (81-3) 3239-2622; emen.jp/ikaruga
★ バサノヴァBasanova (または Bassanova), 世田谷区羽根木1-4-18; (81-3) 3327-4649
★ 中華そば井上 4-9-16 Tsukiji, Chuo-ku; (81-3) 3542-0620
★ 凪, 渋谷区東1-3-1; (81-3) 3499-0390; n-nagi.com
★ けいすけ四番店, 文京区本駒込1-1-14; (81-3) 5814-5131; keisuke
★ 無敵家, 豊島区南池袋1-17-1; (81-3) 3982-7656; mutekiya.com
★ 二郎, 本店、支店の所在地、営業時間などは ramentokyo.com/2007/06/ramen-jiro.html
1 件のコメント:
ここに登場する外人たちの熱中振りには、感心させられました。僕も『試して合点」してみたくなりました。
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