2010年2月26日金曜日

新刊書:『ヒロシマ発、最終列車』

原爆の衝撃、真の恐怖は投下後に

ドワイト・ガーナー(Dwight Garner)
2010年1月19日付け、NYTの書評から


広島と長崎へ投下された原爆を体験した二重被爆者山口彊(やまぐち つとむ:右の写真)が、去る1月4日に後遺症が元で亡くなった。享年93才。二度の被爆は不幸だったが、生き延びたのは幸せ、と賞賛の的になった。

だが、二度も被爆した者、、、広島で被爆し、命からがら長崎へ落ち延び、再び被爆した者は山口彊だけでなく、他に165名もいた。こうした『二重被爆者』の体験話を中心とした記録をチャールス・ペレグリノ(Charles Pellegrino)がまとめヒロシマ発、最終列車(The Last Train From Hiroshima)』というタイトルで著書を書き、最近発行された。これは人々の関心を喚起する貴重な著作である。(下は著者と本)


グラウンド・ゼロという言葉は広島と長崎の原爆投下に語源を発し、以来使われるようになった。あのアメリカの最新型爆弾の洗礼に間近に遭遇し、生き残った人々の幸運には衷心から感謝せねばなるまい。被爆者は正に的確な『時』と『所』に居合わせたのだが、人工または自然の遮蔽物の陰にいたため、ガンマ線や赤外線などの殺人光線や、強烈な爆風に直接曝されず助かったのである。(下の右は広島;昭和20年8月6日;下の左は長崎;昭和20年8月9日

こうした被爆し生き延びた人々は、その体験から体得した知識を発表することを、当初軍部から禁じられていた。アメリカ軍の破壊力を知らせると、負け戦を露呈することになり、日本国民の闘志(もしあったとしたら)を挫かせることにもなる、と戦争指導者たちが怖れたからである。それでも、被爆者たちは体験と知識を秘かに語り伝え、それで救われた人々もいた。

核兵器が何であるかを知らなかった被爆地の人々は、原爆をピカドンと呼んだ。ピカは最初に炸裂した時の『閃光』で、ドンは数秒遅れて聞こえてくる耳をつんざくような爆発音である。『ピカ』を見たら即座にうずくまれば『ドン』の衝撃を受けないで済むかもしれない、という知恵が生まれた。

また、白衣が防御の役に立ったことも判った。ペレグリノの本の中では、或る医者の「女子供たちが柄(がら)のある服を着ていて被爆し、例えば色の濃い花柄だとしたら、その花柄の下の肌が火傷し、消えない烙印となって残された」という証言などが記されている。
その他には、爆撃機 B-29が急降下したり脱出する時、エンジンに荷重がかかり異常な爆音がするので、それは危険極まりない事態を知らせる音だという知恵も生まれていた。

被爆者たちはもっともっと他にも原爆について知った。腕時計の金属が手首に消えない火傷を残し、即座に放射能病に罹った。原爆はいうなれば巨大な電子レンジの役割を果たし、あらゆる金属を灼熱させてしまったのである。


多くの人が、人間が焼け爛れる(ただれる)時の匂いは「まるでイカをコンロで焼いている匂いと同じだ」と証言した。ペレグリノは更に「焼豚の肉をイカと一緒に、、、」とも付け加えて書いている。そして、言うまでもないが、被爆後の後遺症、日本人が原爆症という症状が被爆後もしばしば現れていたことだ。

ヒロシマ発、最終列車は、そうした原爆の脅威の数々を明確に羅列した目録であり、胃弱の人が読んだら腹痛を起すかもしれない。ペレグリノは、廃墟の市街をのろのろと虚ろ(うつろ)に行進する被爆者たちの様をコーマック・マッカーシィ(Cormac McCarthy)著の『ザ、ロード(The Road)』『月よおやすみなさい(Goodnight, Moon)』の叙述に例えている。いわゆるアリの如く歩むワニ(ant-walking alligators)』と形容される被爆者、、、「目が無く、顔が無く、、、黒く焼けたワニのような頭が、口と思われる赤い穴を隠した」男女が至る所で見られた、と描写されている。


筆者は続けて「ワニのような人達は悲鳴も上げなかった。彼らの口は声を出す機能を失っていた。彼らが出す呻き声(うめきごえ)は、悲鳴より聞き辛かった。彼らは、真夏のイナゴが夜中に騒ぐような音を発して、引っ切りなしに呻いていた。一人の男は、焼け焦げた足でよろめきながら歩き、死んだ赤ん坊を逆さにブラ下げて掴んでいた」と書き現している。


ペレグリノが過去に書いた著書にはタイタニック号の幽霊(Ghost of the Titanic)』を含み、生存者の談話だけでなく、日米の飛行士たち、その他数々の関連した話も書いている。また同氏は、映画製作監督、ジェームス・キャメロン(James Cameron)タイタニックや最新の映画アヴァター(Avatar)』などの科学的な裏付けの相談役も引き受けている。


著者が特に犯罪化学的な詳細に神経を使い、原爆の炸裂の状況を、丁寧に、段階的に説明している。それは特に目新しい事実ではないがヒロシマ発、最終列車は、地に付いた、全編を通じて、読者を魅了する当時の回想や文献、そして筆者自身の被爆者インタビューや調査で埋められている。この本は、リチャード・プレストン(Richard Preston)に影響を与えたジョン・ハーシィ(John Hersey)マイケル・クリチトン(Michael Crichton)の作風にも通じ、評判の高い戦時中の歴史文献として異彩を放つ作品である。


この作品は、原爆投下の決定について道徳的な真意を掘り下げてその是非を問うために書かれたものではない。だが、ポール・フュッセル(Paul Fussell)「ヒロシマへの原爆投下の要因である太平洋戦争に関する情報を碌に与えないで、アメリカ人の多くにショックを与え、恥辱感を植え付けた原爆投下は、有る意味では神の救いだ」と主張していたが、ペレグリノがその論説に同調しているわけでないことは確かだ。


むしろ、筆者はあらゆる種類の破壊事実を検討し、そして様々な精神的な面も見落としてはいない。彼はある医師「一般的に被爆者は、悲鳴を上げている人々、あるいは火焔から遠ざかっている人々、そして一緒にいる人々の中の被害者や友達が悲鳴を上げていても、素知らぬ顔の出来る人達だったことが記憶に残っている」と語った言葉を聞き逃さず書き記してある。

その医師の告白:「あの瞬間、火の手が廻って病院に近付いてきた時、その場に踏み止まっていた我々、人々を裏の丘の上に導いた我々が結果として生き延びました。つまり、爆弾から生き延びたのは、ただ運が良かったからでなく、多少なりとも自分勝手で、、、理知的でなく本能的に行動したからです。生存者は誰でもそのことを自覚している筈です。」

冒頭に掲げた『二重被爆者』の山口彊は、核戦争を止めさせる運動計画を推進する組織の一人だった、とペレグリノは書いている。その運動計画とは「母親、、、赤ん坊を自らの胸から乳を含ませている母親だけに、国を治める資格を与えるべきある」と主張していたものである。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
書籍案内:(今のところ、日本語に翻訳出版されているかどうか不明です)
書籍はアマゾンで購入できます。価格は約16ドル。Amazon.com

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

広島、長崎に原爆が投下されてから65年経ちました。幸い、あれ以後原爆はどこにも落とされませんでしたが、不幸にして原爆、核兵器の貯蔵量は増える一方です。どんな狂信者がその『引き金』を引くか予想もつきません。何とかして、人類の不幸が起こらないよう祈るのみです。