2009年11月23日月曜日

二胡の音色に惹かれて

服部 公一(はっとり こういち)作曲家
1985年5月、月刊自労連に掲載された随筆の再公開

1984年(昭和60年)の12月28日大阪のザ・シンフォニー・ホールに於いて二胡(ERHU: アルフー)協奏曲(服部公一作曲)』の世界初演が行われた。(右のイラスト、高橋 経画)

『二胡協奏曲』とは聞きなれない名称であり、一体これは如何なる音楽であるのか-----つまり二胡と西洋式オーケストラの協奏曲である、と言っても説明にはならない。二胡とはそもそも何かということをまず申し上げよう。

二胡(アルフー:左の写真)とは日本伝統音楽で用いられる胡弓(こきゅう)のことである。胡弓は三味線を立ててその三弦を弓でこする弦楽器、、、とでもいったらいいだろうか。中世に中国から渡来し、明治時代まではしばしば用いられた楽器であったが、現在では歌舞伎の効果音楽などでわずかに使用されているだけ、、、それもオバケや幽霊が登場するとき?などに限られている。音が独特で『鼻のつまった猫』の鳴き声のようにミュウ、ミュウと聞こえる。弦を弓でこするということで明らかなように、これはヴァイオリンと同属の楽器であり、学者の説明によると古代西域で発生したこの楽器はヴァイオリンと同系の先祖をもち、シルクロードを経て古代ヨーロッパに伝えられたものと言う。

さて
二胡(アルフー)である。これは二本の弦とその間にはさまって交差している弓と重なっている。胴は大小いろいろあるが直径10センチほどの筒型をしているものが多い。音色はヴァイオリンに似ているが更に高音。中国の民族音楽では琵琶(ピーバ)、揚琴(ヤンヂン)、などと並んで最もポピュラーな楽器である。中国の民族楽器合奏団では、二胡が西洋式オーケストラのヴァイオリンの位置を占め二胡奏者の首席がコンサートマスターをつとめるのである。

1981年(昭和56年)、私は中国音楽家協会の招待により訪中した。この時は北京、上海、西安などを訪問したのであったが、どこの町でも二胡中心の民族楽器合奏団の演奏を聴かせてもらった。そして二胡の演奏法や音色などが、日本の胡弓のそれと似て非なるものであることを知ったのである。


先ず、その音程が正確なことである。次に日本の胡弓の音のようにたるんだ『化け猫の声』とは異なり、実にさっそうとした叙情性をもっていることである。確かにミュウ、ミュウというような奏法もあるが、決してそれが中心の楽器ではなく、ヴァイオリンの演奏機能と同じ程度の難しいフレーズを、二胡で楽にこなしていくのである。


一般的に現代の中国楽器は我々が持っている昔のイメージと異なり、演奏技術の改善と楽器そのものの改良により、驚くほど高度の運動性をもつようになっている。私はこの旅行で二胡の現代性を知り、深く感動し、さっそく上海で二胡を購入して帰国した。

さらにその時面識を得た中国中央民族楽団首席二胡奏者、周燿鞘(シュウ ヨウショウ:この発音は未確認)氏が自著の二胡教則本を送って下さり、それをひもといて、約三日間程独習してみたが、その演奏はとてもとても即席の私の手に負えるものではなかった。


かくして私の二胡演奏独習は文字通り三日坊主となってしまったが、その音色の魅力はさらに私をとらえてはなさなかった。
『逃げた魚は大きい』とか『つれない恋人の後を追う』などの類(たぐい)で、爾来、二胡の音色は私の心から離れず、二胡の音楽を作曲しようという意志は固まる一方、、、かくして昨年(1984:昭和59年)、チャンスを得て作曲、12月演奏となったわけである。

関西フィル常任指揮者、小松一彦(こまつ かずひこ)氏の御高配により二胡協奏曲の初演のめどはついたのであるが、肝心の難問は二胡独奏者である。もちろん中国から、しかるべき名人を招聘(しょうへい)しなければならない。早速私は旧知の中国音楽家協会秘書長、蘇揚(スウヤン)氏に手紙を書き二胡協奏曲の楽譜を送り、人選及び派遣をお願いした。その結果、二胡の名人北京中央音楽院教授である王国潼(ウオン ゴドン)の来日が実現したのである。


しかしこのプロジェクトにおいて、私は二つの大きな失念をしており、そのことにより蘇揚氏他の関係各位にずいぶん御苦労をさせてしまったことを後日知ることになる。


その第一は、五線譜に記載された現代音楽を演奏できる二胡奏者は中国でも極めて少数だけであるということだった。今でも民族楽器奏者の多くは、12345などの数字略譜(これは戦前、日本でもハーモニカなどで使用していた)を使用している。また中国の現代二胡楽曲にはいわゆる現代的な表現が皆無であり、保守的な傾向なのであった。 拙作の『二胡協奏曲』は前衛などではないけれど、それにしても中国人二胡奏者にとっては弾きなれぬ怪しげな音楽、、、という印象はぬぐえなかったようだった。

第二の図らざりし問題は、二胡奏者招待そのものであった。あの当時、日中間の人物交流は、全て政府レベルか、しかるべき団体(例えば日中友好協会とか日経連とか)が責任をもって行っており、私みたいな一介の音楽家が個人の資格で中国音楽家を招待する、などということはあり得なかったのである。


蘇揚氏、在日中国大使館文化部などの御好意により、このプロジェクトはすんなり事が運んだが、振り返って見ると、あの演奏会は個人ペースによる日中音楽家交流の第一号だったかもしれない。王国潼氏がいみじくも述懐(じゅっかい)していたように、以前は二胡片手にたった一人で成田空港に降り立つなんて考えられなかったことであり、これは日中文化交流の大きな進展を実現させたことになる。


『盲、蛇に怖じず』の譬え(たとえ)を地で行ったような私の行為に、もうひとつおまけがついた。 王国潼氏の説によると、服部公一は、非中国人で二胡の芸術音楽を作曲した第一号であり、中国人を含めても二胡西洋式オーケストラの協奏曲を作った作曲家の第一号である、ということになる。(左の写真が進呈予定のCD)

この『二胡協奏曲』は初演以後、中国中央電播台交響楽団により中国各地、香港、シンガポールなど。日本国内で数回、サンパウロ市立交響楽団(ヴァイオリン独奏)、などで演奏されている。アメリカで未だ演奏されたことがないのが残念!
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この『二胡協奏曲』に興味のある方、先着10名様に、CDを無料で進呈いたします。これは服部先生のご厚意によるものです。但し今回は不可解な規則のため、アメリカ在住の方に限ります。

CDに含まれている曲目

♬ 二本の笛の対話
:[4楽章]
♬ 弦楽のための2楽章

♬ ソナチネ『わらべうた』[3楽章]

♬ 古新羅人讃
♬ 嬉遊曲:12声部と二つのチェロのために
♬ 協奏曲:二胡[3楽章]


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1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

『百聞は一見、、、』でなく『百見は一聞、、、』で、何故服部公一先生が『二胡の音色に惹かれた』のかは聴いてみないと判りません。