2009年11月11日水曜日
読書はエレクトロニックスで?
細々ながら出版を営んでいると、それなりの情報が入ってくる。私が出版している本は、ネット通販アマゾン・ドット・コム(Amazon.com)を通して販売しているが、一年ほど前に同社から「貴社の出版物を電子化しませんか。売り上げが飛躍的に伸びます」という謳い文句で『キンドル(Kindle)』と名付けた掌中に納まる大きさのコンピューターの一種を売り込んできた。
『キンドル』は厚さ9ミリで290グラム、ネットに無線で接続し、既に電子化された20万冊の蔵書から好みの書籍を9ドル99セントでダウンロードできる。2ギガバイトのメモリーを内蔵しているから1500冊分の書籍が収納でき、新聞、雑誌を定期購読すれば自動的に配信される。今年の2月には、第二世代に改良された『キンドル2』が登場した。最近では日本を含む100カ国以上で販売するという意気込みだ。今のところ英語一本やりだが、日本語版ができるのは時間の問題であろう。アメリカでの小売り価格が269ドル、日本での価格はほぼ同じで約2万5千円となっている。
私は『キンドル』の性能にすっかり魅了された。ただし出版者としてでなく、読者としてである。通勤の電車の中で、旅行中の汽車や飛行機の座席で、よく本を読んだ。従来の本の難点は重くかさばることだ。その難点が、たった290グラムの『キンドル』で解決、1500冊もの書籍を収めて持ち歩ける、とは夢のような話である。
だが待てしばし、冷静に他の可能性を考えてみると『キンドル』にも難点がある。私の「本作り」ではイラストや写真が欠かせない。「絵は言葉を視覚的な理解を助け、言葉は絵だけでは伝え切れない意味を明確にする。従って、言葉と絵が両立することによってより明快なコミュニケーションが可能となる」というのが私の信条である。『キンドル』の性能書きに『絵または写真』の表示について触れていない。更に色彩豊かなグラフィック本や児童向け絵本はどうなのだろうか?今の所『キンドル』はモノクロの文字を表示する性能だけが特長のようだ。
私の『キンドル』熱は急速に冷めたが、出版業界の一部では熱気が上昇しているようだ。
一例が、アーネスト・ヘミングウェー(Ernest Hemingway)やスティブン・キング(Stephen King)の著作を出版したことで知られるサイモン&シュースター社(Simon & Schuster)では、マルチメディアの組織と提携して文字を電子化し、ネット、アイフォーン(iPhone)、アイポッド・タッチ(iPod Touch)などで読めるヴック(vook)と名付けた新しい出版物を4冊発行した。
9月の始めには、テレビで人気番組『CSI』の創作者アンソニー・ズゥカー(Anthony Zuiker)が『レベル26:暗い起源(Level 26: Dark Origins)』という小説を出版、それを電子化し、またその聴覚版も作り、読者は彼のウェブサイトで予告編を見たり聴くことができる。
近年の出版業界が書籍の電子化に移行しつつある現象は、明らかにテクノロジーが及ぼした影響である。アマゾンの『キンドル』だけではない、ソニーの『リーダー(Reader)』も人気を獲得しつつある。いずれも従来の書籍の体裁を踏襲しているが、サイモン&シュースター社では更に一歩進めて、電子化だからできる特長も付加させている。例えば、美容体操、化粧法、ダイエット食のような題材には、本文の他にビデオで動きを眺めることもできる。同社は文学にもビデオを付加する計画をもっている。
ロマンス小説の人気作家ジュウド・デヴェロウ(Jude Deveraux)は最近作のヴック『プロミシズ(Promises)』で、時代的な南カロライナ州の大農園の状景をビデオに収めて付けてある。彼女は、将来の作品には音楽や匂いなど五感の全てを入れてみたい、と意欲満々だ。
また更に、社会がネットワークで連携しているテクノロジーを利用して、読者の反応を直接に把握できるという利点もある。 ハーパー・コリンズ(HarperCollins)で最近発行した青年向けの連続ミステリー『アマンダ計画(The Amanda Project)』では、読者に謎解きの挑戦をしている。こうした読者参加を呼びかけて、その意見に強い影響力があった場合は、本来の筋書きを外れてプロットが展開する可能性もある。同社、児童書部門の出版責任者スーザン・カッツ(Susan Katz)は「大きな読書クラブなどに著者がリーダーとして出席し、読者の声に耳を傾け、意見を尊重する場合も起こり得る」と予測している。
かくの如く、書籍の電子化に伴う可能性は限りなくふくらんでいるが、一方で懐疑的な見方もある。
Rjグラナドス(Granados)は「華々しいおマケ付きで、本(文学)の内容が向上するとでも思っているのだろうか」と厳しい。
ハーヴァード大学(Harvard University)図書館のディレクター、ロバート・ダーントン(Robert Darnton)はその著書『書籍について:過去、現在、そして将来(The Case for Books, Past Present and Future)』の中で「読書法が時代によって変遷しているが、必ずしも向上しているとは限らない。そうでなくとも、ある一部の不滅の作品が失われたことを嘆いているのに」と書いている。
また『青いドレスを着た悪魔(Devil in a Blue Dress)』の著者ウォルター・モスリー(Walter Mosley)は「私は小説家として、決して決して散文をビデオに置き換えさせない。『読書』は、我々が外的に関わる僅かにして貴重な体験で、その過程で認識能力が成長する。テレビを見たり、コンピューターを玩ぶことは、我々の認識能力を退化させる行為に過ぎない」と断言している。
ところで、このブログもエレクトロニックスによる読み物であることをお忘れなく。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
1 件のコメント:
従来の本が持つ質感、、、紙質、ページめくり、体裁、など、捨て難いですね。
コメントを投稿