2009年7月22日水曜日

武力で平和はもたらせない


[『ナイン・イレヴン』と言うと、他でもない2001年9月11日の同時多発テロのことと、今日では日常語になっています。テロはもちろん暴力行為の一種です。当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュとその閣僚は、多くの反対を振り切って軍隊をアフガニスタンに送り、核兵器と大量殺戮兵器を保有しているという確証もない名目でイラクに侵攻しました。これは「目には目」の武力行使で暴力行為の一種です。延々8年にわたり敵味方に一般人を含む人的や物的の犠牲を続出させ、未だに平和とはほど遠い現状です。武力で平和をもたらすことができなかった悪例です。

では暴力に出会った時、暴力以外で立ち向かう方法があるのでしょうか?答えは『否暴力』。[註:日本では『non-violent』を『非暴力』としているが「暴力に非ず」でなく「暴力を否定」という意味を強調したく敢えて『否暴力』とした。]

西暦が始まった頃イエス・キリスト(Jesus Christ)がそう教え、2000余年間、その教えが伝えられてきました。


近世ではインドのガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi:左の写真はサンフランシスコに建てられた銅像)が、イギリスの暴力的植民地政策に対して否暴力で反抗し、遂に自由を獲得しイン
ドは独立しました。

アメリカ南部の黒人たちは、人種差別という政治的な暴力に抗議を唱え、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア(Dr. Martin Luther King, Jr.:右の写真)の指導の下に否暴力で抗議した末、公民権を獲得しました。 残念ながら、キリストは十字架に懸けられ、ガンジーもキングも銃弾に殺されました。しかし、彼らの教えは死なず、綿々と人々の間で生きているのです。]


キリスト教徒平和樹立チーム(Christian Peacemaker Teams: CPT)の信条
に関する論文は、ジェームス・サターホワイト(James Satterwhite)の研究によって作成された。サターホワイトは1960年代から70年代にかけて11年間日本で育った。日本語は冗談も含めて話せるが、読み書きは苦手のようである。政治学を専攻し、長年オハイオ州ブラフトン大学(Bluffton University)で歴史政治学の教授を務めていたが、身体障害のため目下引退し療養中である。
サターホワイトは戦争に反対の立場をとるフレンド派(クエーカー)の会員として、同様な教義をもつメノナイト派(Mennonite: 日本ではメノー派と呼んでいる)に興味を持ち研究を始めた。同様な教義とは「幼児の洗礼は無用」、「宣誓はしない」、「兵役は拒否する」などの
共通点である。 この論文は『平和と転換(Peace & Change)』誌、2006年4月号に掲載された。以下、論文の冒頭に掲げられた梗概をご紹介する。

梗概
「この論文はクリスチアン平和樹立チーム(以下CPT)の創設と運動の底を流れている理論的な信条を考察したものである。まずCPTと同様な活動を推進している他の団体との比較をし、そこからCPTが、発展的なメノナイト派の平和宗教学から開発してきた行程を分析し、新しい宗教学を具現させる重要性を提示するものである。論点は更に、CPTの活動意義が(国家間の摩擦に)否暴力の態度で仲裁に入ることによって、武力のみが(問題を)『解決する』という迷信的な仮説を切り崩そうという信条の核心を考察する。そして最後に、否暴力の介入を実践したCPTの各人が、そうした行動が必ずしも早急にして明白な『結果』をもたらしてはくれないという現実にしばしば直面しても放棄せず活動を続けている原動力は何なのか、という疑問を投げている。」

[お断り:当初、サターホワイト論文の重要性を考慮し、全訳文をご紹介する計画でしたが、長文(原稿紙20枚ほど)なので割愛し、その代わり興味のある方には添付のPDFを保存して頂き、原文で読んで頂くことにしました。お手持ちのコンピューターに『PDFリーダー(Adobe Acrobat Reader)』が備わっていなかったら、Adobeのサイトから無料でダウンロードすることができます。でもその前に、ご自分のシステム(WindowとかAppleのバージョン)を確認しておくことをお勧めします。]

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

無条件で賛成です。
戦争は憎しみをエスカレートさせるだけです。歴史や現実が証明しています。