閃光の記憶
(A Flash of Memory)
三宅一生(みやけ いっせい)
7月13日付、ニューヨーク・タイムス紙への寄稿
(A Flash of Memory)
三宅一生(みやけ いっせい)
7月13日付、ニューヨーク・タイムス紙への寄稿
[日本語で書かれた原稿が英訳され、それを再び日本語に戻す『重訳』ですから、原文のニュアンスと異なる部分があるかも知れませんが、筆者の感情や主張は再現できたと自負しております。高橋]
去る4月、オバマ大統領は、核兵器のない世界の平和と安全を探求することを公約した。彼は単に(核兵器を)縮小するだけでなく、廃絶することを呼びかけた。彼の声明は、今日まで口にするのをためらっていた私の心の奥底に潜んでいた何かを呼び覚ましてくれた。
多分過去には考えられなかったが今だからこそ、オバマ氏が言う『閃光(flash of light)』から生き残った一人として、個人的にも道義的にも発言する責任がある、と私は自覚した。
1945年(昭和20年)8月6日、(人類の歴史始まって以来)初めての原子爆弾が私の出身地広島に投下された。その時7才だった私は、その場に居合わせた。今でも私は瞼を閉じると、誰も体験したことがなかったその光景が浮かんでくる:まばゆい赤い閃光、それに続いて沸き上がる黒い雲、散り散りに必死で逃げ惑う人々ーーその全てを憶えている。その日から3年も経たない内に私の母は放射線症で死亡してしまった。
以来、私はあの日の記憶や思考を人に語ろうとしなかった。私はその記憶を過去に押しやって忘れ去ろうと、思い通りにはいかなかったが試み、破壊でなく創造し、美や歓びをもたらす何かに集中しようとした。そして近代的で楽観的な創造形式であるという理由もあって服飾デザインの世界に魅せられて没頭した。
私は自分の過去(原爆体験)で自分を位置づけようとしたことはなかった。私は「原爆で生き残ったデザイナー」というラベルを付けられたくなかったから、常に広島に関わる質問を意識的に避けてきた。そうした話題は私を不快不安にさせたからである。
しかし今、もし我々が世界から核兵器を排除しようとする気なら、私はその話題は討議されるべきだと自覚するようになった。広島では8月6日ーーあの悲劇的な破壊を記念する日ーー世界平和デーにオバマ氏を招待しようという運動が起こっている。私は彼が招待に応じることを望む。私の願いは過去にこだわるのではなく、アメリカの大統領が、将来核戦争を地球上から排除することを目標に世界に訴える姿勢を示してもらいたい、という気持ちから起きたものである。
先週、ロシアとアメリカが核兵器の縮小に合意し署名された。これは重要な出来事であった。しかしながら、我々はこれで安心する訳にいかない:一個人あるいは一国家が核戦争を止めることはできない。日本に住む我々は日夜常に隣国の核保有国北朝鮮の脅威に曝されている。他の国々でも、核テクノロジーを入手したという情報がもたらされている。世界中の人々が何らかでも平和への希望があるなら、オバマ大統領の発言に和して発言する時ではなかろうか。
もしオバマ氏が広島の平和橋を渡ることができたらーーそのらんかんは日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチの作品で自身が東西双方を結び、人類がお互いに憎しみを忘れて(平和を)成し得るという思いを込めて創造したものーーそれは現実的にして象徴的、核戦争の脅威のない世界を築く一歩でもある。その一歩毎に世界平和が近付いてくるのだ。
1 件のコメント:
核兵器の廃絶だけでなく、護身用といわれる銃砲もこの際廃絶できたら世の中はもっと住み易くなるでしょうね。
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