2009年7月20日月曜日

報道の声、ウォルター・クロンカイトの死

アメリカのテレビ報道ではアンカーマンの先駆者のウォルター・クロンカイト(Walter Cronkite)(上の写真中央)が去る7月17日、痴呆症の併発により自宅で亡くなった。享年92才。

クロンカイトは1962年から1981年まで国家的な朗報や悲報を毎晩茶の間に送り続けていた。その中にはケネディ大統領の暗殺、1969年の宇宙飛行士ニール・アームストロング(Neil Armstrong)の月面歩行ベトナム戦争その他、後世に残る歴史的大報道が多数含まれている。彼の報道振りは、むしろ穏やかで淡々とした落ち着いた口調で視聴者を素直に納得させる力があり、多くの人々にとって『父性的』な存在だった。


そうした特性をもって、彼が担当していた『CBSイヴニング・ニュース』時代には『アメリカで最も信頼のおける人物』という賛辞と共に国家的な地位を与えられたのである。

朝日新聞の天声人語子は「W・クロンカイト氏の名を知る日本人は多くないかもしれない、、、」と前置きした上で、クロンカイトの功績を讃え、「稀有(けう)な放送人だった」と結んでいる。

クロンカイトは1981年、65才で引退したがその後25年に亘って報道関係の仕事を続けていた。彼の90才の誕生日には、ディリー・ニュース紙のインタビューに応えて「私は今でも報道の仕事をする能力があると思うよ」と語っている。


[クロンカイトの経歴その他について詳しいことは報道機関や自叙伝に譲るとして、ここで彼のハイライトとも言えるアルバムを披露する。資料はニューヨーク・タイムス紙その他から頂いた。]

テレビに登場する以前、クロンカイトは新聞やラジオを通じて報道を担当していた。これは1930年代、ミズーリ州カンサス市のKVMOラジオ局で働いていた頃の写真。同局の報道が軽薄だと批判して解雇された。

1952年、民主、共和両党の全国大会の報道をCBSが先取りし、クロンカイトが担当した。選挙運動をテレビで中継した先駆け。

同年、ハリー・トルーマン大統領(Harry Truman)をインタビュー。クロンカイトはフーバー大統領(Herbert Hoover)以来、全ての大統領をインタビューしている。

第二次大戦中ノーマンディ侵攻上陸作戦(1944年)の参謀長だったドワイト・アイゼンハワー大統領(Dwight Eisenhower:1953年〜1961年)と共に、記念すべき激戦地を再訪問。

1960年代の初頭、CBSで。 1960年代CBSの報道員として。厳しい報道者たちの中で最も柔和な雰囲気を持っていた。

1963年9月、ジョンF.ケネディ大統領(John F. Kennedy)をインタビュー。大統領はこの2ヶ月後に暗殺された。

1963年11月22日、ケネディ暗殺の報道中、不覚にも涙を流した。いつも沈着なクロンカイトは個人的な感情を公共の場で見せたことがなかった。

1964年11月、選挙が済んだ後CBSの報道アナウンサー達が一堂に集まった。左から:ハリー・リーズナー(Harry Reasoner)、ロジャー・マッド(Roger Mudd)、エリック・セヴァレイド(Eric Sevareid)、マイク・ウォレス(Mike Wallace)、ロバート・トラウト(Robert Trout)、そしてクロンカイト

1968年、クロンカイトはベトナム戦線に赴き、泥沼化した戦況の和平交渉を訴えた。この報道を見ていたリンドン・ジョンソン大統領(Lyndon B. Johnson)は「もしクロンカイトがベトナムで若しものことがあったら、アメリカの中核を失うことになる」と大いに心配していたと、大統領の補佐をしていたビル・モイヤー(Bill Moyers)が伝えている。

1977年、クロンカイトがイスラエル首相ベギン(Menachem Begin)と、エジプト大統領サダト(Anwar el-Sadat)等と対談。

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