高橋 経(たかはし きょう)
「もったいない」は私の亡母の口癖だった。未亡人の母親(私の祖母)に育てられた母が、限られた収入で生きる難しさを身を以て体験し、衣類から食料に至るまで出費を節約し、モノを大事にせざるを得ない生活を余儀なくされていた環境から発露した言葉である。
その母の口癖による感化もさることながら、私が育ったのは1930年代(昭和ヒト桁時代)、当時の日本が軍国主義を推進していた時代で、その膨大な軍事予算のしわ寄せで、国民全部が『質素、倹約』を道義的な信条とすることが要求されていた。小学校では昼食の前に先生が「米はお百姓達の労働と汗の結晶だから、感謝して一粒も残さず食べなさい」といった趣旨の言葉を生徒と共に和して宣誓したものだ。今で言う『リサイクル』なる廃品回収、再生も学業の一部だった。太平洋戦争の末期には国民の殆どが乞食のレベルまで下がる程の貧困生活を味わった。1945年(昭和20年)、戦争に敗れて、そのレベルは更にどん底にまで落ち込み、インフレの追い打ちで貨幣の価値は低下し、好まずして赤貧洗うが如き『質素、倹約』の日々を過ごしていた。
1950年代になると、焼け野原だった都市はどうやら復興し、日本人の生活はいくらか人並みのレベルに向上した。私の仕事も収入も水準以上となり、身なりを整え、美味な食事を楽しみ、いささかの社交生活で付き合い酒などをたしなむようになった。その一方で、「もったいない」根性は常につきまとい、モノを捨てられず、食事中の皿、茶碗、小鉢は何も残さずに平らげる習慣が今だに残っている。それはそれで悪いことではなかったのだが、折りも折、アメリカの『消費経済』観念が導入され私を少なからず混乱させた。私は自分が育った環境と根本的に対照的な『消費』を促進することによって国の『経済』が成り立っているアメリカの社会現象に戸惑い、そして心密かに羨望し憧れてもいた。
1963年(昭和38年)、その「憧れ」からでなく職業上の理由で渡米し、爾来46年経過した。その間4年程帰国したことがあるが「住めば都」でアメリカに落ち着いてしまった昨今である。
1990年の初頭、デトロイトの郊外に住んでいた私は『消費経済』の国で「もったいない」、「捨てられない」根性が捨て切れず、吾が家の棚を次々と増やし、納戸を仕切り、押し入れを改造し、物置きを3棟も庭に建て、捨てずにとっておいたモノ全てを整理整頓して保存し、その後も増え続けるであろうモノの収納の準備をしていた。
やがて、ある日、私はそうした『収納』計画に我ながら呆れ果て、限界を感じていた。そして天啓のように、質素で単純な生活の重要さを教える本に出会った。その本はデュエイン・エルジン(Duane Elgin)が書いた『自発的な簡素生活(Voluntary Simplicity右の写真)』で、消費経済と全く対立する考え方がアメリカに存在することを知らされて愕然とし、同時に『救い』を感じたのである。
パック・ラット(pack rat)
モノを捨てられないで仕舞い込む人々は、物資不足時代に育った日本人の私だけではなく、豊かなアメリカにも『パック・ラット』と呼ばれて存在している。本来パック・ラットは北米のウッド・ラットという名の食料などを巣に溜め込むネズミの一種である。[英和辞典によると米俗語として「こそ泥」とあるが、これは誤訳のようである。]こうした人々は、時折溜め込んだモノを処理したくなるのであろう、換金も兼ねて『ガレージ・セール』とか『ヤード・セール』と銘打って前庭やガレージにモノを並べて売りに出し、通行人の多くが気軽に立ち寄って品定めをする、といった伝統的な風習である。
隣人がヤード・セールをした時、私は便乗して不要になったモノを売ってもらった。買い手も『掘り出し物』を見付けることがあり、売買双方にとって利便となる。買い手の中には本職の古物商も混じっていて、私から高級だったが旧いゼンマイ仕掛けの腕時計を買い取ってくれた。
しかし、このヤード・セールには反対論がある。 テレビの経済講座で女性に人気のあるスージ・オーマン(Suze Orman左の写真)は「自分のガラクタを他人に転嫁(てんか)する行為に熱中する位なら、慈善団体に寄付した方がマシだ」と厳しい。私もいつかヤード・セールをしようかと考えていた矢先、それを聞いた時「ガラクタの転嫁」は兎も角、一日中店番で暇つぶしをするよりマシだと思い立ち、一年に一度使うかどうか判らない品々、例えばゴルフ道具などをまとめて、救世軍(Salvation Army)に寄付してしまった。ガラクタが減ったばかりか、気分も晴れ晴れとすっきりした。
慈善団体は、その他にもグッドウイル・インダストリー(Goodwill Industry)、セント・ヴィンセント・デュ・ポウル(St. Vincent Du Paul)、ハビタット・フォー・ヒュマニティ(Habitat For Humanity)などがあることも判り、その後もせっせとモノ減らしを心掛けている。
廃品再生(リサイクル)の回収はアメリカでも軌道に乗り、都会では家の前に出しておくとトラックが来て回収してくれる。私のように田舎に住んでいると月に2回、回収トラックが8キロ先の村役場の裏に半日駐車している間に、こちらから届けなければならない。それでも「モノが捨てられない」私にとっては『廃品再生』と同時に『寄付行為』に次ぐ善行に思え、せっせと運んでいる。
前衛美術「もったいない(Waste Not)」展
かくして私は、残り少ない余生は『簡素、単純な生活を』と目指しているが、最近ニューヨークのミュージアム・オブ・モダン・アート(Museum of Modern Art)で「もったいない(Waste Not)」と題した特別展が開催されていることを知って唖然とした。
作者(?)は、前衛美術家で知られる中国人ソング・ドング(Song Dong)で、北京に住んでいた彼の母親(Zhao Xiangyua)の遺品を並べた美術展である。彼女は1938年生まれで去る1月、71才で亡くなった。その60年余りの存命中、市内の小さな家に夫と二人の子供と住み、生活必需品その他−−−衣類、書籍雑誌、台所用品、化粧品、学用品、買い物袋、食器、人形などなど−−−を使用し、再使用し、その全てを例外なく仕舞っておいた。 何はともあれ、その展示された品々の一部をご覧あれ。
衣類や履物、どの家庭にもこの程度の備えはあるであろう。しかし、鍋食器類はこれほどの数が必要だったかどうか疑問に思う。
まさにガラクタ、動かなくなった腕時計もあるだろう。ボタンを収集する人は珍しくはないが、保存する価値があるのだろうか。
1960年代に、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)がありきたりの商品パッケージをそのまま画面に転写し、モダン・アートの天才と騒がれていたことを思い起せば、ガラクタを並べたものが『芸術作品』(上の写真)と言い得るのであろうが『簡素、単純な生活』を目指している私としてみれば誠に不可解で複雑な心境である。
この展示を芸術と納得するか否かは読者の判断にお任せする。
1 件のコメント:
簡素な生活をすることは社会的な責任でもある。一例が石油問題。かつては、ガソリンの埋蔵量は無限だと信じられていた。ガソリンの無駄遣いは消費者の出費を増やすだけでなく、二酸化炭素を大気中に不必要に放出し、地球の温暖化を促進することになる。燃料を節約するのも社会的責任の一端であることの好例である。
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