ナタリー・アンジァ(Natalie Angier)
2009年11月9日付け;NYTの評論から
2009年11月9日付け;NYTの評論から
誰でもお馴染み『3匹の子豚』の話。3匹の内、最初の子豚は藁の家、次の子豚は木造の家、そして最後の子豚は煉瓦の家をそれぞれ建てた。豚を餌食と狙うオオカミは、難なく藁の家と木造の家をブチ壊し、2匹の子豚たちは命からがら煉瓦の家に逃げ込んだ。オオカミは煉瓦の家を壊そうとしたがびくともせず、子豚を諦めて立ち去った。そこまでの話は誰でも知っているが、その後日談で、賢い子豚が窓の外に凹面鏡を取り付け、外来者が見えるようになり、安全を強化したことは余り知られていない。本当の話だ。
最近発行された『動物の習性(Animal Behaviour)』誌に、研究家の調査結果が発表されている。それによると、飼育されている豚は鏡がモノを反射することを理解し、鏡を覗きながら自分の環境を知ったり、食べ物を見付けたりする知恵を持っているということだ。だが、果たして豚が鏡に映っている己の顔を「自分である」と認識しているかどうか、調査専門家たちはまだ確証を掴んではいない。また知能程度の高さを示す『鏡に映った自己認識度テスト(mirror self-recognition test)』に合格したサル、イルカ、その他の動物と比べて豚の認識度の高低を示す数字は今のところない。
私は声を大にして問いたい。なぜ豚が時間をかけて鏡を覗き込んで歯並びを調べたり、べちゃくちゃお喋りしながら髪を梳いて、自己陶酔に浸る道具として鏡を使う必要があるのだろうか?
豚と鏡のことは、豚の自己認識に関する初期的な研究調査で発見されたいくつかの性癖の一つに過ぎない。他の専門家は、豚が食べ物を他の仲間に知られないよう秘密の場所に貯えておき、その場所を鮮やかに記憶していると報告している。例えば、豚Aが、食べ物を隠している豚Bの秘密を察知した場合、豚Bは直ちに豚Aに尾行されていることを知り、道のりを惑わして隠し場所を安全に保たせる術を使う。
調査員たちは、豚がサーカスの曲芸とも言える新しい行動:例えば輪の中を飛び越える、二本足で立ち上がってお辞儀をする、ぐるぐる廻り、言葉のような声を出す、巻いた絨毯を広げる、羊を追う、檻の扉を開閉する、ジョーイ・スティックを使ってビデオ・ゲームで遊ぶ:などなどを直ぐに修得する能力があることを発見している。そして善かれ悪しかれ、豚は一旦覚えたことは中々忘れない。ブリストル大学(The University of Bristol)のスザン・ヘルド(Suzanne Held)によると「豚は新しく教えたことを一回で修得し、それをずっと忘れません。その反面、豚が一度でも恐ろしい目に会うと、その恐怖から逃れるのは難しいようです」ということだ。
研究者たちが、どんなに新しい豚の鋭敏さを発見しても、一般の反応は相変わらずだ。人々は「そうでしょう。豚は利口なんですよね」と言うのが精一杯だ。セント・アンドリウス大学(The University of St. Andrews)の進化心理学を教えているリチャード・バーン教授(Richard W. Byrne)は「誰か動物に興味があるなら、豚よりヒツジかヤギの研究を私はお奨めします。そうしたら、ご自分の研究対象の動物が賢いのにびっくりした、ともっと気楽に言えるでしょう」と言う。彼は内心の不満を抑え「もし知能の進化や社会への順応性を理解したかったら、人間とは余り関わりのない(むしろクジラやカバの従兄に当たる)豚のような動物を調べることが重要な課題です」と訴える。
本論に移ろう。先週、生物学者の国際チームが、赤味を帯びた毛皮が特長のデュロック(Duroc breed of Sus scrofus)種をつくる遺伝法則の完全なセット、豚のゲノム(Genome: 配偶子または細胞核の中にある染色体の一組およびその全遺伝情報)連続順に関する初期の草案を発表した。これをイリノイ大学(The University of Illinois)のロウレンス・シュック博士(Dr. Lawreence Schook)が簡明に「豚のゲノムは人間のゲノムと無理なく対応する」と説明している。シュック博士は、同大学のアーバナ・キャンペーン(Urbana-Campaign)のチーム・リーダーの一人である。
彼は「1億年以上もの昔、豚の先祖と人間が分岐して以来、(ゲノムの)特に大きな部分は、殆ど変わらず完全な形で伝承されています」と語る。博士の興味は、人間と豚の間には、心理的にも習性的にもそれぞれの並行線を辿ってきているのがゲノムに見られる点に注がれる。豚の心臓は人間の心臓に類似し、豚の化学的な新陳代謝は我々と同じ、豚の歯は人間の歯に似て、両者の習性も例外ではない。シュック博士は「豚を観察していると、人間の日常生活の悪癖まで身に着けるのではないかと思います。豚は他を騙すことができ、機会さえ与えられれば酒も呑むでしょう。タバコも吸ってテレビを見続けるかもしれません」という可能性を信じている。
豚が野生のイノシシだった頃に、アジアやヨーロッパで人間に飼われるようになってから、少なくとも8千年は経っている。豚を家畜にすることは易しかった。豚はゴミ捨て場に集まってくる習性があったからだ。シュック博士は「豚を捕えるのは難しいが、厨芥を捨てておけば、彼らは森から出てきて厨芥から食べ物をあさりにきます。我々の先祖は、その光景を暫く眺めていて、豚を捕える代わりに、集まった豚の廻りを垣根で囲ってしまったのです」と説明する。
豚は間断なく消化作業を続ける動物である。バーン教授は「豚は我々が捨てたものを食べて生きています。我々の残り物を豚は素敵な肉に変えてしまうのです。豚肉は世界中で一般的な食肉で、ある国では通貨としての価値にもなります。ニューギニアの一地方では、豚乳まで飲んでいる位です」と語る。
もちろん、豚肉を誰でも歓迎するとは限らない。調査研究家たちの中でも家畜の豚は敬遠する人々がいる。ヘルド博士(Dr. Held)はその一人で「私はドイツ人だからソーセージは大好き。でも豚肉は野生でない限り食べません」と一線を画す。
とは言うものの、家畜の豚でもイノシシ時代の賢明さは受け継いでいる。バーン教授は、豚の知性は進化の過程で、社会性や食品の面で霊長類の賢明さを体得している、と分析する。野生の豚は長期間に亘るグループ社会に生きていて、個々がそれぞれの消息を把握し、外敵から守る手段まで講じている。彼らは食料源を求めて集まり、サルが手を使うように鼻を巧妙に扱う術を心得ている。
ケンブリッジ大学(The University of Cambridge)のドナルド・ブルーム(Donald M. Broom)は、サルが鏡を使って食料を見付けるのを見て、豚が同じように『査定評価の知覚(assessment awareness)』を持っているかを調べてみることにした。先ず、生まれて4週間から8週間までの豚を7匹、そこに一日5時間だけ鏡を置き、彼らの反応を観察してみた。子豚たちは鏡に対して興味津々、鼻面を鏡に向け、ためらいながら、鳴きながら、近付き、鏡の表面に鼻をすりつけ、映っている己の姿を角度を変えて眺め、鏡の後ろを覗いてみたりした。次の日、鏡を或る程度理解した豚のねぐらの前に置きかえると、鏡に向かって挨拶でもするようにブーブーと鳴いた。
次に、調査員たちが鏡を囲いの中に立て、餌のボウルを豚たちからは直接見えず、鏡の反射でしか見えない位置に置いた。鏡の体験をもつ豚たちは、鏡の中に映っている餌入りボウルの虚像を見て、平均23秒以内で振り返り、実際の餌のボウルを見付けた。鏡の体験のない豚たちは、鏡の後ろを探し廻っていた。
言うまでもなく、餌のボウルが見付からないで失望した豚たちは、ヤケ酒をあおり、ソファに寝そべって、テレビを観ることにした。
1 件のコメント:
子供の頃知っていた豚の印象は、泥だらけで汚ならしかった、という記憶が強く残っている。どうやら、あれは、飼い主が綺麗にしていなかったためらしい。豚が清潔好きだという説も聞いたことがある。
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