[はじめに:つい先日、日本で使われている英語のことを論じたばかりで、片仮名英語を使うのを憚りますが、日本では最近『ホームレス』という言葉が市民権を獲得したようです。日本語には『宿無し』とか『無宿者』というれっきとした言葉があるのですが、『浮浪者』とか『旅ガラスの渡世人』にも通じる日陰者のイメージが付きまとうからでしょうか。では『ホームレス』が日当りのよい人々のイメージかと言えば、つまる所は『宿無し』であることには変わりありません。強いて『ホームレス』が『宿無し』とは異なるとするなら、政治経済や社会問題の産物である点でしよう。
さて、タブチさんは探訪した主人公の名前を明示していました。当人の写真も掲げていたことですから本名だと思いますが、編集しながら同情を禁じ得なかったので『ナカムラ・タロウ』と仮名にし顔にマスクを掛けました。もしどなたかが『ナカムラ・タロウ』さんでしたら全くの偶然ですからご放念ください。]
東京発:ナカムラ・タロウは東京のある大学で経済を専攻し、法律家になるべく懸命に法律学校への受験勉強に熱中している。 ナカムラは、大学卒業以来、大企業に就職する機会を失い、有り合わせの半端仕事に就いていた。いすず自動車の組み立て作業、パチンコ屋の警備員、宅配会社の配達人、など転々としている内に40才になってしまった。収入が不安定な上、昨年のクリスマス時期に半端仕事まで途絶えてしまった。そこで、思い切ってアパートを引き払い『カプセル・ホテル』に移ることにした。
そもそも『カプセル・ホテル』とは、深夜まで残業または飲んだくれて終電に乗り遅れたサラリーマンが、翌朝まで仮の寝床として利用する必要を満たすため、20年ほど前に生まれた新商売である。バブル崩壊の兆しが見えた時代だった。宿泊代は一晩2000円前後、タクシーを飛ばして帰宅するよりは安上がりだということで繁盛した。その客筋が、2年程前から急に変化してきた。『一夜の仮寝』客でなく、月決めの宿泊客が三分の一を占めるようになった。言うまでもなく、景気後退のあおりを受けた失業者の増加によるしわ寄せである。ホテル側も長期滞在客には何がしかの割引きをし、客の出入りにも従業員に「いってらっしゃい」、「お帰りなさい」と挨拶をさせるよう心掛けているようだ。
『カプセル・ホテル』に移ることにしたナカムラの判断も、心許ない所持金をいくらかでも長持ちさせるための非常手段であった。月決めで5万6千円(640ドル)、決して安い金額ではないが、前金なし、光熱費込み、清潔な敷布、共同風呂やサウナの使用などが含まれているから、アパート住まいより遥かに節約になる。
『寝床』のカプセルはプラスチック製、間口5フィート(1.5メートル)、奥行き6.5フィート(2メートル)、棺桶と大差ない。勿論内部で立ち上がることはできない(上および上右の写真)。それでも電灯、イヤフォーン付きの小型テレビ、洋服掛けフック、薄い毛布に籾殻入りの固い枕が備えてある。入り口にドアはなく、ブラインドを下げて閉じるだけだ。着替えや洗面道具などを置くスペースはないから、他の所持品と共にロッカーに格納する。(左の写真)
「寝るだけの場所です。もう慣れましたよ」首の筋をほぐすように回し、黒いスーツをはたきながらナカムラは呟く。他に持っていた衣類は仕舞う場所がないので処分した。
そこでナカムラが安眠できないとしたら、狭いカプセルのせいというより不況の社会に対する不安からであろう。或いは、プラスチックの薄い壁を通して隣の咳払いや壁に当たる体の音が耳触りになるからかも知れない。しかしナカムラ自身は、この生活をいつまで続けられるか判らないが『カプセル・ホテル』を利用できるだけでも、失業者の中では比較的恵まれている方だと思っている。
その他ソファがある共用の部屋、カフェテリア食堂(右上の写真)、洗面用の流しがある。ナカムラは三食、自動販売機から飲食物を買い求め、ラップトップ・コンピューターでメールの送受信を確かめ、インターネットの求人サイトを調べている。(左の写真) 喫煙は禁じられていない。最近では、ナカムラなど、月決めの住人たちが就職申し込みの際に必要な『住所』欄に、カプセル・ホテルの番地を書き込んで法的に認められるという便宜が与えられた。
こうしたナカムラ・タロウの不幸な境遇は氷山の一角に過ぎない。世界的な不況が例外なく日本を襲い、かつて隆盛だった輸出企業が失墜し、『終身雇用』の神話が崩れ、多数の社員が職を失った。社宅住まいの社員達は追放されて『ホームレス』群に加わった。新年早々、救済の叫びに応えて『ホームレス』のために緊急住宅を開放する運動が起こった。昨年9月に交代した新政権民主党は、前政権の轍を踏まないよう配慮している。
新首相鳩山由紀夫は去る12月26日「政府は、かくも厳しい寒さの新年のシーズンに不況に直面している国民を救済する計画を立てている」とユーチューブ(YouTube)を通して公表した。金曜日には首相は東京の仮宿舎に寝泊まりしていた700名のホームレスを訪れ、報道陣に向かって「今や救済は猶予ならぬ事態にきた」と表明した。
政府が見積もっている浮浪者の数は1万5千8百人だが、救済団体では実際の数はもっと多いだろうと推定し、東京だけでも少なくとも1万人はいると見ている。この数の中には東京都における『カプセル・ホテル』の住人や、24時間営業のインターネット・カフェやサウナで一夜を明かす浮動人口のような『隠れたホームレス』の数は含まれていない。
失業人口の率は5.2パーセントと記録を破り、社会福祉の保護を受けている家庭の数も急上昇している。日本の貧困レベルが15.7パーセントというのは、工業国の中では最高の数字だ。こうした数字だけ見ても、国の工業力が隆盛を極めた1970年代当時の社会環境は姿を消してしまった。
東京大学のイシダ・ヒロシ教授は「国家が急速な経済成長を遂げている時は、生活水準が向上し、階級差が目立たなくなった。しかし経済不況と共に、階級差が再びはっきり見えてくるようになった」と語る。
政府は日本の社会福祉組織を活性化させるために資金を投入し、家庭経済を助け、公立高校の授業料を無料にした。
それでも、ある46才の男性の生活は絶望的だ。彼はマグロ漁業に従事していたが、昨年の8月以来『カプセル・ホテル』の住人にならざるを得なくなった。彼は最近まで、羽田の埋め立て工事で働いていたが、先月で仕事が打ち切られた。「必死になって次の仕事を探しているんだけれど、仕事の口はまるでみつかりません。手持ちの金は底をついてしまった」と嘆く。『ホテル』を出て、応急シェルターに転がり込んだが、次の月曜までという期限付きだ。
彼が考えられることはただ一言、「その後どうしてよいか判らない。」
1 件のコメント:
仕事がない、という境遇は何とも切ないものです。私も過去何回か経験しましたが、いずれも長期でなかったので、今日の事情ほど深刻ではありませんでした。助けてあげたいのですが、私にはどうにもできないのが腹立たしい。
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