2010年度世相比較学会年頭報告より
(筆者は世相比較学会会長で、この寄稿は同会恒例の報告から転載)
日本では、昨今『KY語』なるものが流行し、その専門の辞書まで出版されているほどだ。
一例が「JKはKYでIW。HKけどHPはWKがDKはCC。HDとKZ。BYてMT。MA。KB。WHしてもMM。HDしてKIとITがMS」といった具合。
これを翻訳すると「女子高校生は空気が読めなくて意味が判らない。話しは変わるけど、はみ出しパンツはしらけるが、男子高校生は超可愛い。暇な時に電話すると、からみづらい。場が読めなくてまさかの展開。マジあり得ない。空気ぶち壊し。話題変更してもマジ面倒くさい。暇な時に電話する。カラオケに行こうと言ったが、みんなに避けられた」と言う意味になる。
こうした略語の羅列は、単に文字数を省略できるだけでなく、暗号通信の『鍵を共有』する役割を果たし、仲間意識を強める目的も含まれている。これが、日本語の乱れなのか、それとも、過度な標準化やグローバリゼーションに対する若者たちの反抗心からなのか、私には今のところ判断し難い。
日本語と言えば「言葉こそ文化の担い手である」と考え、その乱れを憂慮する碩学の師が多数おられる。
世界的な数学者で、文化勲章の受賞者でもある故岡潔(おか きよし)博士もその一人で、彼は起床するとすぐ自分の精神状態を分析し、高揚している時は『プラスの日』、減退している時は『マイナスの日』と呼び、知識欲が次々に湧き出る『プラスの日』は、例えば柿本人麻呂(かきのもと ひとまろ)の和歌も、内容はもとより人麻呂の生きた時代背景、人物像まで持論を展開できるが、『マイナスの日』は寝床から起き上がりもせず一日中眠りこけ、無理に起こそうとすると「非国民!」と怒鳴るなど、ユーモラスな奇行振りで人々に愛されていた。
その博士が書いた『春宵十話』と題する随筆集の中で「孫は二月生まれだから『もえいずる』の意味で『萌』の字を使いたかったが、当用漢字にはないので仕方が無かった。日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、簡潔に言い切ろうとすると、世界でこれほどいい言葉は無い。簡潔と言う事は、水の流れるような勢いを持っていると言う事だ。だから勢いのこもっている動詞を削ったり、活用を変えたりするのには賛成出来ない。兎も角、感じをあらわす字を全部削ったのは、やはり人の中心が情緒にある事を知らないからに違いない」と日本語の変遷を嘆いておられた。
男の子の名前から『郎』が消え、女の子から『子』が消えて久しいが、最近人気がある名前は、男児がハルト、ユウト、ユウキ、コウキ、リク。女児はユナ、メイ、ミオ、リオ、ユイだと伝えられている。
現在では、人名用漢字制限は大幅に緩和され『当て字』、『交ぜ書き』、『造語』が自由に作られ、振り仮名無しには読めない名前が増えている。 これだけ突飛な当て字名が流行すると、名寄せで社会保険受給者の整理をする事は不可能で、国民背番号制度(税番号)の導入など、社会制度変革は待った無しの状態だ。岡博士が在世だったら、一方で暗号化された『KY語』が横行し、片や突飛な名前が流行る最近の世相をどのように感じられるだろうか?
問題が発生する度に「原点に戻れ」と連呼する日本だが、料理、音楽、現代用語に至るまで『フュージョン(混沌)』が流行る日本社会は、誠に奇異に映る。
耳慣れない新語の多くが、NHKの本部がある渋谷が発祥地だとされ『渋谷語事典 2008』と言う事典まで発行されている。事実、放送番組を観ていると、フュージョン、語呂合わせのオンパレードだ。幾つか例を挙げて見よう。
(1) 外国語や外人を使う意味が不明な番組
『BEGIN Japanology』:日本特有の歴史や文化を説明する日本人向け番組に、ピーター・バラカンと言う外人を起用して、英語と日本語をちゃんぽんに使って解説する不思議な番組。
(2) 駄洒落、語呂合わせ、造語の番組名
『バラエティー生活笑百科』;『生活ほっとモーニング』;『ピタゴラスイッチ』;『あさだ!からだ!』;『アジア語楽紀行』;『アジわいキッチン』。
(3) 混血軽薄語
『Jブンガク』:『cool japan』;『歴史秘話ヒストリア』;『The 女子力』;『最新ヒット・ウエンズデー・J-POP』。
(4) カタカナ造語
『ワンダー×ワンダー』;『パフォー!』;『トラッド・ジャパン・ミニ』;『シャキーン!ザ・ナイト』;『タイム・スクープ・ハンター・スペシャル』;『ウエルカメ』;『クインテット、ニュー・イヤイヤ・コンサート』。
アナウンサーまで、駄洒落と語呂合わせを競い合い、日本語の堕落(進歩?)に大いに貢献しているNHKだが、世界の人の心を揺さぶる珠玉の番組の制作能力は、BBCに優るとも劣らぬ世界のトップ・クラスの実力を持っている事は確かだ。NHKが紅白歌合戦の費用を少し削って文化的な優秀番組の制作と普及に経営資源を廻せば、憲法第3章、第25条にある「国民の健康で文化的な」生活の保障に、間違いなく大いに貢献できる。これは、視聴率に縛られない公共放送としての義務と特権であろう。
私は、外来語や借用語を頭から排斥する程の国粋主義者ではない。ただ、言葉はその国の文化をあらわす大事な道具であり、ケネデイー大統領、キング牧師、オバマ大統領などの名演説が世相を動かした様に、成熟した民主国家で果す言語の役割は重要かつ大事である。日本でも、言葉で生きている政治家や報道機関の方々は、もう少し言葉を大切にして欲しいというのが私の新年の願いである。
米国発の金融ショックから立ち上がれないでいる日本の現状を考えると、例年の様に冗句を交えた軽口報告が出来ないのが残念だが、せめて、恒例通り『サラリーマン川柳』から、昨年の世相を面白く表現した作品をご紹介して新年の報告を結びたい。
「iPod すぐに沸くかと 祖母が聞く」
「円高を 実感したいが 円が無い」
「バラ撒きを 批判しつつも 待ちわびる」
「遼君に 生涯賃金 追い越され」
1 件のコメント:
「始めに言葉ありき」。言葉は人々の間で意志を疎通させるに必要な機能を持っています。意志の疎通を欠くと苛立ち、それを補うために短絡的な行動を起こし勝ちになります。青年の暴力行為や、『いじめ』の傾向は、全て言葉を活用する能力の欠陥から起こることではないでしょうか。
コメントを投稿