リチャード・モリモト(Richard Morimoto)オハイオ州、トレド市在住
(筆者は、IBMに永年勤続後引退した技術者)
少数民族の学者、ロナルド・タカキ(Ronald Takaki)が去る5月30日、カリフォルニア州バークレーの自宅で亡くなった。享年70才。 タカキは生涯を、従来のアメリカ歴史から除外されていた東洋系アメリカ人や他の少数民族の調査研究を基に歴史の書き直しに没頭し、アメリカで初めて少数民族研究の博士プログラムを発足させた日系三世のアメリカ人である。
タカキの息子トロイ(Troy)が洩らした所によると、ここ数年来悩まされていた多発性硬化症(multiple sclerosis)との斗病に疲れ果てた末の自殺、ということだ。
遺族は、妻のキャロル、ロサンゼルスに住むトロイとエル・セリト(El Cerrito)に住むトッド(Todd)ら息子が2人、コネチカット州に住む娘ダナ(Dana)、兄、それに7人の孫である。
ロナルド・タカキは、19世紀にハワイに来て砂糖黍農園で働いていた日本人移民の孫で、ホノルルで生まれた。若い頃は、もっぱら海岸でサーフィングを楽しみ、足の全指を使うスタイルが独特で仲間から『10指タカキ(Ten-Toes Takaki)』の異名で知られていた。
オハイオ州のウースター大学では、歴史学の学士号取得の勉強に没頭していた。オハイオ州にいる間にキャロル・ランキン(Carol Rankin)と出会い結婚した。
引き続きバークレー校で学び、1962年に修士号を取得、1967年には博士号を取得した。彼は大学で『自由な発言(the Free Speech)』運動や、南部諸州での公民権運動の影響を強く受けた。2003年、サンフランシスコ・クロニクル新聞社の記者に「私は、1960年代のバークレーで知的な面、政治的な面、共に生まれ替わった」と語っている。
彼は、合衆国の奴隷制度に関する論文を書き、1971年に『奴隷制度の推進:アフリカで奴隷売買が再発の動き(A Pro-Slavery Crusade: The Agitation to Reopen the African Slave Trade)』を出版した。 タカキがU.C.L.A.で、同大学がワッツの暴動に刺激され初めて設定した『黒人の歴史』の教鞭を取っていた時、学生の一人が「先生はどんな革命の手段を教えてくれるのですか?」と質問した。それに対して教授は「我々は我々の批判精神と文書による表現技術を強化することになるであろう。もし我々がその気になれば、それが、革命の手段となるのである。」と答えている。
1971年、タカキは、バークレー校で新設の少数民族研究科の最初の主任教授となった。彼はその研究科で影響力の強い調査コースを教え、アメリカにおける異なった人種が体験した差別問題を比較する方法を採った。加えて、少数民族の調査研究を卒業課題として設定し、彼はすべての卒業期にある学生が、人種問題や少数民族問題を広範に理解できるよう補佐した。
タカキは、過去30年に亘ってカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとってきた。同校では1984年に彼の努力で、少数民族研究を博士号の教育課程に組み込み、必須教科目として制度化した。彼の著作、例えば『異なった鏡:複合文化国アメリカの歴史 (A Different Mirror: A History of Multicultural America:1993)』は勃興してきたこの分野に必要な根本的な教科書となった。
タカキは2003年に引退したが、 少数民族、複合文化に関する指導的な学者となり、少数民族や非ヨーロッパ系移民の複合文化に対する既成概念や典型的な固定観念を覆すべく挑戦を試みていた。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のアジア系アメリカ人研究センター(the Asian American Studies Center)のドンT.ナカニシ(Don T. Nakanishi)所長は、バークレーのウェブサイトで「ロン・タカキは、アメリカの過去から現在に至る複合民族の研究を向上させ一般化させた。それによって国内国外を問わず、今世代の学生や研究家たちに強烈な印象を与えた」と語っている。
70才といえば若くはないが、今日の平均寿命からいったら死ぬほどの年寄りではない。少数民族の調査研究でタカキが成し遂げた足跡は、我々にとって偉大な遺産である。まだ存命して後進の指導にあたってもらいたかった。
[追記:タカキが死亡する3ヶ月前の2月28日、C−Spanが『In Depth with Ronald Takaki』と題して 延々3時間に亘るインタビューをしている。ここに掲載できないのが残念だが、DVDにレコードしてあるから、いつか機会があったらご紹介したい。 またタカキの死亡記事は、ニューヨーク・タイムス、ロサンゼルス・タイムスを始め、全国大小のマスコミに掲載された。彼の業績の偉大さがうかがわれる。なお上掲の書物にご興味がありましたら、書名をクリックなさると、ご案内のサイトが現れます。]
1 件のコメント:
このような立派な方が一般に知られていないのは残念です。
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