例外的に、ヘンリー・フォードが1908年に始めて作った量産車『T型フォード(Ford Model T)』の愛好会はアメリカ全土に数え切れないほど存在し、活発に保存道楽を愉しんでいる。
ロケットF88の誕生
もし当たれば量産車のベストセラーになるはずの魅惑的でセクシーなオープン・スポーツカー(Convertible Sportscar)、当時評判だったシボレー部門のスポーツカー、コルヴェット(Chevrolet Corvette)も顔負けするであろう、という意気込みで『ロケットF−88(Rocket F88)』と名付けられた。コルヴェットの装備は6気筒、2段『パワーグライド(Powerglide)』式トランスミッション。それに対してF-88はV-8気筒に、当時はまだ珍しいパワー・ウインドウが付いていた。
それを知って戸惑ったのが当のGM首脳部、オールズがシボレーに対抗したのでは同士討ちである。ドル箱コルヴェットの売り上げが落ちる可能性のある新車を生産させるわけにいかない、とF-88の生産は禁止となり、オートショーの展示用『夢の車(Dream Car)』コンセプト車としてだけ製造させた。
という訳で、作られたF-88は2台だけ、3台目があったという噂もあるが確認されていない。その1台だけが現存し、それがアリゾナ州スコッツデール(Scottsdale)にある自動車競売の名門、バレット-ジャクソン社(Barrett-Jackson Auto Auction)に託され、ディスカバリー・コミュニケーションズ(Discovery Communications)の創始者ジョン・ヘンドリックス(John S. and Maureen Hendricks)夫妻が、324万ドル投じて落札した。
世界でたった1台の『ロケットF-88』を入手したものの、夫妻がドライブした形跡はなく、現在はゲートウエイ・コロラド自動車博物館(the Gateway Colorado Automobile Museum)の『歴史の曲がり角(cornerstone)』と名付けられた特別室で、回転展示台の上に展示されている。
差し当たりこの『走らない名車」は、『不出世の名車』とでも言うべきであろうか。
1 件のコメント:
毎年、新車が発表されるオート・ショウの時期になると、胸をドキドキさせながら、『夢のクルマ』を見て歩いたのは1960年代、1970年代でした。各社の各車にそれぞれ特長があったのが印象に残っています。1980年代以降、それが次第に誰もが『売れる』クルマのスタイルに追従し、どこでも似たような形のクルマを作り、特長が失われていきました。商業主義、消費経済の社会の傾向に、オート・ショウへの興味を無くしました。
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