2010年10月16日土曜日

鏡の中の自分

志知 均 (しち ひとし)
2010年10月


ものごとの高度の認識(cognition)はヒト特有のものではない。そのことを実証してきたことで有名なハーバード大学心理学教授マーク・ハウザー(Marc D. Hauser:右の写真)の研究結果に捏造の疑いがあると、最近ボストン・グローブ紙が報道した。大学側は調査を始めたが、ハウザーが有名であるだけに、研究に不正があったとすれば、研究者としての資格がきびしく問われるのは当然である。認識はヒトがヒトであることを示す根本的な特徴であるので、その研究は近年急速に進み競争がはげしくなっているのが不正を招く原因のひとつかもしれない。

高度認識の基本ともいえる自己認識(self cognition, self awareness)の能力があるのはヒトとチンパンジーゴリラなどの無尾猿(apes)にかぎられているというのが通説である。ハウザーシシザル(tamarin:左の写真)ニュー・ワールド・マンキー(platyrrhine)自己認識能力があると発表したが他の研究者の追試では証明されていない。 動物に自己認識する能力があるかどうかを調べる方法のひとつに鏡テスト(mirror test)がある。鏡に映った像が自分であると認識するのはそう簡単なことではない。

たとえばチンパンジーは、鏡に映った像をみて、自分が歯をむきだせば像も同じことをする、赤い帽子を頭にのせれば像もそうする、、、などを認識するが、それだけでは自己認識にならない。(上の写真)自己認識のためには、手や腕や胸毛など自分のからだに関する記憶や、赤い帽子の記憶、それを頭にのせた記憶など多数の些細な記憶を総合し判断する能力が必要である。

心理学者はそれらの記憶を(working memory: 役に立つ記憶)と呼んでいる。道端に落ちているゴミの記憶はすぐに忘れるが道路工事をしている記憶は残っている。それは、そこを後日通る時に役に立つ記憶だからworking memoryである。

自己認識できる動物は、できない動物より一段と進化しているといえるが、無尾猿とヒトでは遺伝子がほぼ99%同じであるにもかかわらず、自己だけでなく自然界を認識する能力に雲泥の差がある。その違いは、ヒトの場合、少数の遺伝子の突然変異のおかげで手首や指を器用に動かすことができるようになったり、顔の筋肉を早く動かせるようになったことだけでは説明できない。遺伝子変化よりも頭脳のはたらき、すなわち膨大なworking memoryを集積し分析する能力を獲得したからだと考えられている。

しかしその能力は突然得られたものではなく、ヒトが無尾猿と分かれた600万年前から漸次進化した結果である。知能とは問題を解決する能力のことであるが、ヒトの遠い先祖の古代人が氷河時代のように種の存続の危機に直面した場合、working memoryを最大限に使っ
て知能を働かせ問題を解決したに違いない。その結果、言葉(language)が形成され、それによる抽象思考が可能になって、知能はさらに進歩した。それにつれて記憶をつかさどる大脳の前頭葉(frontal lobe:頭蓋骨の大きさを比較)も発達した。

そのようにworking memoryに支えられて知能が進歩したことは、世界各地で発掘された古代人の遺物(道具や装飾品など)を古代史別に比較することにより明らかにされた。考古学者は、更に重要なこととして、集団の人口がある程度以上に大きくなく、集団のメンバーが協力しなくなったら、知能の進歩は遅れ、集団そのものも滅亡したであろうと指摘する。ホモ・フロレシエンシス人(Homo Floresiensis:左の想像図:右上の写真:左の同人類と現代人頭蓋骨を比較)ネアンデルタール人(Homo Neanderthal:右下の想像図と左下の頭蓋骨)が20,000~30,000年前に絶滅したのはその例であるようだ。

ここまでの話は理屈っぽくて退屈されたかもしれないので、少し調子をかえよう。この小文の初めに動物の自己認識を調べるのに鏡を使うことを述べた。自己認識は自分と他人を区別するため、すなわち自我(個性)の生長のための基礎である。特に顔の認識は重要で「顔を立てる」、「顔をつぶす」、「顔にかかわる」、「大きな顔をする」、など顔が人格を意味する言いまわしが沢山ある。安部公房(あべ こうぼう)著書他人の顔の中で次のように書いている。

「顔というのは、つまり表情のことですよ。表情というのは他人との関係をあらわす方程式のようなものでしょう。自分と他人を結ぶ通路で、その通路がふさがれてしまったら通る人も、無人の廃屋かと思って、通り過ぎてしまうかもしれない。」

この小説の主人公は液体窒素を顔に浴びてケロイドになり、自分の顔を失ってしまう。その結果、妻の心も離れていく。主人公は仮面をかぶって『他人の顔』になり街で妻を誘惑する。誘惑にのった妻と情事を重ねるが、実は妻は相手が仮面をかぶった夫であることを見抜いていた。


この主人公のようにケロイドで自分の顔を失はなくても、年齢を重ねれば誰しも若い頃の顔を失っていく。毎日、鏡の中の自分を詳しく観察する女性は、年令による顔の変化を化粧や、時には整形手術によって隠し、年令と共に変っていく顔の自己認識はしっかりもっている。それに対し、男性は、ヒゲを剃ったり、髪をといたりする時にちょっと鏡を見る程度だから、自分の顔の変化に無頓着なことが多い。精力的に仕事をしている時期は
特にそうである。しかし、定年退職して第二の人生が始まると、それまで鍵をかけておいた『玉手箱』を開く日が遅かれ早かれやってくる。(下の写真はマーク・ハウザーの『鏡イメージ』)

ある日、箱を開くと現役の頃の苦労や楽しい思い出や仕事に関するworking memoryが一抹の煙とともに消えてしまう。そして、鏡の中に疲れて老いた顔を『他人の顔』のように見つけ、その顔をどう受け入れていくかが第二の人生の大きな課題になる。

貴方は今日、鏡の中の自分を見つめてみましたか?

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

東洋的に言うと『己を知る』でしょうか?
容易なことではありません。いくつになっても、、、。