2010年3月23日火曜日

追憶その2:フェス・パーカー

ヴァーリン・クリンケンボーグ(Verlyn Klinkenborg)
2010年3月21日付、NYTより

私はデヴィ・クロケット(Davy Crockett シリーズ)』のエピソードを、どの一つさえ憶えていないし、アライグマの帽子(coonskin cap)も持っていない。あの流行したテーマ・ソングのように、そのメロディは一時(いっとき)脳裏を去来していたが、すべてが過去の彼方に消えていった。

でもフェス・パーカー(Fess Parker)は憶えている。あの時代の男性的な逞しさ、それはパーカーの存在なしでは考えられない。その彼が先週、85才で亡くなった。私の追憶には、何とも言えない『正真(ほんもの)』の体躯が浮かんでくる。テレビのシリーズの影響で、どれほどアライグマの帽子が売れたかは知らないが、その『正真さ』は、単に無邪気な子供っぽいイメージではない。それはパーカーの体内に脈々と流れていた『何か』だったようだ。


私が思うに、ある意味では、それは細身の旧式な火打ち石銃を持つにふさわしい角張った男性の印象だった。又それは、彼が右の目をうつむけ、しかめ面の笑みを浮かべながら見上げる仕草でもあった。その彼の開拓者特有の鋭い眼差し(まなざし:用心深く、相手を計るような目つき)を、ファンの子供たちが真似していた状景が記憶に蘇ってくる。あれやこれやを綜合し結び付けてみると、パーカーの声も蘇ってくる。その発声は(パーカーが)生まれたテキサスの訛りより、(クロケットの)テネシー訛りが仄かに感じられ、未開拓地特有の柔らかな雰囲気を尊重し再現してくれていた。いずれにしても、フェス・パーカーその者が、アメリカの伝説的人物デヴィ・クロケットだったのである。

彼の訃報を読みながら、私はフェス・パーカーの普遍的な運命を認識させられた。伝えられる所によると、彼はディズニー映画(Disney)と契約していたため、ジョン・フォード(John Ford)監督(西部劇の伝説的な監督)の映画に出られず、マリリン・モンロウ(Marilyn Monroe)と共演ができなかったのが残念だったということだ。だが、我々はパーカー/モンロウの共演が実現することのない世界に生きていた。のみならず、多くの子供たちが、フェス本人の存在を打ち消し、彼をデヴィ・クロケットに仕立て上げてしまったのだ。


私は今『デヴィ・クロケット』をもう一度鑑賞してみたい、という衝動に駆られている。でもそれをするには、私自身が再び子供に戻らなければなるまい。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

同感です。私もフェス・パーカーとデヴィ・クロケットが同一人物であるかのように認識していました。ジョン・ウエインが『アラモ』でクロケット役を演じていましたが、パーカーのクロケット像を打ち消すことはできませんでした。