2010年3月21日日曜日

黒沢明:生誕100年記念


ターナー・クラシック・ムービーズ(Turner Classic Movies: TCM)という古典映画専門のテレビ・チャンネルがある。1903年の列車強盗』の無声映画から始まり、チャップリン(Charlie Chaplin)、ロイド(Harold Lloyd)、等の喜劇からメリー・ピックフォード(Mary Pickford)、ヴァレンチノ(Rudolf Valentino)等、美男美女が演ずるロマンス物まで、コマーシャル無しで24時間放映し続けている。私の如き、昭和ヒト桁人種にとっては、宝の山に寝そべり回顧に耽って極楽の境地を味あわせてくれる素敵なチャンネルである。

そのTCMが過去2週間にわたって黒沢明:生誕100年記念と銘打ち黒沢明監督の旧作を立て続けに放映してくれた。黒沢明:1910年3月23日〜1998年9月6日(明治43年〜平成10年)]その作品は、、、


(左から)★ 1948年作酔いどれ天使 ★ 1949年作野良犬 ★ 1950年作醜聞スキャンダル ★ 1950年作羅生門
★ 1951年作白痴 ★ 1952年作生きる★ 1954年作七人の侍 ★ 1955年作生きものの記録
★ 1957年作蜘蛛巣城 ★ 1957年作どん底★ 1958年作隠し砦の三悪人★ 1960年作悪い奴ほどよく眠る
★ 1963年作天国と地獄★ 撮影中の黒沢明 ★ 1965年作赤ひげ

などであった。いずれも私が青春時代に鑑賞した作品ばかり、当時の感激を新たにと、
私は何をおいてもテレビの前に坐りこんだ。

全て、モノクロ(『天国と地獄』の部分カラーを除き)、半分がワイド・スクリーンである。配役は三船敏郎、志村喬、森雅之、仲代達矢などの男優が主な常連で、女優には常連がなく、田中絹代、山田五十鈴、京マチ子、原節子、木暮実千代、山口淑子、香川京子、などが一作あるいは二作限りの出演であった。いずれも今の世代にとっては聞き慣れない名前ばかりだろうが、半世紀前には一枚看板の売れっ子俳優揃いである。


画面を通して当時の世相を追想した。戦後間もない貧困な混乱時代(『酔いどれ天使』、『野良犬』)、それから経済的な発展(『醜聞』)、非生産的なお役所仕事(『生きる』)、公団と業者が結託した汚職事件(『悪い奴ほど』)、新幹線を利用した犯罪(『天国と地獄』)、などがそれぞれの作品に浮き彫りにされている。多分に反ハリウッド映画、イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)、フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)、ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)等のいわゆるネオ・リアリズムの影響を強く受けていたようだ。観客の目からは、そうした社会現象に対する黒沢の批判精神が作品の根底を流れていることが明瞭にうかがわれる。

時代ものには、そうした批判精神は直接表われてはいないが、その代り黒沢は人間の(ごう)』を容赦なく観客に突きつける。『羅生門』などは、芥川龍之介の才知に溢れた原作に負うことも大きいが、そうした特異な心理描写が買われてグランプリ賞を獲得したのであろう。


全て観終わった後の私の感想は、正直な所「当時の感激を新たに」する代りに、半世紀の隔たりを感じさせられた。主な理由は題材そのものより、黒沢の映像表現が古色蒼然として時代遅れだったからである。


一つには、1950年から1960年代にかけて、ハリウッド映画でもそうだったが、テレビの急速な普及に対抗して大型スクリーンを採用し大きさ、広さでテレビを圧倒しようと企てた。そのため映画の利点である接写:クローズアップや、迅速な場面転換を犠牲にした。観客側から全体は見えるが、細部の描写が見えなくなった。


二つには、「広い画面」で劇を進行させるため、勢い舞台演技の基本に従うことになる。映画作りの上で、これが台詞(脚本)の面で障害になった。舞台俳優は、観客に聞こえるように発声し、また台詞もそれに相応しいように書かれる。一方、映画では二人の登場人物が交わす会話を、状況に応じて『ささやき合う』ことができる。そんな状況にも拘らず、大声で話し合っていたのではムードが台無しだ。


三つには、映画には映像という武器があるにも拘らず『悪い奴ほど』ではその長所をしばしば無視し利用していない。汚職に関連した役人がビルの窓から飛び降り自殺をした、というショッキングで事件の鍵でもある場面を、台詞で説明させているだけで、その映像がない。またそのクライマックスとも言うべき、悪人が逆襲するというアクションに満ちたシーンを見せず、生き残った刑事にその経緯を一部始終しゃべらせている。映像の迫力に欠けることおびただしい。

最後に、黒沢制作意図は映画を観れば一目瞭然、言わずもがな。然るに『羅生門』ではラスト・シーンで僧侶に「世の中が悪い、、、」と説明させ、『七人の侍』では「最後に勝つのは百姓、、、」と言わせ、『天国と地獄』では犯人に長々と独白させている。いずれも観客が疾っくに感じていることで、台詞で説明する必要は全くなかった。


思わず、巨匠黒沢明をこき下ろしてしまったが悪意はない。折角国際的に認められた作品の数々、もっと素晴らしくできたら、という一人のファンの空しい欲だと思し召し、お赦しいただきたい。 高橋 経
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追記:
3月23日は黒沢明誕生100年記念の当日、TCMでは早朝6時から、翌24日の朝7時まで黒沢作品の旧作姿三四郎(1944年)』からどですかでん(1970年)』まで10数本、
休みなしに上映します。もしTCMと繋がっていたら、スケジュールをお確かめの上、ご鑑賞ください。

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