みくに あきお
2009年8月6日、東京発
2009年8月6日、東京発
[註:この評論は英語に翻訳されてNYTに掲載されたものを再び日本語に訳し直したものです。原文と表現の違いが多々あるかとは思いますが、筆者の意図は再現できたと信じています。なお筆者はクレジット・レィティング・エージェンシー(Credit Rating Agency)の社長。]
17世紀中、長期にわたる戦乱(戦国時代)に終わりを告げ、日本全国が統一されて平和な(徳川の江戸)時代を迎えた。商業は繁栄した。富裕な婦人たちは財布の紐を緩め、高価な衣料を買い求め、流行の先端を開拓した。中国産の『白い』絹糸がどっと輸入され金銀貨幣が支払われた。当時卓越した学者宮崎やすさだは、かかる貿易は、金や銀が衣食の足しにならないという理屈を正当化できるものである、という見解を示した。
日本の消費者は、機会を与えられると消費を楽しむことができる国民だ。私はその機会が近い将来に到来すると考えている。
多くの人々はそれを信じていないようだ。20世紀における日本の(経済)成長は輸出によるもので、1980年以降、国内総生産(Gross National Product)と比較した消費量は平均55パーセントを示している。振り返って19世紀に遡ると、日本は西欧に対抗できるよう生産の近代化と製品の輸出によって先進国の仲間入りすることを企てていた。これを国家の悲願の目標とした結果円安をもたらし、安価な製品で競合力を高めて輸出の増大を助けた。
しかし、この価格操作は国内物価の高騰に跳ね返り:我々が絶対必要とする輸入資金が蓄積できず、海外からの輸入が(高価となり)困難となった。
ともあれ日本は最終的には成長した。昨年の秋に始まった経済危機以来、輸出高は下降線を辿った。アメリカの消費者たちが借金(クレジット・カードなどの信用購入)が困難となり、支出を控えるようになったからだ。日本の輸出がドン底に落ち込んだこの際、我々はアメリカの消費が以前のように活発に回復するのを待っている余裕はない。合衆国自体が巨額の借款を背負っているので、この先何年も製品を海外から輸入することを控えざるを得ないのが実情だ。
こうした状況は、世界経済に無縁でないアジア諸国にとってその役割を大きく変換せざるを得ない要因となっている。日本がアメリカに輸出していた製品の一部は、他のアジア諸国の供給者たちと多かれ少なかれ関連している。完成品を最終的に輸入国へ発送する為に部品は中国で組み立てなければならない。こうした径路を利用することで我々は利益を上げてきたが、本当の長期的な優先事項は他国への輸出ではなく、国内での需要を満足させることにあるのではなかろうか。
では、輸出に依存することの弊害は何か?単純な例をお話ししよう。我々は自動車を製造している。これを国内で販売すると販売店、保険のセールスマン、修理工などが利益を得る。だが車を海外に輸出することに片寄ると、上記の国内経済への有意義な貢献がおろそかになる。輸出によって得た利益収入はアメリカ合衆国に我々が投入した資金として保留され、ドルが強化しアメリカの消費者が我々の製品を購入することにつながる。もちろん、その資金の見返りとして、我々はアメリカ政府が発行する証券のような外国人保留資産として蓄積される。しかし、17世紀の学者の言葉を借りれば、アメリカに保留されたドルでは我々の腹は満たされない、ということになる。
我々に必要なのは、国内需要が海外需要にとって代わることなのだ。それができるためには、投資したドルを円と交換することだ。それによって円の価値が上がり、輸入の支出が減少し、購買力が強化される。現に一部日本の小売店は、円高で輸入品が安価に仕入れられるので価格を引き下げている。円高傾向が更に進行すれば、彼らはまた値下げをするであろう。
短かい期間で、長年に亘る輸出礼賛の体質から脱皮することに苦悩が伴うのは止むを得まい。我々は、工場閉鎖、破産宣告、企業合併などの諸問題に対処せねばならない。生き残った企業は組織の改革を迫られるであろう。一方で多くの企業は価格競争で製品の輸出に力を注ぐだろうが、これからは独特な新製品の開発をし、それに相応しい価格を設定することだ。
日本の企業はその難事業に挑戦する能力がある。私は過去25年間、数多の企業の証券を評価してきた。1983年(昭和58年)、我々がAAA級(最上級?)と評価した企業は金融会社を除いて、たった2社しかなかった。だが今日では9社に昇っている。こうした企業は、強力な価格設定も含めて高い評価を獲得した。
二、三十年前には、日本の企業数社が、それぞれの製品をアメリカの価格より20パーセントも低い価格で競合していた。今日では、数多の製品は企業ごとに独自の価格を設定している。こうした企業は確固とした多くの需要に支えられ、現に日本の消費者は価格より品質を重んずるようになっている。
日本は世界的な経済危機で手痛い打撃を被ったが、この際、輸出に頼っているままでは危機を脱することはできない。その代わり、我々は長期に亘る因習を破って振り出しから出直す覚悟が必要だ。政府の閣僚の多くは、体質改善をためらっているが、遅かれ早かれ彼らも他に手段がないことに気付くであろう。日本の政治家たちは、国内の経済を無視し、投票者の生活をないがしろにしてまで永久に円安が続くことを望んではいられないからだ。
今や我々は、気ままに浪費していた17世紀の婦人たちから学び、円高の恩恵を享受する時である。
1 件のコメント:
日本の製品、「安かろう、悪かろう」の時代がありました。そのイメージを打ち破ったのがトランジスター・ラジオであり、カメラであり、最後に自動車まで格が上がりました。
『品質第一』志向を大切に、、、。
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