アヘン(阿片)とモルヒネ
1875年 (明治8年) 3月14日
増加するその利用者。
シンシナティおよびその近郊での需要。
消費量と、その恐るべき因果関係。
1875年 (明治8年) 3月14日
増加するその利用者。
シンシナティおよびその近郊での需要。
消費量と、その恐るべき因果関係。
(上の写真;左は1870年代『忌まわしい街角』と呼ばれたシンシナティ市の中心街。右は同地点の今日の風景。2004年撮影)
ーーーーー(前略)ーー この都市の街路を歩き回ると、何時でも大勢のアヘンの奴隷たちに出会う。中毒者は、麻薬の作用に影響を受けているかどうかに拘わらず、ひと目で見分けることができる。もし麻薬の影響下にあるならば、その肌が生気や艶を失い、目つきが異常に欄々と光っていることに気が付くであろう。もし彼等が恐ろしい毒性の物質の影響を受けていない時でも、不快な表情、革のような肌、落ち窪んで目標を失った眼差し、それに気だるく不確かな足取りに気が付くであろう。彼等は奴隷、絶望的な奴隷、とてつもない拷問に苦しむ奴隷で、シンシナティのあらゆる街路にいる。
彼等は生ける屍 ----- 存在するだけで、その日々は断続的に襲ってくる鬱病の明け暮れである。彼等の幻覚には、白馬の騎士がしばしば現われるが、その不自然な死因審問の無言劇についての幻覚は余り知られていない。ひと度アヘンかモルヒネの束縛を受けると、一部の例外を除いて、一生解放されることはない。彼等の肩に悪夢の重荷がかかる。その重みはタイタン(ギリシャ神話の巨人)の強靭さで乗りかかり、そこから脱出できる可能性は殆ど望めない。
ーー(合法的な商取引についての報告は省略)ーーーーーー医者の間では、皮下注射が手頃で一般的な投薬法となり、従ってより多量に麻薬を保有する必要に迫られている。化学者たちは、自分たちにとって好都合な薬剤ということで、これまた、声を大にして必要性を叫んでいる。しかしこうした理由で、需要を異常に増加させることは正常な消費ではない。薬品の卸業者たちの一団は、その法外な消費が月々増加するにつけ、末端の薬局が、今の内に何とかしなければ飛んでもないことになると憂慮している。
シンシナティの薬品卸業者に記者が訪れ、彼等の年間アヘン販売量が累計1,955キロに上ることを突き止め、同時に年間 319グラムのモルヒネが卸売りされていたことも判明した。一卸売り業者だけでも、450キロのアヘンと、45.35キロのモルヒネを毎年卸していた。
麻薬の消費は疫病であり、機械職人、ビジネスマン、専門職などの間に普及し、特に女性の間にも広まってきた。シンシナティで、中毒者たちはこの恐ろしい有害な欲望のためにその影響を受け、卑屈な振る舞いが日常となり、また社会の上位で尊敬されるべき地位を占めている人々の中にもいることさえ判った。彼等の多くは、麻酔薬の罠にかかった後、除々にアヘンを常用する習慣に引きずりこまれていく。
更に多くの人々が、一旦麻薬の味をしめると、その奇妙な作用に取りつかれ、自から進んで鎖に繋がれたくなり、目を見開いたまま蛇のようなとぐろに絡まれてしまう。或る者は、ケシのジュースを飲んで痛みを和らげ;また或る者は麻薬の作用を知りながら、怖いものへの誘惑に落ち込み、ほんの試しのつもりが習慣となり、破ろうと思ったら時はすでに手遅れということになる。
最高のオーソドックス教会の中にも、麻薬の理解し難い魔力に心を奪われた聖職者が、首を吊って自殺したという事件があった。でもこの自殺の下手人が、アヘンだったということを、誰が知っていただろうか?その牧師は何年間も麻薬の奴隷に成り下がり、体内を走る血管の隅々にまでアヘンが浸透した時だけ何か束縛していた鎖が切れて解放されたような気分になり、再び人並みになったと感じて雄弁に説教ができた。 その後、常用していたアヘンの作用による刺激が切れると、惨憺とした恐怖のドン底を目のあたりに見た。彼は、そうした幻覚症状にある時は組合教会に顔向けができないことも、身に付いてしまった毒薬によってのみ常人のように振る舞えることも知っていて、まさに暗黒の世界の淵に立たされている心地だった。とうとう、死ぬより他に道がないと思い詰めてしまったのである。
下層階級の人々が住む地区では、アヘンの奴隷は100人単位で数えるほどいる。売春宿では、アヘンが君臨している。彼等はきっと忘却剤が欲しかったのだろうが、その目的など問題外だったようだ。麻薬はその作用によって、知性を麻痺させ、霊妙な至福感を幻覚させる。
考えてもみ給え。僅かな時間独りぼっちにされた瞬間、あるいは無邪気だった子供の頃の思い出が頭の中を駆け廻る瞬間、暗闇と恐怖が消え失せていく瞬間、夜毎の景観が闇の空に浮かび上がる瞬間、あの『不幸な人々』がこの強力な麻薬に虚ろな夢を求め、モンテ・クリスト伯爵まがいの莫大な富と華麗な奢りに満たされ、言語に絶する光り輝く壮観にして気違いじみた妄想の中にどっぷりと浸る、という幻覚がどんなことか考えてもみ給え。彼等の野心が消え失せ、道徳心を磨く意欲が萎縮してしまった瞬間、麻薬の作用により奴隷になり下がっていく様を考えてもみ給え。
こうした人々は、飲んだくれがその悲しみをラム酒の中に沈めるように、この毒薬に同じ効果を求めている。ひと度麻薬の魔力の奴隷になると、彼等はその作用なしでは拷問に身悶えする状態に陥る。 しかし麻薬の作用が働くと、彼等は苦悩の状態から神秘的に充足した幸福感に転化する。無意味な事柄が華麗な祭典に転じ、醜怪な物が深遠で美しい芸術に転じ、絶望のドン底にあった体験が祝福の美しい歓喜の絶頂に昇華する。
彼等は、いつでもそうなのだが、自分たちの周囲を取り囲んでいる死の霊気に反抗を試みる。しかし、この奴隷たちが体験した、かくも素敵で極端な状態も、いずれは単調な状態に萎縮してしまう。欲求不満がつきまとい、無関心さが彼等の唯一の指標になる。
彼等が摂取する毒薬の量は著しく増加し、信じられない量に昇る。記者が知っているあるシンシナティの市民は、重病人に投薬する強力な処方の100倍以上の量に相当する25グラムから30グラムのモルヒネを常用していた。そのモルヒネ常用者は間もなく、年令不相応に老化し、体格が萎縮し、エジプトのミイラのように皺だらけになり、シンシナティ市内病院に入院し、1日60グラムという途方もない量の麻薬を摂取していた。
絶望的なアヘンを常習している奴隷の数は、アルコール中毒患者の100倍という恐ろしい数字を示している。後者のアル中は時に更生できるが、前者の更生例は皆無に等しい。アヘン常習者が更生することは極端に稀である。その例がシンシナティに一つだけあることが判ったが、その人がアヘンを止めたのは、他の強力な刺激薬(コカインと思われる)に乗り換えてその虜になったからに他ならない。
この麻薬の奴隷たちは、ラム酒の奴隷のように乱暴にはならないが、束縛は強く;身動きができないほど固く縛られている。ひと度、その蟻地獄に引きずり込まれたら、地獄の一丁目から死神が救急車に乗って親切にお出迎え、という奉仕だけが唯一の救いになるであろう。
[編集後記:ハーンは、この数年後に他社へ移り再び麻薬の害について警告の記事を書いている。]
1 件のコメント:
麻薬の魔力は幻影にしか過ぎません。
幻影を追う人々は、その絶望的な魔力に滅ぼされます。例外はありません。
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