エドワード・ロスタイン(Edward Rothstein) NYタイムスから抜粋
ダーウイン生誕200年記念および『種の起源(On The Origin of Species)』出版150周年記念に当たる今年、ここイェール・センター・フォー・ブリティッシュ・アート(Yale Center for British Art)で一風変わった美術展が開催されている。だいたい視覚芸術の作品は全てある意味で一風変わってはいるが、ここに展示されている作品は、その題材が変わっていることよりも、全てがある点で共通していることに特異性がある。その共通点とは、作者が意図した焦点ではなく、当美術館の学芸委員が特定の鑑識眼によって選定された作品その他の数々であることだ。『特定の鑑識眼』とは、作品の内容がダーウインの『種の起源』に刺激され影響されていると(中には一方的に)解釈されたものばかりである。従って展覧会のタイトルは題して『限りのない形体:チャールス・ダーウイン; 自然科学と視覚芸術(Endless Forms: Charles Darwin, Natural Science and the Visual Art)』となっている。
出展物は、ダーウイン自身が航海中に集めた収集物、イェールのピーボディ博物館(Peabody Museum)所蔵の化石、鉱物、剥製その他、米英の博物館から借り受けたもの、それと個人の収集物から、などで構成されている。イェール・センターの担当キュレ−ターはエリザベス・フェアマン(Elisabeth Fairman)だが、元来はケンブリッジ大学(University of Cambridge)のフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum)が構成設定していたものである。ダーウィンが同大学の学生だった頃、その美術館から感銘を受け、その時の印象が後年ビーグル号で航海中に見聞し収集する時に影響を与えていた。
『種の起源』は殊更目新しい理論ではなくなったが、この展覧会場で作品を片端から鑑賞すると、その理論が全く違った角度から眺められ、少なくとも我々日常の観察眼が、ダーウインの視点を通して『進化』していたことに気が付く。
例えば、ピーボディ美術館蔵の作品、ガラパゴス島(Galapagos Islands)を主題とした小鳥のいる風景画を鑑賞する場合、普通だったら何気なく画の美しさだけ眺めて通り過ぎてしまう。これをダーウィンの『目』を通して鑑賞すると、その風景画から小鳥と環境との微妙な関わり合いを自然科学的に組み立てて観察するという視覚点の違いに気付くであろう。こうした鑑賞の姿勢で作品を眺めると、画面上の細部よりその背景にある文化に、題材の時代的考証より地理的な考察に、主題のありのままの姿より進化の背景や未来に思いを馳せ、思い掛けない発明や発見への道につながる糸口になるかも知れない。
ダーウィンは晩年「(私が)膨大な森羅万象の真実を、機械的に分析し処理し体系付けていたことで、芸術の美を充分に享受できなかったことは嘆かわしい損失であった」と自己批判をしている。しかしこの展覧会の成果を高く評価する限り、彼の自己批判は杞憂に過ぎない。「真実を、機械的に体系付けた」この展覧会で、特にかくも多くの作品が集められ体系的に構成されたことは予期以上の驚異的な成果が達成できたと断言できる。
ダーウインの言う『限りのない形体』とは『自然』が過去に存在しなかった何かを次々と創造してきたこと:視覚は前世代に運命付けられた観念のように近代化を余儀なくされ続けてきた。しかしこの展覧会からは、失望とか皮肉の訴求ではなく、古くさい信念を排除し、知覚や感覚を祝福する輝かしい饗宴を発見できるであろう。

[イギリス、ケント(Kent, England)沿岸で、画家自身は遠方に立ち崖の先端を見上げ、その家族はペグウエル湾(Pegwell Bay)の浅瀬で貝を掘っている。日没の明りに燃えた空にドナティ彗星(Donati's Comet)が尾を引いて流れ、200万年後に再び現れるまで宇宙の彼方へ消え去った。『種の起源』が出版された時と同じ1859年に描かれた。]









番外作品
1 件のコメント:
絵画の鑑賞に、気が付かなかった別の見方を教えられました。
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