春めいて来たニューヨークにて 北村隆司(きたむら りゅうじ)
2009年3月10日
2009年3月10日
玉本論文は「日本の近代化は、法社会制度から工業製品に至るまで、全てを海外から模倣したものである。日本人は自国の歴史に興味を持たない為か、維新までは厳しい階級社会であった事を忘れ、平等社会と安全が日本の伝統であるかの様な錯覚まで起している。それだけに止まらず、国民は国の年金や健康保険制度が長期的に破産状態にあるにも拘らず危機意識を持っていない。リスクを嫌う日本国民は進歩を求める変革より、周囲の人々が同じ様に不幸せであれば満足する傾向が強い。政策より政局に忙しい貧困な政治が官僚制度の跋扈を許し、統制による競争の制限と再分配の権力を有する官僚社会が日本の進歩を阻んできた。日本が模倣出来る外国が存在しなくなった現在、日本は個人の自主性と自由な発想を確立し、純血思想を捨て移民に門戸を開き、無から発想したアイデアを組み立てて新境地を開発しなければならない。他国からは自分が思うほど大国と評価されて居ない日本は、傑出したリーダーの下で、リスクを伴った改革を必要としている。このままでは日本の転落は間違いない。」と言う趣旨であった。
この論文を読んで先ず感じた事は「模倣の国、日本」と言う先入観を持った多くのアメリカ人に媚を売っていると言う印象である。玉本論文の趣旨に反対している訳ではない。氏の日本分析手法とレッテルの貼り付け方に賛成出来ないのである。
「日本は、官僚制度を打破して個人の自主性と自由な発想で転換する必要に迫られている。それにはリスクと傑出したリーダーシップが必要だ。」と言う主張は誠にその通りであるが、特に目新しい主張とも思わない。
福沢諭吉(右の写真は慶應義塾大学にある胸像)の愛した言葉、「独立の気力のない者は必ず人に依頼する。人に依頼する者は必ず人を恐れる。人を恐れるものは必ず人にへつらう。そして人にへつらうことによって、時に悪事をなす。独立心の欠如が結果として、不自由と不平等を生み出す。学ぶことの目的は、まずは独立心の涵養である」は自主性と自由な発想の確立を訴えた言葉である。
リスクを伴う日本の改革の必要性は「最早戦後ではない」と言う結語で有名になった1956年の経済白書で、簡潔且つ明快に指摘した事であり、IT時代初年に当る2000年の経済白書の巻頭言で、当時の堺屋太一経企庁長官がその必要性を強調した事でもある。 主観に基ずく比較論には余り意義はないが、玉本主観と私の主観の違いを述べてみたい。
欧米に比べ産業革命の導入が1世紀遅れた日本の工業化が遅れた事は批判しても始まらない。その現実を踏まえて論議すれば、日本の近代化は模倣どころか世界でも稀な独創的手法で行われた。黒舟来航や3国干渉など外圧が在った事は認めるが、鎖国政策の廃止と天皇制の復活は、日本国内の自由で激しい論争と内戦の犠牲を払った上での選択であった。重要な事は、鎖国の廃止と倒幕の目標は自ら選択した日本の近代化であり、他国を模倣した選択ではない事だ。
もう一つの特徴は、巨額の費用を払って海外諸国に多数の留学生を派遣して、欧米諸国の長所と短所を比較させた事である。換言すれば巨大なソフト投資を実行したのである。男尊女卑の色濃い時代に、58名の国費留学生の中6歳の幼気名津田梅子など5名の女子を選抜した黒田清隆(くろだ きよたか左の写真)の様な先見性に富んだに指導者もいた。当時、此れだけ巨額な予算を指導者養成と言うソフトに投じた国家が実在したとしたら、教えて欲しい。
身分と貧富の差の厳しい封建制度から、前例のないスピードで日本に多数の中産階級が生まれた裏には教育重視による識字率の向上があった。日本の百年前の識字率に今でも及ばない現在の米国に、当時の日本の政策を模倣するよう奨めたい位である。
1914年に勃発した第一次大戦に参戦した日本軍の武器は殆ど輸入品であった。処が、その四半世紀後の第二次大戦では、殆ど全て国産の武器で戦った。この日本の工業力の急速な進歩は、基礎産業と技術を優先した政策の成果で、当時としては極めて特色のある政策と言える。
国領慶大教授も指摘している様に、戦後のアジアで早く工業化に成功した国は「Country First」の日本型政策を踏襲した諸国で、欧米的「Individual First」を採用した多くの国は腐敗が蔓延する結果を招いた。
日本が導入した欧米各国の法社会制度や生産方式は、遅れた農業国日本をアジアでは進んだ工業国に、前例のないスピードで変換した周到に準備された政策のマスター・プランに基ずいて部品として輸入されたものである。それらの部品は、日本的なシステムに融合されて力を発揮したのであって猿真似ではない。その点で、ステイーブン・ジョブ(Steven Jobs 右の写真)と言う傑出した指導者の全体俯瞰図を基に、海外製のハードで固めたiPodの開発方式は、日本の近代化手法に極似している。
玉本氏は日本人の独創性の欠如を強調するが、此れもステレオ・タイプ的発想に思える。科学部門のノーベル賞受賞者を独創的発想の持ち主とすれば、1901年の第1回ノーベル賞の例を挙げたい。医学生理学賞を受賞したエミール・ベーレン(Emil Adolf von Nehring左の写真の左)は北里柴三郎(きたざと しばさぶろう左の写真の右)が主導した研究の共同研究者であった。研究の主導者であった北里博士が受賞できなかった理由が人種差別の結果であった事はノーベル財団の証拠で証明されている。其の後も、鈴木梅吉(すずき うめきち)、高峰譲吉(たかみね じょうきち)、野口英世(のぐち ひでよ)など言葉や人種上の障害で受賞を逃がした日本人学者は多い。
日本の産業は外国の後追いに過ぎない例として、フォードの自動車大量生産方式、テープ・レコーダーの発明、ソニーのウォークマン等を挙げているが、これ等は比較不可能な異質な事例で、なにを指摘しているのかさっぱり理解出来ない。
日本は、独創的な発明、革命的な生産技術の開発、消費者の夢を満たす製品の開発などの分野で、それなりの貢献をした事は間違いない。一方、玉本氏が日本の閉鎖的で記憶主体の教育制度や過度な官僚の干渉を改革すれば、その貢献は飛躍的に増す筈だと批判されるのであれば、全くその通りである。
TVAに至っては、朝鮮窒素が創設した水豊ダム(左は建設中の写真))を中心とした大コンビナートのビジネス・モデルの完全模倣と言っても良い。この大コンビナートは、現在のチッソ、旭化成、積水グループ、信越化学の母体を作った不世出の起業家であった野口 遵(のぐち したがう)と戦後「日本工営」を設立して日本国内は勿論、海外諸国でも次々に大型ダムの設計、監督を行った久保田豊と言う偉大な技術者の共同傑作であった。
TVAを象徴するウイルソン・ダムの完成より数年前に完成した水豊ダム(右は完成したダム)は、コンビナートの中心として、当時の日本全体の発電量の20%を超える世界最大規模の発電を担い、東芝の製造した発電機は当時世界最大容量を誇った。朝鮮窒素の大コンビナートが完全な民営であったのに対し、不況対策として創設されたTVAが国営であった事は、現在の日米の現状を考えると如何にも皮肉である。
日本が国家運営をソ連に学んだ等とは滑稽千万としか言いようがない。
玉本氏は日本を安定志向国と批判しながら、北欧の高負担高福祉政策を批判しない事も腑に落ちない。セーフティ・ネットを無視するアメリカ式ビジネス・モデルに、かつての輝きはない。世界の大多数は貧富の格差の小さい国家を志向して居り、GINI指数で測ると日本は世界のトップで北欧各国がそれに続く。その点、日本は世界の見本であり、格差の小さい事自体は玉本氏の言うほど悪いものではない。
いずれにせよ、玉本氏の挙げた具体事例をあげつらって反論するのが目的ではない。又、各国のビジネス・モデルを対立軸に置いて排他的に比較する事も非生産的である。私は、不況期にはケインジアン的政策を取り入れ、競争促進には米国的自由競争社会の思考を取り入れるなど、異なった理念、異なった制度を時に応じて併用する時代ではなかろうか。
一方、玉本氏の指摘に在る通り、日本の安定志向、官僚独裁体制、純血主義、先例主義は余りに度が過ぎており、猛反省をしなければならない。結果平等主義の行き過ぎを改め、機会平等主義を奨励し、権利章典の伝統を持つ米国のデリケート・バランスを重んじた判断手法を取り入れる等、日本の将来の為にアメリカから学ぶべき事は極めて多い。
小泉改革に代表される日本の改革に対する批判の幼稚さは、中川泥酔事件より恥ずかしい。私は税制と財政を工夫した中福祉、中負担の福祉政策の下で、規制は最小に抑える自由経済型の小さな政府を信奉している。その点、玉本氏の主張には一理ある。
我々の孫の時代を考える時、日本が大改革を必要としている事は間違いない。一方、玉本氏には保守的な日本人を説得する為にも、アメリカン・モデルが常に正しいとの前提で日本を一方的に批判する事は控え、冷静で客観的な論陣を張って欲しいと願って止まない。
1 件のコメント:
玉本論文も、北村反論も、意見の相違は別にして、共に日本を愛し憂慮しての発言である。いずれにしても、日本が不況から脱出し健全な政治が行われることを願う。
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