2009年3月13日金曜日

GM(ゼネラル・モーターズ)の迷走

高橋 経(たかはし きょう)ロビンフッド、ミシガン州

天声人語子曰く、、、
3月8日付けの朝日新聞の天声人語子は「GMが生んだ(アメリカで唯一無二の)スポーツカー、コルベット(右の写真)」のこと、その当時が「アメリカ(企業)の青春で米国経済が若々しかった」こと。「それから半世紀を経て、(昨今)GMは『事業を続けるには疑念がある』という年次報告書を当局へ提出した」こと。ーー(中略)ーー そして「(GMという)巨大企業は、経済危機の『火元責任』を一身に負うかのように、存亡の岐路に立ち、逆風を切り裂いて走り続けるのか、修理場へと消えるのか。GMの命運もまた、それひとつで危機の眺めを一変させる。」と結んでいた。

私はこの寸評を読んで、天声人語の筆者のような日本の知識人が、巨大企業とはいえ『対岸の火事』であるアメリカの一企業の存亡に関心を寄せていることに奇妙な感慨が蘇ってきた。それは、GMの勃興と衰退の歴史であり、また私が10余年間、間接的とはいえGMの碌を食んでいた体験の回想でもある。

輝かしくも波乱に満ちたGMの勃興
GMの創業は1885年、若冠25才のウイリアム・デュランが(William C. Durant左の写真)J.ダラス・ドート(J. Dallas Dort)と共同で始めたデュラン+ドート馬車製造会社に端を発した。それはミシガン州のフリント市、デトロイトから約80キロ程北にある工業都市だった。デュランの信念は『販売から製造へ』で、フォードの戦略と正反対だった。つまり、『需要』が先に立ち、それを満たすために『供給』するという考え方である。デュラン+ドート馬車会社は創業以来15年目に日産200台の量産をする大工場になっていた。同時代、20世紀が始まる1900年頃には群小の自動車製造が苦闘していた。自動車の実用化は時間の問題で、遅かれ早かれ馬車は駆逐される運命にあった。デュランは、時代の成り行きを先見し、馬車製造の設備を利用して自動車製造に切り替えた。1904年、先ず年産たったの28台で破産した小自動車会社ビュイック(Buick)を買収し、自動車製造のノウハウを手中に収め、4年後には年産8,847台(対してフォードは6,181台)という最大の自動車会社に成長させた。勢いに乗ってオールズモビル(Oldsmobile)、キャデラック(Cadillac)、ポンティアック(Pontiac)も買収し、1908年、今日のゼネラル・モーターズ(General Motors)の母体を築いた。好事魔多し、上げ潮の時は乗っていたが、1910年前後の引き潮につまずき、会社は銀行に乗っ取られ、GMの内部組織は分裂していた。苦闘中のデュランを救う神となったのがシボレー(Chevrolet)で、1915年までにシボレー会社を大会社に育て上げ、それを切り札にGMを買い戻しコーポレーションに昇格させた。 デュランは、更に各種の部品会社も買収し、その内ベアリング会社の社長アルフレッドP.スローン.ジュニア(Alfred P. Sloan, Jr.下右の写真)を引き立て、新会社ユナイテッド・モーターズ会社の社長に任命した。しかし1920年代から1930年代にかけての経済恐慌と相俟ってGMも破産寸前に追い込まれ、会社を救う代償として、デュランは退き、彼の時代は終った。 スローンがGMの社長に就任したのが1923年、それまで合併続きで寄り合い所帯のまま混沌としていた集合体企業を、彼は組織的に改革し、その後の33年に亘る在任中に着々と世界にまたがる確固とした巨大企業GMの基礎を築き上げた。

第二次大戦:戦前、戦中、戦後のGM
スローンの経営は、時代の変貌に短期で対処できる陣容を整えていたことに特長がある。1936年に自動車労働組合(United Automobile Workers Union)が創立された時、フォード(Henry Ford)が組合を弾圧しようとしたのに反して、スローンは組合と協調した。真珠湾攻撃に端を発して日米戦が始り、軍需車両が必要になった時、GMは軍部から受けた80億ドルの注文を遅滞することなく納入した。大戦が終わり、軍需が下火になり乗用車の需要が見込まれると、GMは他社に先駆けて製造を開始し新車を送り出した。

米国経済の青春:GMのコルベット(Chevrolet Corvette)
戦後10年以内にGMは、高級車からファミリー車、大型小型のトラック、あらゆる需要に応じられる車種を生産していた。たった一種欠けていた分野は、アメリカで採算がとれる見込みがなかったヨーロッパ製並みのスポーツカーだった。それを敢えて1953年の自動車ショーで実験的プロトタイプとして板金の代わりにファイバーグラスを使った車体のコルベットを出品した。結果として多くの観客から絶賛され、経営陣は採算無視の覚悟で315台だけ生産した。基本価格は3,513ドル、当時キャデラックが5,000ドル前後、乗用車が2,000ドル前後だったから、スポーツカーとしては妥当な価格だった。以後半世紀余り、現在でもコルベットはスタイルを変えながらアメリカ唯一のスポーツカーとしてGMの栄光を受け継いでいる。

GMのつまずき:欠陥車
1950年代の後半、フォルクスワーゲンを筆頭とする輸入小型車の売り上げが増加しつつある傾
向を重視し、一家で2台目,3台目の需要を見込んだGMは、それに対応する経済的コンパクト車1960年型コルベア(Corvair)第一号を発売した。この計画が当たったまではよかったが、不幸にしてコルベアの機械的な欠陥が原因で事故が続出した。その事故の多くが裁判沙汰となり、賠償金はともかく、コルベアの、そしてひいてはGMの評判を著しく傷つけた。

消費者擁護運動とGM
1966年、若い弁護士ラルフ・ネィダー(Ralph Nader)(左写真)は、上記の訴訟事件に強い関心を持ち『高速低速どのスピードでも不安全(Unsafe at Any Speed)』という本を出版した。その本でネィダーはGMの産業上の無責任行為を糾弾し、被害者には公正な補償をすべきで、今後欠陥車を皆無にする要求を強調し「コルベアの欠陥は悲劇である。悲劇はメーカーがコストを抑えるために不完全な機械を作るという過ちを犯したことである」と書いた。言い換えると、GMではコストを抑えて利益の増大を図れという至上命令が技術的な完成度を犠牲にさせたことを暴露したのである。GMの幹部は、ネィダーを逆恨みし、何者かに脅迫電話をかけさせたり、尾行させてネィダーの欠点を探し出し、彼を社会から抹殺しようという企みまで明るみに曝され『欠陥車』の恥を更に上塗りしてしまったのである。ネィダーを旗手に、消費者運動が台頭してGMを槍玉に、他のメーカーも糾弾した。

輸入車攻勢
1983年、自動車専門の評論家ブロック・イェィツ(Brock Yates)が『アメリカ自動車産業の衰退と没落(The Decline & Fall of the American Automobile Industry)』という本を書いた。1983年というと、現在ほどではなかったがちょっとした不況で、車が売れないことが大きな話題となっていた。反面、日本の車が性能、品質ともに確実に高い評価を受け、着々とアメリカ市場を切り崩している時期でもあった。イェィツの分析したアメリカ自動車産業の問題点はGMだけに止まらず、ビッグ・スリー全ての企業に共通した経営陣の弱点を指摘した。弱点とは、幹部社員達の勢力争いが第一に挙げられる。一例が、ポンティアックやシボレー部門のマネージャー、明敏で辣腕、しかも美男子のジョン・ディロレアン(John Z. DeLorean)が次期社長候補と噂されていたが、結果として社内抗争に敗退して退社した。後に自分の会社を作ってスポーツカーを製作したが、思惑通りに売れず破産した。それはともかく、ディロレアンが書いた本『晴れた日にはGMが見える(On a Clear Day you Can See GM)』の中でGMの経営陣が『品質管理』を軽視し、勢力争いに確執している実態を綿々と書き連ねていた。

電気自動車を完成し、抹殺したGM
この経緯については既刊のブログ『経済危機』の一部で紹介したから多言は避ける。GMの電気自動車は『実験的』にサターン部門(Saturn Division)の特別チーム(右写真)で1996年に完成し『EV1(Electric Vehicle 1)』と名付けられた。限定生産の約2,000台は、排気規制が最も厳しい南カリフォルニアで抽出した2,000人のドライバーにリースされた。彼らはその性能、乗り心地、静かな動力部、単純な構造、全てが気に入ってしまった。 それを知ったGMの経営陣は、その成功を喜ぶより、それを量産することによって起こる帰着性を思い恐怖におののいた。何故?自動車メーカーの裾野は広い。電気自動車が一般化したら、内燃機エンジンを始め、バッテリー、スパークプラグ、その他諸々の自動車部品メーカーの供給が悉く不要になる。部品だけではない、ガソリンも要らなければ、全国至る所で営業している何千何万という給油所も不要になる。従って販売の大半を自動車燃料の消費に依存している石油会社も莫大な利益を放棄せざるを得なくなる。消費で成り立っているアメリカの経済は混乱崩壊し、百万人単位の失業者がでる。 従来の企業政策を温存するため、2004年GMは、当時のブッシュ政権(George W. Bush)に働きかけ、カリフォルニアの排気ガス規制を骨抜きにし、同時に電気自動車を作った他社(フォード、トヨタ、ホンダ)と語らって彼らの新製品を抹殺することを同意させた。2,000人のドライバーの抗議も空しく、リース切れが縁の切れ目、まだピカピカのEV1は、一台残らず回収され文字通り粉砕されてしまった。

GMの将来、そして我々の将来
世界の巨大企業GMは、今苦境に立ち政府に泣きついて巨額の借款を申し入れている。GMの将
来に疑念を持つ議員たちは、返済の見通しもない金を貸すわけにいかない、と強硬に反対している。 これはあくまでも私見だが、GMは破産するか、企業規模を極端に縮小して電気自動車を生産するか、の二つに一つしか将来はあるまい。GMだけではない。車の需要は頭打ち、競争は激しく、生産過剰のツケがどのメーカーにも廻ってきた。そのために多くの失業者がでるであろう。彼らの生きる道も、従来の自動車産業に頼るのではなく、新しいエネルギー開発とか、環境浄化の仕事とか、全く別の消費経済を否定できる道を探さねばなるまい。そうした未知の新生への人生転換が容易でないことは充分に承知している。しかし、我々が経済危機から脱して、人類の未来を築こうという意欲があるなら、この重荷から避ける事はできない。

これがオバマ大統領が掲げる『チェインジ(change)』するの為の産みの苦しみと思って我々は多かれ少なかれ耐え忍ばなくてはなるまい。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

GMの衰退はアメリカの衰退でもあります。これは単に不況、不景気の解決で済むことではありません。この不況の禍根は想像以上に深刻です。根本的な『チェインジ』は大事業だと思います。