2012年1月18日水曜日

札幌よいとこ、雪まつり


テレビ塔から札幌市を展望

札幌の起源
札幌という地名は、現在の豊平川をアイヌ人が『サッポロ』と呼んでいたもので、川の流域一帯の地名にも転用されたようだ。それは、語源のアイヌ語『サト(乾いた)』『ポロ(大きい)』という意味を持っている。つまり、豊平川が乾燥季に水かさが減って「河川敷きが広」くなる、という説の他に「乾燥した広大な土地」という説、その他がある。

札幌の変遷
札幌村郷土記念館
徳川時代、天明の末から寛政の初頭にかけてに松前藩が石狩平野一帯の統治を確立した。安政年間に本願寺の別院が設立された。

慶応2年(1866)、幕臣大友亀太郎が定住し創成川の基礎を開削し、付近を札幌村となり、現在の札幌村郷土記念館となった。
明治8年(1875)、東京から移転した開拓使仮学校が札幌農学校と改名した。開拓使制度はこの7年後に廃止された。

クラーク博士
同校の初代校長は調所広丈、その教頭んにマサチューセッツ農家大学の学長、ウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)が招聘された。クラークが残した「少年よ大志を抱け」という言葉はあまりにも有名である。
同校の2期生からは思想家になった内村鑑三、女子教育に力を注いだ新渡戸稲造、植物学を極めた宮部金吾らを輩出した。

札幌市の時計台



明治19年(1886)、北海道庁が設置された。

明治40年(1907)、仙台市に東北帝国大学が設置されるに伴い、札幌農学校は東北大学に統合され、同大の名を与えられ東北帝国大学農科大学となったが、札幌から移転はしなかった。

大正7年(1918)、第5番目の帝国大学が北海道帝国大学として札幌に設置されるに従って、東北帝国大学農科大学は同大に移管され、北海道帝国大学農科大学と改称した。またこの年、札幌市電が開通し、

大正11年(1922)。札幌は公式に『市』となった。

昭和5年(1930)、札幌市営バスが運行を開始、以後年毎に発展していった。
札幌市庁舎

札幌の市政
現在の市長は民主党系の上田文雄、市の財政はまずまずだが、長期不況の影響で税収入が減り福祉支出が増えた。頭痛の種は地下鉄事業で96億円の赤字を抱えている。

札幌は北海道庁の所在地。面積121.12平方キロ、人口は昨年末現在で190万6千141人、全国で4番目。人口密度は平方キロ当たり1700名となっている。男女比は、女性10に対して男性9の割合だから、結婚相手を探すには男性にやや分があるようだ。

すすきの
札幌の名物
札幌名物は「ラーメンとビール」、と言ったら、「それだけではないぞ!『雪まつり』を忘れるな」と叱られるだろう。いずれにしても、北海道の酪農製品と、内村鑑三や新渡戸稲造を輩出した札幌農学校は、同校が誇る偉大な遺産であろう。


では、札幌名物『雪まつり』の一こまをお楽しみあれ。ビデオは毎日新聞経由。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

札幌というと、何故かちょっぴり外国のような感じがします。津軽海峡を渡ることで「海の彼方」という印象を受けたせいかも知れません。