2011年6月9日木曜日

100年前のアメリカ

1911年
10年は『一昔(ひとむかし)』、100年は『一世紀』平均寿命が延びた昨今、100才の老人が生存していることに不思議を感じなくなりました。その100才の老人が「オギャー」と生まれたのが1911年、その時のアメリカはどんな社会だったでしょうか?ある人がそれを調べてまとめました。その結果がジェームス・ロッジ(James A. Lodge)を通じて転送されてきましたのでご紹介いたします。

1911年というと、日本は明治44年、明治から大正への過渡期でした。何方か、100年前の日本の社会をご存知でしたらお報せください。日米を対照してみたいと思います。編集:高橋 経

産業、経済、報酬など
1911年はアメリカ工業界が開花した時期。その代表がフォードのT型モデル(下の写真)で、大量生産態勢の申し子だった。

  • ガソリンは薬局でしか売っていなかった。
  • アメリカ全土で鋪装された道路は全長距離232キロ、、、
  • 走っていた乗用車はたったの8,000台。
  • 速度制限は時速16キロ。
アメリカの平均報酬は時給で22セント。(左の写真は時給22セントで働く工場の労働者。註:時代とともに為替レートが変わり、貨幣価値が変動しているので正確な換算ができません。ご推量にお任せいたします。)
従って、平均年収は200ドルから400ドル、といった所だが、、、

  • 公認会計士の年収は2,000ドル
  • 歯医者はやや高く、2,500ドル
  • 犬猫病院の医師は1,500ドルから4,000ドル
  • 機械エンジニアは5,000ドル

  • 世界最高層のビルといったら、パリのエッフェル塔。

生活、物価、医療、その他
  • 男性の平均寿命が47才。
5大死因の順位
  1. 肺炎とインフルエンザ
  2. 結核
  3. 下痢
  4. 心臓欠陥
  5. 卒中
  • 電話を備えていたのは、全米の8パーセントだけだった。
  • 砂糖は500グラムで40セント
  • 卵は12個で14セント
  • コーヒーは500グラムで15セント
  • 全家庭の14パーセントしか浴槽を備えていなかった。
殆どの女性は、洗髪を月に一度だけ、シャンプーとしてホウシャとか卵の黄身を使っていた。

出産は95パーセントの妊婦が
病院より自宅で処理していた。

医者という職業をもつ人々の90パーセントが専門教育を受けておらず、政府の規制水準より低い非公認の医学塾で講習を受けただけだった。

  • 10人に2人は読み書きができない文盲、全米人中、高校卒は6パーセントしかいなかった。
  • マリュワナ、ヘロイン、モルヒネ、などはどこの薬局でも処方箋なしで買えた。薬剤師はヘロインを「肌の色をきれいにし、心を弾ませ、健康を守るのに完璧な薬」と讃えていた。
  • 全家庭の18パーセントが奉公人や住み込みの女中を雇っていた。

まだ無かったもの:電気洗濯機、電気掃除機、テレビ、ラジオ、缶ビール、アイス茶、『母の日』、『父の日』


政治
  • 当時アメリカは45州(現在は51州) ネヴァダ州、ラス・ヴェガス市の人口30名(右の写真)
  • カナダ政府は低所得者の入国を、何らかの理由をつけて禁じていた。
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まだまだ信じられない往事の社会環境があるが、この程度でも充分に100年前の生活が想像できるであろう。
たった今、私がクリックするだけで、世界中の人々に瞬時にして
この記事を送ることができる2011年のハイテク時代と100年前とを比べてみたら、将に隔世の感に堪えない。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

自動車の量産は、消費経済の第一歩でした。消費で成り立つ資本主義国家の功罪を考えてみてください。