2011年5月30日月曜日

カーボーイとサムライ

高橋 珂那(たかはし かな)
のブログProject Hot Air Balloonから抜粋転載
Monday, May 2, 2011

馬を手馴づけ、鞍を載せ、巧みに乗りこなす調教師の、元祖ホース・ウイスパラー(the horse whisperer:『馬に囁く人』とは馬と意志の疎通ができる人)バック・ブラナマン(Buck Brannaman)が、人々に馬についての全てを教える人生を描いたこの比喩的な物語は、今日の社会に最適な話題だと思う。


そのドキュメンタリー映画バック(Buck)』サンダンス国際映画祭(Sandance Film International Film Festival: SFIFF)観客賞(The Sundance Audience Award Winner)を獲得した。その選択には、私も諸手を挙げて賛成する。奇妙なことに、この映画は映画祭が予定していた選択作品には含まれていなかった。それが会期の最後の瞬間に飛び入りしたのだ。だから観客はスクリーニングへ入場した時点では、上映されるまで何を見せられるのか知らなかった。


ユタ州ソートレーク市の郊外、パーク・シティ(Park city)で開催されたサンダンス国際映画祭は、期間11日、世界から寄せられ選ばれたた数多くの出品作品が、朝から晩までマラソン上映される。その全てを観るのは不可能ではないが不条理なので、私は私なりのペースで鑑賞することにしている。それにしても、自分が住む街で映画館へでかける場合と違い、一本平均1時間半の映画を観るのに行列に並んだり、上映後の製作者たちとの質疑応答に残ったり、次のスクリーニングまで歩き回るなど、何やかと4時間はかかる。


また良い映画を観た後は、別の映画は観ないで後味をかみしめるのが楽しい。逆に、顔に唾をかけられたような胸くその悪い映画を観た後は、口直しに2本目を観る。たまに3本目に挑戦することもあるが、まあ一日平均2本が私のペースだ。「食べ放題」のレストランのつもりでやたらに映画を観ると、うんざりして不快になるのオチだ。

今日は、私にとってラッキーだった。先ず『バック』はカタログに載っていなかったので観ないつもりだった。でも連れの友達メグの熱心さに引きずられ、それに妙に「何が出るかお楽しみ」に惹かれて行列に並んだ。『バック』の内容は前記の通りで、思いがけない拾い物だった。

それが終わって息をつく暇もなく、二本目の日本映画十三人の刺客(13 Assassins)』に駆け込んだ。

筋書きから見ると『十三人の刺客』は、どちらかというとクラシックな日本の時代劇の典型であるが、随所に近代的な映画手法を駆使している。従って、私のように『チャンバラ映画』好きだったら、充分に活劇の興奮を堪能できる傑作だ。


こうした切ったり張ったりの荒っぽい活劇が、『バック』のように孤独なカーボーイを地味に描いた映画をかみしめて観た後でも、全く違和感を感じさせないで、私の胸の中で協調しているのは奇妙だったが、偽りのない実感だ。

更に奇妙なのは、あの激しい『チャンバラ映画』の後、半日以上も経っているのに、カーボーイ、バックの人生への私の思いが未だに抜け切っていなかったことだ。私はバックの物語りにある種の感動を受けた。あえて私は、今年のサンダンス国際映画祭で『バック』が最も感動を与えた。といっても過言ではないと思う。

誰だって同時に二つの人生は歩めないとバックは言う。彼は過去にこだわらず、彼の目的に向かって人生を歩んでいる。それがバックの『賢明さ』であることを私は認識させられた。そうして、バックは私を画面の中へ引きずり込んでいったのだ。これが疑いもなく映画の醍醐味であろう。

『十三人の刺客』を観て劇場を出た時、大勢の観客たちが非道な主君の暗殺に成功した刺客たちの首尾に歓声を上げているのを見た。

そしてその夕刻、サンフランシスコへの帰り道、私はアメリカの特殊攻撃隊がオサマ・ビン・ラデンの暗殺に成功したニュースを聞き、アメリカ各地で、その成功に歓声をあげている群衆をテレビで見た。


二つの『暗殺』という偶然に、私は自分の耳目を疑いながらオバマ大統領の報告を三度も聞いていた。

事実は小説より奇なり、なのか?事実とフィクションは並行しているのか、いずれにしても双方、貨幣の両面のようだ。だが私は、異常な物語を劇場で鑑賞する時でも、異常なニュースをテレビを通じて知ることでも、落ち着いて考察することにする。いずれも台本が書かれ、校正され、編集されて、製作者の意図が伝えられることには変わりはないからだ。

しかし、現実の世界では私はむしろ、立ち騒ぐ群衆を制したり嘲ったりして「落ち着いて坐っていろ」と言う側に立ちたい。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

『親の祟りが子に報い』といったら少し違うのだが、私は幼児の頃から母の手を引かれて映画を見た。長じて、学生の頃はもとより、会社務めをするようになってからも勤務中に抜け出して映画を見た。お断りしておくが、仕事はしっかりした上でのこと。
筆者、珂那は私の一人娘。
私の映画好きは母譲り、珂那の映画好きは父親譲り、ということになる。