2010年8月18日水曜日

ハイテク時代の姥捨て山(うばすてやま)

(はじめに)東京都の男性で最高年令者が111才だとされていた人が、実は32年前に死亡していたことが判った。続いて、都内の女性で最高年令者が113才だと言われたが、この人は住民票の地番には居住せず存在生死も不明だった。

神戸では125才になっている筈の高齢女性は住民登録上の住所は誰も住んでいない公園になっていた。大阪の127才と目される男性は、別の区で死亡届が出されていたので、台帳の記録から消されていなかった。

こうした付け落としの記録が発見されて以来、100才を超える高齢者の所在不明が続 々と明るみに出てきた。都会が『砂漠』と呼ばれるようになって久しいが、人口が過密になり、文明が進むにつれ『砂漠化』に拍車がかかり『姥捨て山』化しているようだ。その上、個人情報保護法が、他人同士はもとより、親族の絆(きずな)まで稀薄にした。住民の記録は役所のコンピューターで事務的に処理され、孤立し、孤独に老い、孤独に生きる社会に変貌しているようだ。

長寿大国、日本を誇りにしていたが、こうした実態に触れると失望と、稀薄になった人間関係にやり切れない焦燥を感じないわけにはいかない。そんな気分が消え去らない内に、この幻滅のニュースが地球の反対側で取り沙汰されていた。以下、数日前にNYTに掲載された評論をご紹介する。編集:高橋 経


日本で、今は亡き多数の最高年令者を確認

マーチン・ファクラー(Martin Fackler)
2010年8月14日付け、NYT掲載から全文

東京発:日本は長いこと、世界で最も高齢者の多い国、という評判をとってきた。多くの人がその理由として、西欧諸国とは比較にならないほど食生活が優れ、老人に敬意を表し大事にするからだ、としていた。


その伝説が’崩れたのは、111才という高齢であるはずの男性が30年以上も前に死亡していて、警察が発見した時はミイラ化していた事実が発表されてからである。警察の調べによると、81才になる死者の娘は、父の死を隠し、生きていることにして月々の年金を受け取っていた、ということだ。


この事件が警鐘となり、地方の役所は調査官を高齢者の住居に派遣して生死を確かめさせた。調査官によって判明した事実は落胆以外の何ものでもなかった。(上の写真:神戸市の担当官(左端)が先週、わたせ・みつえ(100才:中央)老女の家庭を訪問中)

東京都で113才と最高年令だと思われていた女性を最後に見掛けた人は、30年ほど前のことだった。別の125才と思われた世界最高の長寿者と思われた女性は、永年行方不明、従って生死不明だった。1981年(昭和56年)市役所の係官が、その老女を訪ねようとしたら、住所が誰も住んでいない市の公園だった。

今日までに、役所の担当者が、記録上100才以上の高齢者を訪ねようとしたが、281人以上が所在不明だった。こうした実態を非難する一般国民に対処すべく、長妻昭厚生大臣は、担当官が110才以上の高齢者に漏れなく面会し、生存を確認せよ、と通達;東京の担当官は、都内に居住する100才以上の長寿者3千人を訪問することを約した。


この事実が表面化して以来、行方不明の老人数が日々に増加し、マスコミには嘆きの記事が続々と掲載され、日本国中の一般大衆から関心が寄せられている。日本最大の日刊毎日新聞の論説でもこれが長寿国と言われる日本の実相なのか?と慨嘆を表明した社説が発表された。

担当官の一人が確認した生存者は佐賀県の南に住む113才の婦人で、この女性が日本では最長寿者と信じられている。

この急速に老人社会となったこの国で行方不明とされている長老者たちの捜索で、、、自己分析診断によると、、、すでに過剰な負担を負わされて手一杯になっている老人養護施設、そんな状態に付け込んだ詐欺行為、ほぼ連日のように老人の孤独な死がその自宅で発見、などが明るみに出た。


今の所、行方不明の長寿者に何が起こったか、について明確な解答が出されていない。日本では、蔓延している年金の詐取行為が発見され、あるいは、役所で殆どの係官が処理していたような、ズサンな住民記録の為に起きた問題なのであろうか?あるいは、こうした不浄な事件は、評論家たちが「若い世代が親達を粗末に放逐して家族が崩壊していることによる結果である」と眉をしかめて語るような世相が招いたことなのであろうか?


国際医療福祉大学( International University of Health and Welfare )の、高橋ひろし教授(註:同大学のサイトに高橋精一郎教授の名はあったが、『ひろし』なる教授
の名は見当たらなかった。)「これら事象は老人遺棄の現われです。今や、都市の社会では、ますます崩壊の一途を辿る親族関係の渦中での老人の現実が表面化してきたのです」と語っている。

調査担当官たちは社会心理学的な見地から説明をしている。彼らの観測によると、一部の長老者たちは単純に老人施設に移っているが、一方で、ミイラ化した遺体が発見された一件のように、更に多くの老人たちが死亡してしまっているのではあるまいか、と疑問視している。

東京足立区を担当している係官達が、日本で最長寿者と考えられていた加藤そうげん(Sogen Kato)を祝福すべく、その自宅を訪れた時、加藤老人は既に屍体となってた。その時以来、彼らは『長寿者』への疑問を抱き始めたのである。

担当官たちによると、加藤老人の娘がチグハグな証言をしていた、とのことだ。初めの内「父が担当官に会いたくないと言っていたから」と言い訳し、後で「今日本のどこかで仏教のお説教をしているから、どこにいるか判らない」と言い換えた。同居していた孫娘が「祖父は1978年(昭和53年)以来寝たきりだ」と告白したことから、警官が立ち入り調査をすることになった。


加藤老人の家から数丁離れた家庭でも似たような一件が見付かった。その家には103才になる(はずの)男性の老人の住居だったが、その縁者は「老人は38年前に家を出たきり戻ってこない」と言っていた。だが、73才になる老人の息子は「いつの日か父が戻って来た時の用意に父の年金を受け取り続けている」と語った。

足立区役所の住民登録部門のはじかの・まなぶ係長「こんな事情について誰も全く疑いをもっていなかったようです。でも、不在の老人の年金を受け取るため、故意に老人の行方不明あるいは死亡の報告を怠っていることは明らかに犯罪ですと憤懣していた。


一部の医療福祉の専門家たちは「こうした事件は、子供が親の面倒を看るのが当然とする社会に、親達を養護施設に送り込んだ方が良い、という歪んだ考え方を持たせるようになります」と分析。専門家たちは、更に高齢化が進み、親達の平均寿命が長くなるということは、その子供たちが親の面倒を看る頃には、彼ら自身が70才台という、誰かに面倒を看てもらはなければならない年令になっている可能性が大きい、とも観測している。

少なくとも一部の件で、地方の担当官は、不明朗な家庭から逃避した年老いた親もあったと証言していた。専門家たちは、老いた親たちは脳障害とか他の重症で医療費が嵩むことを恐れ、また家族もその負担に耐え切れなくなり、親の面倒を看なくなり、また失踪しても警察に届けない、などの例を挙げた。


関係官庁で多数の『100才以上』老人が所在不明であることが明らかになり、人口統計学者たちは、その老人達の所在、生死、を確認するのが困難になっていることが、世界に誇っていた日本人の平均寿命(世界銀行の統計によると現在までは83才前後)を算出すのに大きな障害となっている。だから担当官たちは、今までに発表された日本での100才以上の長寿者の統計数字は、実際には遥かに少ないであろう、と告白している。


足立区役所、老人養護部のねもと・あきら部長「この自然界では150才まで生きることは不可能です。でも、日本の公共管理の世界では不可能ではありません」と苦笑いしていた。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

人間関係が稀薄になったそうですが、誰も『人口過剰』が一役買っているとは誰も言っていませんでした。人が多過ぎると、生存競争は激しくなり、親子でもお互いに疎んじ合うようになるのではないでしょうか?悲しいことです。