2010年8月9日月曜日

追悼:パトリシア・ニールの浮沈

アル・ジーン・ハーメッツ(Al Jean Harmetz)
2010年8月9日付け、NYTの記事から

ケンタッキー州の一炭坑町で生まれ育ったパトリシア・ニール(Patricia Neal)は、長じてハリウッドの映画やブロードウエィの舞台に立つ女優としてアカデミー賞やトニー賞を受賞し、輝かしい名声を挙げた。そうした華やかな栄光の影で、その私生活は悲劇的な浮沈に揺さぶられていた。そのパトリシアが、昨日曜日(8月8日)、マサチューセッツ州エドガータウン(Edgartown, Mass.)、マーサのブドウ園(Martha’s Vineyard)内の自宅で84才の生涯を終えた。直接の死因は肺ガンだった。


編集から:パトリシア・ニールの生涯に関する長文の叙述は省略し、映画ファンの記憶に残るアルバムのハイライトだけご紹介する。いずれも共同通信(Mark Humphrey/Associated Press)提供によるスティル写真。


1949年に公開された『摩天楼(The Fountainhead)』で、当時48才、絶頂期にあったゲィリー・クーパー(Gary Cooper)の相手役として23才のパトリシア・ニールが抜擢された。二人は撮影中から激しい恋に陥り、その関係は3年も続いたが、結果としてクーパーが妻子の元に戻り、終わりを告げた。

同映画の一場面。パトリシアの役柄は数々の候補者を退けた激しい競り合いの結果だった。その割には、興行的に成功しなかった。(編集註:日本ではアメリカ公開の直後に封切られ、大評判だった。なお、原作者のアイン・ランド(Ayn Rand)の本はベストセラーで、60年後の今でも市場に出回っている。)

パトリシア・ニールリチャード・トッド(Richard Todd)共演の軽卒な心(The Hasty Heart)』『摩天楼』と同年、1949年公開。

1961年のヒット、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn:中央)、ジョージ・ペパード(George Peppard:)共演のティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)』で助演したパトリシア

1964年、ポール・ニューマン(Paul Newman)ハド(Hud)』に出演し、粗野なカーボーイの男所帯で気丈な家政婦を演じ、アカデミー賞、トニー賞を受賞したパトリシアだったが、スクリーンでは観客の人気をさらったニューマンの魅力の陰に抑えられていた。その1年後、卒中を3度も経験し、3週間にわたり昏睡状態に陥った。

回復後、記憶力が弱くなり台詞を覚えるのが難しくなったが、1968年、フランク・ギルロイ(Frank Gilroy)作の舞台劇バラが主題だった(The Subject Was Roses)』の映画版で帰り咲いた。その演技が買われてアカデミー賞の最優秀女優賞の候補となった。写真は夫ロナルド・ダール(Ronald Dahl)授賞式に入場する所。

1999年の映画クッキーの幸運(Cookie's Fortune)』に出演したパトリシア

2005年ハリウッド通り舗装された有名人の星(a star on the Hollywood Walk of Fame)』賞牌を受けた。

2008年、晩年のパトリシア・ニールは、脳障害の児童や成年を救う基金集めに、その余生を捧げ尽くした。

編集からお願い:上記、日本語に翻訳した映画の題名が、日本で公開された題名と違っていた場合はお知らせください。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

1950年(昭和25年)頃、ゲイリー・クーパーのファンだったこともあり、『摩天楼』に大きな感銘を受けたことが鮮明に記憶に残っています。パトリシアが演じた女性という役柄は強烈な印象でした。