そうした近代交通に影を落としたのが、2001年9月11日(ナイン・イレヴン)の同時多発テロ事件だった。ご承知の通り、保安の目的で搭乗客のチェックが厳しくなり、送迎客はゲートに立ち入り禁止となった。それでも、テロリストはチェックの目を潜って爆発物を身に着けて搭乗することがあった。
『快適な』はずの空の旅を『怪的』にしたのはテロリスト達だけではない。特に大都市の飛行場は運行スケジュールは便が年々増加し飽和状態となり、予定通りの発着が遂行されないばかりか、欠航の止むなきに至ることもしばしば起こった。
また、年を重ねた航空機は機械的な不調を起すのは当然であろう。整備が行き届かない故障もしばしば発見された。発見されない不調もあるはずだ。
航空機の弱点の一つは、天候に影響されることである。濃霧による視界の不良化はレーダーでは救えない。雪や氷で滑走路が凍り、機体が文字通り思わぬ滑走をする。雷雨、暴風など悪天候を避けるとしたら、当然運行スケジュールが変更または欠航ということになる。
去る4月にアイスランドの火山が大噴火を起こし、噴煙がヨーロッパの上空を覆い、殆どの飛行場が無期欠航をし、飛行場には何日も身動きのできない旅客がターミナルに足止めとなり動きがとれなくなった事件は未だに生々しく記憶に残っている。
あれやこれやの『怪的な空の旅』に嫌気がさしたからでもなかろうが、セス・スチーブンソン(Seth Stevenson)が『地上に立って:大地を行く世界一周(“Grounded: A Down to Earth Journey Around the World”』左の写真)という紀行文を書いた。私は彼の心境に同感したのでここにご紹介する。
ジェット機時代を回避して、、、
セス・スチーブンソン(Seth Stevenson)
2010年4月、シカゴ発
セス・スチーブンソン(Seth Stevenson)
2010年4月、シカゴ発
アイスランドの火山噴火の噴煙に覆われたヨーロッパの飛行場で、かれこれ一週間も足止めを食わされた挙げ句、やっと運行が再開され乗客たちは目的地へ向かうことができたようだ。
政府の要人、ビジネスマン、一般の旅行者、貴賎の差別なく各々の旅程が混乱し、予定を台無しにさせられた人々は、この復旧に多分胸をなで下ろしたことであったろう。でも私は、ひねくれているかも知れないが、この不慮の事件がもっと長引けばよかった、と思っている。つまり、飛行機の復旧を待つ代わりに、タクシーをつかまえてスカンジナビア半島1万キロを突っ走るとか、馬車を雇ってアルプス越えをするとか、考えてみる ----- そうすることによって、旅が何やらロマンチックな気分を誘ってくれるような気がするからだ。
過去半世紀というもの、空の旅がそのスピードや便利さで、長距離旅行に欠かせない交通機関として独占してしまったようだ。だが、オーソン・ウエルズ(Orson Welles)が書いた『素晴らしいアムバーソン一家(The Magnificent Ambersons)』の中で「旅を短急に済ませると、使える時間が限られる」と言っている。正にその通り、飛行機での旅に馴れると、自分の生活にゆとりがなくなってくる。旅の目的が仕事であれ、休暇であれ、予定が切り詰められ、短時間で遠距離の目的地を往復するようになるからだ。(右はシベリア大陸横断鉄道)
言い換えると、空の旅は往復の距離間隔(感覚)を無視することになるのだ。反面、車とか汽車で地上を旅すると、その距離間隔を自分の目の高さで、自分の身長に応じた事象を有意義に甘受するゆとりが生まれてくる。汽車なら展望車の窓から、波に揺られる船ならデッキの上から、移り変わる風景を楽しむ余裕がある。しかし、こうした体験は1万メートルの上空から雲の合間を通してだけしか得られない。(左の写真はオーストラリアの未開地)
といった考えから、私はガールフレンドのレベッカ(右の写真)と共に、飛行機を一切避けた世界旅行を企て実行した。
その旅程の内には、シベリア横断鉄道に乗り、モスクワからウラジオストックまでの大地を通り抜け、オーストラリアの荒れた大平原を車で横断した。こうした旅行を飛行機で飛べば、それぞれが半日もかからないであろう。だが、鉄道や車だったらそれぞれたっぷり一週間かかった。その間に、鉄道ではキャビンで一緒になった親切なロシア人とパンやチーズを分け合って食べたし、オーストラリアの平原では一軒家のホテルでジャッカルー(jackaroos:アメリカでいうカーボーイ)とビールを呑んだりした。こうした心暖まる思い出は一生鮮明に記憶に残ることであろう。
大西洋航路の船(上左の写真)をご想像あれ。大海原の真ん中で星空を仰ぎ眺めたこと、甲板の手すりにもたれ、水面を見ながら見知らぬ船客と杯を交わし合ったことなど、下船した後でも忘れられない。
旅客船の運行予定は限られているから、貨客船を利用するという方法もある。私たちの旅程の一部では、フィラデルフィアからアントワープを結ぶ貨客船を利用した。あの時はパイロットのブリッジ辺りで船員と知り合い、航路の地図でどこを航行しているのか教えてもらった。食事は食堂で船員達と同じテーブルに坐り、彼らの生活の一端を覗かせてもらった。甲板では翼を大きく広げた海鳥を目の当たりに、また巨大なクジラの潮吹きや、イルカの群れが船と並んで泳いでいるのも見た。(上右の写真)
もし私が車で旅をしている時に、旅客機が頭上はるか彼方を飛んでいるのを見かけたら、あの細長いジュラルミン筒の中に腰掛けている乗客には体験できない数々の素晴らしい風景や出来ごとを見聞できた自分の人生が、如何に充実しているかということに、限りない幸せを感じないではいられないであろう。
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1 件のコメント:
雪害で欠航、遅れ、氷除去、などなどで
すっかり予定が狂った空の旅を経験した後、汽車を利用し、車での長距離運転をしました。筆者セスの意見には大賛成。その紀行記はいつかご紹介します。
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