2010年7月21日水曜日

続マティス:『裸婦』の変遷と進化

キャロル・ヴォゲル(Carol Vogel)
7月11付け、NYTの評論から抜粋

(左から)マティス(Henry Matisse)は滅多に裸婦の後ろ姿を描くことがなかった。という訳で、この1908年から1909年にかけて創られた彫像は、マティスを知る人を驚かせた新方向の作品である。モデルは片方の腕を頭に挙げ、彼女の体は壁の面に密着して立っている。近代美術館(The Museum of Modern Art, New York)所蔵

(次に)この彫像は、マティスの作品の中では、高さ6フィート(183センチ)以上という最大のものである。上の4段階を制作するのに足掛け23年かけた。近代美術館の主任キュレーター、ジョン・エルダーフィールド(John Elderfield)の解説によるとマティスは最初、石膏を削り、その原型から二つ型をとった。一つはブロンズで、もう一つは次の新しい段階を始める石膏の原型とした」ということだ。

(この第三段階では)基本的に曲線で始めた裸婦の彫刻は、全体に角張って、背筋は直線的に変化してきた。従って、裸婦の頭、首筋、髪の毛などの細部も曲線部分が削り落とされている。

(最後に制作された)彫像をコンピューターで分析して制作の変遷と進化をみると、立体部分は、より平板になり、裸婦の背筋は柱のように直立し、全体の構成の中心部となった。

マティスが同時代に制作した代表的な作品ダンス
”Dance," Paris, Boulevard des Invalides:1909年)

この作品は、ロシアの美術収集家サーゲイ・シュチュキン(Sergei Shchukin)の依頼による。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

ダ・ヴィンチやミケランジェロもそうでしたが、マティスの作品を観ていると、美術家は肉体労働に耐えるだけの強健さが要求されるようですね。