2010年7月19日月曜日

マティス:『水浴』の変遷と進化

ハイテクで分析したマティスの『水浴』

キャロル・ヴォゲル
(Carol Vogel)

7月11付け、NYTの評論から抜粋



マティス:1913年〜1917年間の過激な創造(Matisse: Radical Invention, 1913-1917)』と銘打った展示がニューヨーク、近代美術館(The Museum of Modern Art)で今週から開幕する。これには、X線などのハイテクを駆使し、ティが取り組んだ一つの作品を分析した解釈が、この偉大な画家の試行錯誤を明らかにしているのが見所となっている。

アンリ・マティス(Henry Matisse: 右の写真、背景に『水浴』の一部が見える。 George Eastman House, International Museum of Photograp
hy and Film, Rochester)は、フランスが生んだ画家、版画家、彫刻家で、1869年の大晦日に生まれ、1954年11月3日に亡くなった。マティスは、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)、マルセル・デュシャムプ(Marcel Duchamp)と並んで20世紀の独創的な美術家として名を残した。初期には野獣派(Fauve: フォーヴ)を標榜していたが、1920年代には、フランス派の古典的な伝統を擁護する旗頭の存在となった。色彩や形体の表現の強烈さで訴え、半世紀以上に亘って、近代美術を先導する地位を確保し続けた。

今回焦点を当てた展示作品の主題は川岸で水浴する女たち(Bathers by a River)』で、この作品を水彩で描いたのが1909年、下に示すように何度も再制作し、8年後の1917年にどうやら満足できる結果に到達した。今日まで、美術評論家の間で、何故このような変遷や進化が行われたのかが大きな疑問となっていたが、ハイテクを駆使し、その謎がほぼ解けたようだ。


今回の特別展示は、同美術館の主任キュレーター、ジョン・エルダーフィールド(John Elderfield)と、アート・インスティチュート・オブ・シカゴ(The Art Institute of Chicago)のキュレーター、ステファニー・ダレサンドロ(Stephanie d'Alessandro)によって企画構成された。この展示で、美術展示会では稀な作品分析も併せて紹介し、今までは、画家本人だけが胸にたたんでいた試行錯誤の変遷が明らかにされている。

1909年、発端の水彩画
ロシアの収集家、サーゲイ・シュチュキン(Sergei Shchukin)が彼のモスクワの住居に飾るため、3枚パネルの作品をマティスに依頼した。これは、マティスシュチュキンに提出した試案の水彩画である。

1909年3月〜5月:第一段階
レントゲン写真により、第一段階における、滝やせせらぎを背景に4人の水浴女性の構成が浮かび上がった。(青い線が女性達の存在を示す)

1909年秋〜1910年春:第二段階
マティスはこの段階で、女性の位置構成を変更した。エルダーフィールドの観察によると、大きな女体を風景を背景に構成しているのは、いかにも1909年らしい発想だ。だが、マティスはこの段階では満足していなかった。(黄色い線が女性達の存在を示す)

1913年5月:第三段階
エルダーフィールドの観察:マティスが1913年にパリへ戻った時、画面構成を変更する意図が充分だった。彼がパリ不在だった頃、キュービズム(Cubism: 立体派)が頭角を表し始めた時であった。その動きにマティスが注目を払っていたことは確かだ。(赤い線が女性達の存在を示す)

第三段階:写真技術によって再構成
デジタル写真技術を利用し、第三段階の構成を一旦分解し、再び繋ぎ合わせて構成し直した。このプロジェクトのために特殊のソフトが開発された。歪みを修正し、配列を矯正し、多層のイメージを平板にした。大きな白い空間はマティスの影。マティスの肖像はアルヴィン・ラングトン・コバーン(Alvin Langdon Coburn)が記録した。

1913年11月:第四段階でイメージに再び色彩を加える
新しく開発されたイメージング技術は、画家のパレットにある絵具の色彩を再構成することができる。最終的な完成図から色彩を、古いモノクロ写真の断面を、それぞれ抽出してデジタル方式で再制作し復活させる。
エルダーフィールドの観察:当時、マティスの他の作品と比べてみると、いずれも安定した色彩を使っているのが判る。マティスは鮮やかな色彩から灰色まで使い分けているが、パレットの絵具を見ると、画面で見るより遥かに鈍く暗い色が多い。

1916年:第五段階、バンディング(画面の縦割り)
縦割りの各部分をビデオで見せているが省略。 エルダーフィールドの観察:マティスは、キュービズムが台頭する以前に名声を築いていたが、キュービズムは彼を過去に葬るほどの形勢にあった。マティスはその攻勢に挫けることなく自己の制作に熱中し、キュービズム信奉者たちを押し返すほどの野心的な作品を発表し続けた。

1917年:完成
この作品の初期では、女体が流れるような線で描かれていたが、描き直しの繰り返しで、女体の線は直線的で抽象的となり、最後には全てが幾何学的な構成となった。
エルダーフィールドの観察:注意深く観察すると、こうした女体は初期のものの亡霊であることに気付く。従って、ハイテクによる分析で知らされる以前に、この完成画で画家が行った作品の変遷や進化が理解でき納得させられるであろう。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

偉大な画家には、強烈な個性と主張があり、それを基盤として、自己に忠実な『完全主義者』でなければならないのだと思います。