2010年7月15日木曜日

アメリカ人の顔色が変わる

高橋 経(たかはし きょう)
2010年7月15日

原住アメリカ人は赤ら顔

今を去る518年前、1492年10月12日、大西洋を西に向けて航行していたコロンブスの船にいた乗組員の一人が島を認めた。その島は今日のバハマ島(Bahama Island)で、それが『コロンブスのアメリカ大陸発見』として後世まで語り伝えられることになってしまった。


その『発見』は『侵略』につながり、そしてヨーロッパ諸国に広まり、『開拓』という名の下に組織的かつ熱狂的な侵略が実践され、北アメリカ大陸は隅々まで白人の所有するところとなった事実は、どなたもご承知のことであろう。1492年以前には、北アメリカに住んでいた原住民が、理論的には『生粋のアメリカ人』なのだが、通説によると、コロンブスバハマ島に着いた時、インドに到着したと勘違いして、原住民を『インデアン』と思い込んだのだそうだ。『間違い』が改められないと、それが正当化されて今日まで通用していまうのだから恐ろしい。

人種の間違いが正当化されるだけなら、流説に逆らうことなく心ならずも『生粋のアメリカ人』を便宜上『インデアン』と呼ぶことにするが、侵略的な開拓精神が正当化されると、侵略された原住民たちは、自己防衛のために『侵略者』たちの行く手を阻もうと戦うのは当然であろう。不幸にして、彼らの必死な抵抗も空しく、ヨーロッパからの侵略者たちは優位な武力をもって『インデアン』という名の原住民を殺戮し、住居を焼き払い、土地を奪い、残党を追放し、合衆国を築き、『アメリカ人』という人種名まで獲得してしまった。


侵略アメリカ人は白い顔

19世紀の初頭には、太平洋沿岸はまだメキシコの領地だった。当時はまだ野趣に富み、スペインの僧侶たちがミッション(Mission)という布教活動をするために、沿岸各地に点々と教会を設置した以外、住民は貧しいなりに、のどかで牧歌的な暮らしを楽しんでいた。19世紀の半ば、白人の開拓軍は一方的にメキシコ政府に戦争を挑み、一方的に勝ち名乗りを擧げた。当時のメキシコ政府は、カリフォルニアが首都から遠隔で不便だったので、争う気もなく敗退した。


かくして、カナダを除く新世界/新大陸(The New World)』の北米大陸はヨーロッパ系の白人のものとなった。1849年、カリフォルニアで金が発見されたのはメキシコ戦争の直後で、それを知ったメキシコ政府は地団駄を踏んで口惜しんだが後の祭りだった。金発見のニュースが東部に伝わるや開拓民が西へ西へと殺到した。これがいわゆるゴールド・ラッシュ(The Gold Rush)』の到来である。

人や物を、迅速かつ大量に運搬できる将来性を見越し、鉄道が建設されて東西を結び、電信が張り巡らされ、19世紀の末期には産業が発展し、自動車を始め各種の発明が生まれ、アメリカ工業国に変貌していった。

それに先立って南部では、労働力の必要からアフリカ黒人を多数、組織的に誘拐し奴隷制度を築いた。これが南北戦争の切っ掛けとなるのだが、同胞相い争う惨憺たる流血の挙げ句、北軍の勝利で、次世代の公民権運動につながった。

黄色い顔のアジア系アメリカ人


中国人を主とするアジア系の人々が移民してきたのは金発見の直前で、大半は重労働で危険を伴う鉄道建設に貢献した。同時に農業を志す日本の若者も、耕地を求めて続々とアメリカ大陸に移民してきた。人種間の軋轢が生じたのもこの時代の特長であろう。白人優越の思想『開拓民』の間にあったことは苦々しい事実である。

こうした動乱期を経て、アメリカ合衆国は政治経済ともに世界の大国となり、20世紀を迎えた。第一次世界大戦に参戦し、1930年代の不況時代を切り抜け、1939年の秋、ナチ軍のポーランド侵入で火ぶたを切った第二次世界大戦には孤立中立を図っていたが、日本の挑戦に応じて参戦、太平洋戦争で百万人単位の犠牲を払って戦勝にこぎ着けた。


戦後、アメリカの経済発展は、敗戦国日本の復興と並行して上り坂を駆け上がったが、1975年のエネルギー・ショックでやや停滞した。


顔色が変わり始めたアメリカ人

エネルギー・ショックから立ち直った1979年、アメリカ人の顔色に僅かながら変化が見られるようになった。改めて『顔色』を定義付けてみよう。


白人(White; or Caucasian):アメリカ建国当時、国語を英語にするかドイツ語にするかで対立したが、アイルランド人を含むイギリス人が数の上でドイツ系の移民を上回ったので、英語がアメリカ語として採用された、という経緯がある。ヨーロッパから来た移民は、おおむね『白人』として分類される。

黒人(Black; Negro; or Negroid):アフリカから拉致された肌の黒い人々だが、最近では『政治的に正しい(Politically Correct)』
表現として『アフロ・アメリカ人(Afro-American)』と呼び、『黒人(Black)』とは呼ばないようにしている。
スペイン系、ラテン系、またはヒスパニック(Hispanic):といってもスペイン人の移民は考慮されていない。アメリカでは、メキシコ系やプエルト・リコ(Puerto Rico: 西インド諸島の一つでアメリカの自治領)系の人々を指す。
アジア系(Asian):日、中、韓、を始め、東南アジアからの移民で、『本当の』インデアン(インド人)も含まれている。

インデアンご存知、原住民だが、これも『政治的に正しい』表現として『原住アメリカ人(Native American)』と呼ぶようにしている。人口比率が1〜2%と、余りにも少ないので、図表では『その他』の中に含まれている。

今日、2010年の人種別の割合いを1979年と比べてみると、白人比率の後退と、ラテン系の増加が目立つ。今から40年後のアメリカの人口は、国連(United Nations) の予測では4億4百万人、アメリカ国勢調査(The U.S. Census Bureau)の予測では4億2千2百万から4億5千8 百万人と、いずれも1億人前後の増加を見積もっている。

そして、スミソニアン誌(Smithsonian)8月号の報告によると、今から40年先の2050年には白人比率は更に後退し、ラテン系が更に増加すると予測している。それに伴って、僅かながらアジア系の人口比率が増加するというのも見逃せない。黒人人口の比率に余り変化が見られないのは意外な現象だ。

今から40年先、人種や人口の変化もさることながら、社会環境、政治、国際情勢にも大きな変化が起きることであろう。だが、それまで生き延びられるかどうか、という疑問も少なからず残る。


変わるとしたら、戦争や貧困のない平和な地球になって欲しいものだ。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

アメリカは『人種のルツボ』だとよく言われます。初めてそう言った人は、多分ニューヨークのような大都会の道路で行き交った雑多な人種を見た時の印象だったのではないかと思います。
問題は、そうした雑多な人種がうまく融合しているか、水と油のように反発し合っているか、でしょう。私には両方の現象が見られるような気がします。