2009年2月17日火曜日

白日夢の硫黄島

エド・マンサー(Ed Manser)Westlake、カリフォルニア州

[筆者は1927年(昭和2年)生まれ、映画のプロデューサー。主に広告代理店に所属し、宣伝用のコマーシャル製作に従事してきた。]

太平洋戦争の末期1945年の晩春、硫黄島は既にアメリカ軍が占領し、沖縄もアメリカ軍の勝利に終っていた。私は高校を卒業し、18才の誕生日6月24日を待って海兵隊に入隊し、来るべき九州攻略作戦に備えて戦闘訓練を受けていた。8月6日、広島に初の原爆が投下され、その3日後に2発目の原爆が長崎に投下され、その為か日本が降伏して戦争が終り、私たち新米の海兵隊は兵役を解除されて帰宅した。幸か不幸か、以来私は戦闘を体験する機会がないままこの年まで
過ごしてきた。しかし、太平洋戦争の記憶は鮮明に残っていて、時折見聞する当時の出来事には、何時でも興味を誘われた。

1980年代の或る晩、私はいつものようにテレビの前に座って、ジョニー・カースン(Johnny Carson)の『トゥナイト・ショー(Tonight Show)』を見ていた。ゲストは私の好きな俳優リー・マーヴィン、彼の映画は大方観ていた。











(ポスターは、左から『キャット・バルー(Cat Ballou)』、
『ペンチャー・ワゴン(Paint Your Wagon)』、『特攻大作戦(The Dirty Dozen)』、三船敏郎と共演した『太平洋の地獄(Hell in the Pacific)』)

先ずカースンが質問。「リー、大方の視聴者はご存知ないと思うけど、君は海兵隊の一員で、例の硫黄島攻略の一番手で上陸したそうだね。その時の戦闘で重傷を負って『海軍勲功賞(Navy Cross)』を授与されたって聞いたけど、、、。」[註:『海軍勲功賞』は『名誉勲章(Medal of Honor)』に次ぐ高位の勲章]

「まあ、そうだね、、、すりばち山を半分登った辺りまで攻略した時、尻に一発弾丸を食らって倒れた。それで勲章をもらったんだ。あの山で弾に当たって具合が悪いのは、それっきりで外されちまったってことさ。でもジョニー、それまで私はもの凄い勇敢な軍曹の下に従っていたんだ。あんな勇ましい人は見たことないよ。その男も私も揃って同じ勲章をもらったんだけど、私の勲章なんぞあの人の勲章に比べたら、ちっぽけな値打ちしかないよ。何故って、あの『がむしゃら男』はレッド・ビーチの上に立ちはだかって部下を叱咤して前進させていたんだ。弾丸がビュンビュン飛んでくる真っただ中でだよ。迫撃弾だってあっちこっちで炸裂しているんだ。あの男は自分を標的にさせて、その間に兵隊達を前進させようという寸法さ。彼にしてみれば、自分の命より、部下を前進させる方が大事だったっていうことなんだ。 あの戦闘以来、その『がむしゃら男』と私は生涯の友人になったよ。私がすりばち山から担架で降ろされる時、彼がすれ違いに私を認め、たばこに火を付けて私の腹の上に置いてくれた。で、これからどうなるんだ、リー、と聞かれたんで、そうさな、若し貴方が私より先に帰国できたら、お袋に屋外の便所は売り飛ばしちまえと伝えてくれ、って頼んだんだ。」
「ジョニー、この話しは本当だぜ。ボブ・キーシャン軍曹(Bob Keeshan)ほど勇敢な兵隊は見たことないよ。」

テレビを観ていた私は、『ボブ・キーシャン』という名前を聞いた瞬間、電気に打たれたようにソファから飛び上がった。ボブ・キーシャンは私の高校時代のクラスメートだったからだ。そして彼は、本名のボブ・キーシャンより、子供番組で人気があった『キャプテン、カンガルー(Captain Kangaroo)』の名で全国に親しまれていた。

私はリー・マーヴィンの話に心から感動した。彼の英雄振らない謙虚さ、他人の勇敢さを褒め讃える謙譲の美徳、そして彼自身も勇敢だったこと、私は改めてマーヴィンの大ファンになった。

そのジョニー・カースンの『トゥナイト・ショー』から数年経った1987年8月29日、リー・マーヴィンは風邪をこじらせて死亡した。まだ働ける63才だった。そして彼は名誉あるアメリカ軍人としてアーリングトン国立墓地(Arlington National Cemetery)に埋葬された。その墓石が高位の将軍たちの墓石に囲まれていたのは、ハリウッドの人気俳優だったからという理由ではなく、一兵卒リーの英雄的な奮戦に相応しい当然の処置だったと私なりに解釈していた。
私は彼のファンの一人として、その死亡記事をむさぼるようにして読んだ。奇妙なことに『トゥナイト・ショー』で語っていた硫黄島での負傷には一言も触れてなく、代わりにサイパン島の戦いで尻に弾丸を受け、戦場で負傷した全将兵に与えられる『パープル・ハート[名誉戦傷勲章](Purple Heart)』を授与された、とあった。

ここで私は改めて、ボブ・キーシャンの参戦に疑惑を感じ始めていた。前述したように、私はクラスメートとして彼の誕生日まで知っている。私の誕生日が6月24日、キーシャンの誕生日は私より3日遅れた27日だ。私が海兵隊に入隊するために、18才の誕生日6月24日まで待っていたと同じ条件がキーシャンにも当てはまる。彼がもし私と同じように入隊の日を待っていたとしたら、、、その時点で、硫黄島の戦闘は数ヶ月前に疾っくに終っていたのだ。

私はいつか、キーシャンに真実を確かめてみるつもりだったが、彼は2004年1月23日に76才で死んでしまった。その死亡記事に載っていた写真をつくずくと眺めながら、妙なことだが、ボブ・キーシャンは高校生の頃から76才らしい風貌をしていた。

そしてその丸1年後の2005年、同月同日にジョニー・カースンも死亡した。 リー・マーヴィンが『トゥナイト・ショー』で話していた硫黄島奮戦記の真相を確かめる手がかりは最早なくなった。

リー・マーヴィンが全国向けのテレビを通じてほらを吹いていたとは思いたくない。あの日は、ベテラン俳優らしい演技で『白日夢』を語っていたのではなかろうか。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

日本でも、テレビ番組の『やらせ』が明るみに出て何件が問題になりました。人気取り、視聴率の水増し、マスコミもこうなるとどこまで信用していいか判りませんね。