高橋 経(たかはし きょう)ロビンフッド、ミシガン州
2009年2月
2009年2月
今から64年前(1945年[昭和20年])の2月、日本はアメリカとの戦いに連戦連敗、『一億総決起』『本土決戦』を掲げて崩壊の瀬戸際に立っていた。フィリッピンや、西南太平洋の島々は守備兵と共に全て失い、残す島は硫黄島と沖縄だけとなった。アメリカは既にサイパン島を基地に獲得、そこからB29大型爆撃機が無着陸で日本の都市を爆撃することが可能になっていた。その爆撃拠点を更に半分の距離に近づけて飛行を容易にするために、アメリカ軍は硫黄島を攻略する作戦を進めていた。(下の写真は硫黄島の南端、すりばち山)


硫黄島を占領したアメリカ軍の人的損害は死者6,800名、負傷者21,800名。全滅した守備軍21,000名が与えたアメリカ軍の多大な損害を知った天皇裕仁は満足の意を表した、と伝えられる。
硫黄島戦の最中3月10日には東京大空襲、4月から沖縄攻略戦が始まり、4月7日、沖縄へ向かった日本海軍の誇る最後の切り札、世界最大の戦艦大和が撃沈され、4月12日、ルーズベルト大統領が死亡、トルーマンが新大統領に、6月22日沖縄島陥落、7月27日、日本の降伏を勧告するポツダム宣言が届き、鈴木貫太郎(すずき かんたろう)首相以下その勧告を『無視』、8月6日広島に初の原爆投下、8月8日ソ連が参戦し日本に対して宣戦布告、翌9日長崎へ2発目の原爆投下、10日降伏を決定してポツダム宣言を受諾、8月15日天皇が降伏の詔勅を朗読した録音をラジオで放送、9月2日東京湾に停泊したミズーリ号の甲板で日、米、連合国の代表が調印し、公式に太平洋戦争が終結した。

その映画の後長いこと硫黄島のことは忘れ去られていたようだが、敗戦から半世紀以上経った2006年の秋、硫黄島に関わる映画が、それも2本同時に製作された。2本共に制作者は俳優としても成功したクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)、いずれも野心的で良心的な作品だった。何故2本も?誰もが訝しんだ。理由は簡単、1本はアメリカ側の事情、もう1本は日本側の事情、いずれの側も立場も違えば、感情も違う。双方の事情を語らなければ公正を期することはできない、というのがイーストウッドの意図にあった。

この映画を鑑賞した後では、1949年の『硫黄島の砂』は、矢鱈に勇ましい登場人物の安価なヒロイズムだけが目立ち、活劇映画の域を脱していないご都合主義という印象しか残らない。

戦争は地獄。殺されるのはいつも下積みの民草。戦争は避けるに越したことはない。
1 件のコメント:
昭和21年以降に生まれた『無戦』の世代に読ませたいですね。
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