2013年1月3日木曜日

『テネシー・ワルツ』を唱った歌手たち


パティ・ページ:2005年
哀悼:パティ・ページ
1927年11月8日 — 2013年1月1日

ハンク・ウイリアムス:1948年
戦後間もない1947年頃、貧しいながら平和になった日本にアメリカの文化が怒濤のように流れ込んできた。当時画学生だった私は、アメリカ映画に熱中し、アメリカのポップ音楽に耳を傾けていた。数々の耳新しく軽快で陽気な歌の中でも、特にテネシー・ワルツ(The Tennessee Waltz)』に惹かれ心が和み胸が熱くなってきた。なぜ?

歌詞を聴くと、「俺が恋人と踊っていた時古い友達に出会った。恋人を彼に紹介し、二人が踊り始めた。踊っている最中、二人は好き合ってしまった。俺は彼女を失ったあの夕べのこと、あの美しいワルツのメロディが忘れられない」といった、いわば『失恋』の歌なのだ。私は日本人特有の『失恋』の感傷とはほど遠い、その『おおらかさ』に打たれたのであった。




カウボーイ・コパス:1947年
この歌が生まれたのは1946年、作詞はレッド・スチュアート(Redd Stewart)、作曲はピィ・ウィ・キング(Pee Wee King)で翌1947年12月に発表された。唱ったのはカントリー歌手、通称カゥボーイ・コパス(本名Lloyd Estel “Cowboy” Copas)だった。コパスは1940年代の人気歌手だったが、1960年、不幸にも飛行機の墜落事故で、50才で亡くなった。一方『テネシー・ワルツ』は他のカントリー歌手にも唱われ、次第に人気が広まっていった。私が初めて聴いたのはハンク・ウイリアムス(Hank Williams Sr.)が唱ったものだった。



 

パティ・ページ:1950年
間もなく1950年、パティ・ページ(Patti Page)が同じ『テネシー・ワルツ』を、歌詞の『失恋男』『失恋女』に入れ替えて唱い、これがヒットして何百万枚というシングル盤を売り上げるドル箱レコードとなり、以後62年というページの存命中、『テネシー・ワルツ』は彼女の一枚看板になってしまった。

上掲の録音は初期のもので、ページの声は澄んだ高音でテンポがゆっくりしているが、何十年も後の録音は、ずっと太い低音でテンポが早くなっている。どちらが良いとは決め兼ねるが、機会があったら聴き比べてみることをおすすめする。




江利チエミ:1952年頃
パティ・ページがヒットした直後の1951年頃、江利チエミ(1937年-1982年)が、その『テネシー・ワルツ』を唱って日本歌謡界のスターダムに踊り上がったことは周知の通りである。

『テネシー・ワルツ』は世界中の有名、無名歌手の間でも人気があり、上記の他にもエルビス・プレスリー(Elvis Presley)、アン・マレィ(Ann Murray)、ビートルズ(The Beatles)、ジョアン・バエズ(Joan Baez)、ボニィ・レイト(Bonnie Reitt)等々から、西欧人歌手、東洋人歌手など国際的にも数え切れないほどの歌手が発表してきた。その他、オーケストラから尺八に至るまで、数々の器楽演奏もされる、という不滅の『名曲』になったのである。

これで、元日に亡くなったパティ・ページも浮かばれることであろう。

冥福を祈りつつ、▶をクリックし、三人三様の歌唱振りを聴き比べられるのもご一興でしょう。
 編集:高橋 経

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

音楽は国境を越えて、誰もが共感できるものがあります。世界平和に利用したいですね。