2009年4月4日土曜日

非人間人間の肖像

高橋 経

その肖像をよく見ると野菜で構成されているので、最初『野菜人間』と呼んだ。しかし、それでは脳死で昏睡状態の『植物人間』と混同されるし、野菜だでけでなく魚や鶏肉、その他も題材に取り入れているので『非人間』とした。

その画家の名はジュゼッペ・アーチムボルド(Giuseppe Arcimboldo 上の図は自画像)、1527年にミラノで画家の息子として生まれた。1549年、22才以降ステンドグラスのデザインを始め、ミラノに多くの作品を残している。1556年、ジュゼッペ・メダ(Giuseppe Meda)と共にモンツァ大聖堂(the Cathedral of Monza)のフレスコ画を制作。1558年には聖母マリアを描いたタペストリーのデザインを手がけたが、そのタペストリーは未だにコモ大聖堂(the Como Cathedral )に飾られている。

1562年、アルチムボルドはウィーンで フェルディナント1世(Ferdinand I )の宮廷画家として抱えられ、後にその息子の マクシミリアン2世(Maximilian II)や、孫にあたるルドルフ2世(Rudolf II)にも仕えた。アルチムボルドは画家としてだけでなく、宮廷の装飾や衣装のデザインも手がけ、祝典や競技の企画、水力技師などで非凡な才能を発揮した。楽器、噴水、廻転木馬等も発明した。同時代のレオナルド・ダ・ヴィンチを崇拝していたというのも頷ける。

アルチムボルドを独特にしたのは、そうした多才振りより非人間人間の肖像に尽きるであろう。アルチムボルドの作風は『だまし絵』と言ってしまえばそれだけだが、その主題が暗示している政治や経済の不安定性と可動性を反映している点にある。作品の細部を注意深く観察し、その陳腐にして新鮮な部分の持つ比喩的な視野を拡大して考察すると、16世紀のヨーロッパの政治、経済をそこはかとなく率直で知的、いたずら半分に批判しているとも解釈できる。グロテスクともいえる表現は見る人の脳裏に
強烈に焼き付き、しばしば呪縛される思いがする。そういった意味でも、多くの人々を魅了してしまったようだ。

アルチムボルドは1593年7月11日、故郷のミラノで、その輝かしい66才の生涯を閉じた。

、1563年の作品。10年後に下段の『』を再制作した。

園芸師(上左):1590年頃の作。図書館の書記(上中)、ブリキ製で、本で構成された顔、画面を左に
倒すとただの静物画:1556年作。司法行政官
(上右)、魚やトリ肉の顔:1566年作。

、燃えるモノ色々:1566年作。、魚を始め水に縁のあるモノ色々:1566年作。
いずれも不安定性と可動性を暗示。

四季
(左上)1575年作。(右上):1573年作。(左下)1573年作。(右下)1563年作

ウェルツムナス(Vertumunus)に扮するルドルフ二世;1590-91年作。アルチムボルドが亡くなる二年前に完成。ルドルフ二世はこの肖像画が大変気に入り、彼に高い地位を与えた。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

傑出した天才ですね。絵画以外の多才振りも知りたいと思います。