2009年1月14日水曜日

経済危機の禍根:その1

住宅危機は救えるか?
ディック・クレマー (Dick Clemmer) 経済学者、ミシガン州
2008年11月2日

[筆者、Economist ディック・クレマー(Dick Clemmer)は、シカゴ大学経済学部卒業。長年セントラル・ミシガン大学(Central Michigan Univ.)で経済学の教授、2007年に引退。元HUD の委員。共著で『都市問題の経済』を出版。]
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1980年代の初期アメリカで、いわゆる『預金と貸し付け事業の危機』が生じた。多くの金融企業や他の「堅実」な銀行が経済的な窮地に立たされた。理由の一部は、こうした「堅実」な銀行が、当てにならない「ジャンク(価値のない)」債券などに投資し、リーガン大統領が住宅委員会(Housing Commission) の会長にウイリアム・マッケナ(William McKenna)を、会長補佐に前都市住宅開発部長官だったカルラ・ヒルス(Carla Hills)を任命した。私は住宅委員会の委員の一人で、都市住宅開発部(Department of Housing and Urban Development—HUD)の住宅購入者との貸し付け契約に関する委員会の報告書の作成にたずさわっていた。住宅購入者と貸し方の双方が直面していたのは、頭金の準備とそれに続く残高支払いの問題だった。借り方の事情は、当然ながらその家族の収入額に左右される。もし、借り方が失業して収入が無くなれば、月々のローンが払えず家を手放さなければならない。

私も身に覚えがあるが、多くの住宅購入者は、頭金を個人的に銀行や親戚かから借りたりして金策する。或はセンコンド・モーゲジ(二次的抵当)で頭金をやりくりする手もある。貸手は、購入者の借金状況(Loan)と家屋の価値(Value)との比率(L/V)が査定の鍵になる。要するに、LとVは対等の額でなければならないのに、LがVを超過したら、貸手としては抵当の価値が貸した金額より下がることになる。だから手堅い融資会社は、LとVの比率を0.9以下に(融資金額は家屋の価値より低く目に)、頭金は価格の1割以上払い込ませることを条件にしている。
こうした家屋購入者と金融業者との契約条件は、1930年代には明確な基準がなく、家屋の価値とか、借り手の収入事情など碌に考慮もせずに融資が行われていた。借り手が安普請の家を抵当に、不当な融資を受けることもできた。逆に豪邸を抵当にして抑え、僅かな融資をして高利をむさぼった挙げ句、借り手を支払い不能に追い込んで、邸を『合法的』に取り上げるケースもあった。こうしたケースは1930年代の映画の格好なテーマとなり、被害者は美貌で収入のない未亡人と相場が決まっていた。

その1930年代に、連邦住居管理局(Federal Housing Administration—FHA; 今日ではHUDの一部)が発足し、30年返済という長期ローンで、少額5パーセントの頭金で住宅が購入できるという制度が出来た。契約不履行に備えて、FHAは融資会社の損害に対して0.5%の保証料を取り立てることでFHAは収益を上げていた。その後徐々にMGIC (マジックと発音)など、民間の抵当保証会社が設立され低料金で保証を行った。

それから数十年後、住宅委員会に準じて抵当業務は全国的な規模となり、一般に金利が下がった。連邦全米抵当協会(The Federal National Mortgage Association—FNMA;ファニィ・メィと発音)が企業として創立され、全国的に共通する抵当権利書類の基準が設定された。FNMAは連邦政府機関の一部だったが、ベトナム戦争当時に売却され、その残存部門がHUDの一部となり、政府全米抵当協会(The Government National Mortgage Association—GNMA;ジニィ・メィと発音)と、小規模連邦ホーム・ローン抵当企業(The Smaller Federal Home Loan Mortgage Corporation; フレディ・マックと発音)となり、FNMAと同様の業務を行ってきた。大方の投資家たちは、中小の民間抵当会社には見向きもせず、ファニィ・メィに投資した。中小の民間抵当会社も次第にファニィ・メィに身売りし、かくしてファニィ・メィは抵当保証に関する市場をほぼ独占し、平均利率は更に下がっていった。
それから登場したのが『サブ・プライム(Sub-Prime)抵当』だ。この新型の融資条件は、貯えがなく固定収入のない人々を魅惑した。

私がHUDの仕事をしていた頃、FHAが、インフレの高騰に対処するため、漸増抵当支払い法(Graduated Payment Mortgages—GPMs)を開発した。つまり、インフレで物価指数が上がり個人の収入も増額された場合、それに従ってローンの支払いも増額する、というのが骨子だった。この支払い法は旨くいったかのようだったが、家屋の価値が下がりL/Vの基準1以上に上がってしまう、という不都合が生じた。結果として、住居を僅かな頭金で手に入れた人々の多くが返済不能に陥ってしまったのである。
こうした購入者が契約を済ませて入居し、やがて家屋の価値が下がり、借り手が月々のローン支払いが困難になった場合、貸方は家屋を抵当として取り上げ、入居者を追い出し、他に売却しても、貸した金額の穴埋めにならない。それでも家が売れれば良い方で、昨今は家の買い手がつかず、何ヶ月も投資金が凍結したままでいるケースが多い。 このサブ・プライム抵当が導入された時期、アメリカの住宅価格はインフレの上昇と相俟って上がっていった。過去の傾向として住宅価格の上昇がインフレの上昇を上回ると、その後は下降線を辿る。これが現在我々が見聞している現実である。住宅の価値が上昇している限り、投資家たちは利殖をむさぼっていられたが、住宅の価値が下がるにつれて、その損失は並々ではない。投資家たちとはファニィ・メィ、その株主、ウォール街の投資銀行のことである。 私はファニィ・メィを弁護するわけではないが、彼らは議会から住宅投資をするよう圧力をかけられていたにも拘らず、サブ・プライム抵当に関わったことはなかった。住宅ブームの2000年から2006年にかけて、サブ・プライム抵当は多くの銀行や融資会社を魅惑させていた。

だが2000年代の金融危機は、1980年代のそれといささか趣きを異にしている。1980年代には、住宅の価格とインフレの上昇が足並みを揃えていたからサブ・プライム抵当が順調に受け入れられ何の問題もなかった。しかし、2000年代、家屋の価格、インフレ、借手の収入、などの上昇に伴ってサブ・プライム抵当が著しく上昇したが、必ずしも均衡が伴う上昇ではなかった。
更に、住宅価値が下降線を辿ると同時に、L/Vの比率が過分数になってきた。先代連邦準備制度理事会議長アラン・グリーンスパン(右の写真)の言葉を借りれば、今日の株価の上下は「不条理な活気、、、」ということになる。 例の、議会が7000億ドルに及ぶ経済界の救済融資を決める以前、政府はファニィ.メィを買い戻し、巨大企業の保証会社AIGを救う工作をし、投資銀行リーマン・ブラザースを倒産させ、メリル・リンチ他の証券会社の人事改造案を同意させていた。

これほど乱れた経済界を7000億ドルで正常化できるかどうか、私は疑問に思う。連邦政府が他のトラブルにも介入し『崩壊した信用』を安易で高価なテコ入れをして経済市場の『信用回復』を図っても副作用が伴うのではないかと危惧している。
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1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

他人事とは思えません。