2009年1月8日
企業の都合で人手の必要に応じて雇った派遣社員、期間従業員、非正規社員を、経営状態が悪化したなどの理由で、必要がなくなれば容赦なく切り捨ててしまう。こんな経営習慣は、アメリカだけの得意技だと思っていたら、終身雇用を建て前の美徳を誇っていた日本の企業まで、最近ではこうした労働力調節を「経済事情に即した」新しい経営方針として踏襲しているようだ。
企業に対する批判や住宅対策問題は、いずれ専門家に任せる。話題は、この寒空に仕事と住まいを失った派遣社員や期間従業員らを支援しようと、NPO法人や労働団体による実行委員会が『派遣村』なる施設を非常救済措置として創ったことだ。この事実は、無為無策の政府や自治体に愛想をつかしている国民に一脈の光明を与えたのではなかろうか。
それに関連して思い起こされるのは、今から134年前、後の小泉八雲ことラフカジオ・ハーン(Lafcadio Hearn)が新聞記者時代に書いた記事『煉瓦の床に寝る』のこと。 その記事で、「貧しき者を扶け、富める者を糾弾すべし」という昔気質なあるジャーナリストの言葉を、ハーンは記者の職務上の金言として胸に畳み込み、上の言葉にある貧富双方の実態を、如実に読者に訴えた記事である。全文をご紹介する。いつの世にも、どこの国でも、「貧困」と「救済」は背中合わせに存在しているようだ。
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1875年 (明治5年) 11月29日
もし、オハイオ州シンシナティ市(Cincinnati, OH: 写真上:1870年代の同市) のキリスト教青年会 (YMCA: Young Men's Christian Association) の人達が、本気でこの世の中を善くしたいという理想を掲げ、他の青年達とその理想を分かち合う気持ちがあるならば、七面鳥の骨をしゃぶったり、無意味な詩を歌ったりするより、もっと世の為になる行動がとれるのではなかろうか。昨夕、ヴァイン通り(Vine Street) の一郭で、彼等がそのような行事を、暖かく明るい燈火の下で、楽しげに暇をつぶしていた頃、警察署本部の倉庫では他の集まりがあった。
「鼻を突っ込んで、そこを覗いてごらんヨ」と、警部の一人が椅子にのぞけり、葉巻を吹かしながら、記者に声をかけてくれた。『そこを』とは中央にストーブが真っ赤に燃えている部屋のことで、およそ20人ほどの男や子供たちが煉瓦の床に雑魚寝していた。ドアを開け閉めする音や、屋外の木枯らしの悲鳴とが入り混じって聞こえる都度、半裸で寝ていた者達は震え上がり、寝返りをうち、もぞもぞと肌を掻きながら、再び眠りに戻っていった。 市庁舎は、一般市民にその扉を開いてはいるが、寝床まで与えようとはしていない。庁内の壁際にはベンチが設置されているが、たちまち誰かに占領され;最初に来た6人ほどがそこに寝てしまうと、遅れて来た者は煉瓦の床に寝ることになる。男や子供たち、10人以上がその部類で;そんな寝床ですら取り損なった不運な連中は街路で寝るしかないが、もしかしたら、留置場の寝床ならありつけるかも知れないと思い付く。いずれにしても皆シラミに取りつかれて惨憺たる体たらくだ。
さほど酷くない風体でその部屋へ入って来た連中でも、 そこを出て行く頃には先住人たちと同じ有様になってしまう。彼等は寝ている間中、ボリボリと体を掻き続けている。イギリスでも貧困者の状態は似たように惨憺たるもので、ロンドンの浮浪者たちが教会の作業所で一夜の仮の宿をとり、翌朝出て行った後にはシラミと泥足の跡が残されている、という話を聞かされた。その教会では、寝場所が与えられる前に、頭から爪の先まで洗い落され、衣類は亜硫酸ガスの上でいぶされ、翌朝出て行く時には朝食が与えられ、それ相当の仕事が課せられる。
我が市庁舎の倉庫に彼等が入ってくる時は、そのボロ服、汚れた体、それに不潔な腫物など、そっくり身に付けたまま;ある者は上着を脱ぎ、丸めて枕にしてベンチの下で寝たり;又ある者は下着以外はそっくり脱ぎ、できるだけストーブの近くに這い寄って寝る。全員入室し終ると、皆で体を寄せ合って横になり、人と人の間には足の踏み場もなくなる。窓もドアも閉め切ってあるので、雑魚寝する大ぜいの体温から発散する臭気が室内に充満し、ストーブの熱でその悪臭は増幅されて立ち昇り、層になって停滞し、さながらイタリア、カンパーニャ平野 (Campagna) のポンティノ湿地 (Pontine marshes) から蒸発する死臭もかくや、と思わせる酷さである。
この連中は、朝になりその日が始まると追い出され、夜になると前の日と同じことが繰り返される。ジョン・ウイットフィールド (John Whitfield) とウォルター・マシュウ (Walter Mattew) が神父の職責を果たすためにその部屋へ行った時、そこへ通じるホールの明りは薄暗く、彼等が説教をした講堂は気味の悪い雰囲気で、まるで、貧民窟か犬小屋の中に立っているような心持ちだった、と言っている。二人が痛感したことは、救われるべき人々が、かえって焦熱地獄に堕ちている、ということだった。
キリスト教青年会の会員たちが、その組織の存在理由を真剣に探究する気持ちがあるなら、貧困の分野に求めるべきであろう。その正しい解答は、彼等が日常生活の一部にしている、ガス燈で明々と照らされた図書室の本棚で探しても見つかるまい;本気で彼ら自身の存在理由を見つける気持ちがあるなら、市庁舎の失意に満ちた倉庫とか、ハモンド街 (Hammond Street) の警察署とか、その類の場所へ行ってみるがよい。彼等が目的を達成する意気込みが本当にあるのなら、小説本や絵新聞を買う替わりに、肘掛け椅子やじゅうたんを新設する替わりに、幹部会員に給料を払ったり、高額な事務所の賃貸料を払ったりする替わりに、そして、こうしたヴァイン通りのYMCAがやっている全ての行事の替わりに、シンシナティの警察署本部の煉瓦の床の上に雑魚寝を余儀なくされている貧困者にベッドを与えるとか、何か救済の方法をとる道があるのではなかろうか。
1 件のコメント:
年毎に、世界中の貧富の差が益々広がっていくように感じるのは気のせいでしょうか?
でも、時に、人々の善意の行動もあることを知って、やや安心します。私もできたら何か世の中の役に立てたら、と思っています。中々実行するのは難しいですね。XYZ
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