2012年8月9日木曜日

アフリカからの長い長い旅

志知 均 (しち ひとし)
2012年7月

少し前、CNNニュースが150人の難民を乗せた船がオーストラリア沖で救助されたと報じていた。この難民は中近東の戦火や飢餓を逃れてオーストラリアに安住の地をもとめた人たちである。このニュースを見ていて、5万年以上昔にやはり中近東から東南アジアへ移動し、オーストラリアへたどり着いたわれわれの祖先の原始人のことに思いをめぐらせた。

ネアンデルタル人
ヒト(Homo sapiens)の起源がアフリカであることは現在広く認められている。類人猿が二本足で歩くようになったのが300万年以上前で進化してH. erectusになった。


ハイデルベルグ人
H. erectusからはヒトのほかにハイデルベルグ人(H. heidelbergensis)ネアンデルタル人(H.neanderthalensis)などいくつかのHomo種が分化したがすべて絶滅している。現在70億人まで増えたヒトも10万年以上前の氷河期には絶滅の危機にあったといわれる。

それが生き延びてどのような道筋をたどって地球全体にひろまったのかの問題には私はかねがね特別興味をもってきた。前世紀の中頃までには考古学者による骨や化石の研究や発掘したものの年代測定からだいたいの道筋はわかっていた。近年になって遺伝子(DNA)研究が進み、現在世界に散在するヒト達の遺伝子(特に母性遺伝するミトコンドリア遺伝子と父性遺伝するY染色体遺伝子)を調べることで考古学的研究を裏ずける証拠がいろいろ見つかってきている。そこで私の想像を加えてヒトがアフリカから出てひろがった道筋をたどってみよう。
考古学者はH. sapiens原始人をほかのHomo種と区別するためAMH(anatomically modern human、解剖学的に近代人)とよぶが、この小文ではヒトで統一する。ヒトがアフリカから移住を始めたのは6万年以上昔である。アフリカのどこから出たかについてはいろいろ可能性があるが、エチオピアから紅海を渡ってイエメンへ行くのが主要経路だったようだ。そこからアラビア半島を北上して現在のイラクに達する。余談になるがこのあたりはよほど住みやすかったのか、ここに落ち着いたヒトの一部は後世(4400年位前)チグリス河とユーフラテス河に囲まれた地域(上の地図の⭕)にメソポタミア文明を開化させた。西に向かったグループも後世(3700年位前)にナイル河流域にエジプト文明を築いた。 

中近東に定住しなかったグループの一部は更に北上して西ヨーロッパロシアへと広がっていきヨーロッパ人の先祖になった(上図のピンクと青い線)。また他のグループはペルシャ湾東岸(現在のイラン)からインドへ入りおそらく海岸沿いにインドを回って東南アジアへ達した(上図の黄色い線)。この移動には小船による海路の航海もあったに違いない。さらに東進してインドネシアを経由し、今から5万年前にはオーストラリアに到達している。東南アジアに定住したヒトの一部はここから北上するのだが、その話をする前にヨーロッパ人の祖先になったヒトのグループのことにふれよう。


ネアンデルタル人の家族
ヒトがアラビアから北上した時、ヒトに遺伝的に最も近縁のネアンデルタル人と接触する。ネアンデルタル人の祖先はヒトと同じようにH.erectusだが、ヨーロッパでネアンデルタル人に進化したようだ。20万年以上ヨーロッパを占拠したが2万8千年前に絶滅した。ヒトよりも体格が大きく寒冷気候に強く、ヒトと同じように火を使って料理をしたり狩猟道具を作っていた。知能(認知能)ヒトと変わらなかったといわれる。最近ネアンデルタル人の全遺伝子が解明された。ヒトのそれと比較してみるとヒトの遺伝子の中にネアンデルタル人の遺伝子が混じっていることがわかった。

現代人のヨーロッパ人アジア人にはネアンデルタル人遺伝子が混じっているがアフリカ人には混じっていない。これは、ヒトがアフリカから出てきた証拠のひとつである。ヒトがヨーロッパにひろがったのが4万年前のことだからネアンデルタル人と一万年以上共存していたことになり、混血がおきても不思議ではない。

アフリカからユーラシアへ
だがどうしてヒトは生き残りネアンデルタル人は絶滅したかについてはよくわからない。3万年位前におきた気象変化では北ヨーロッパ全域が氷につつまれネアンデルタル人は南方への移動を余儀なくされたであろう。そして食料にする動物の狩猟でヒトと戦うこともあったと想像される。南下する間に人口が減り、また環境への適応性、繁殖力、戦力その他の点でヒトより劣っていたためにネアンデルタル人は滅びたのであろう。最近スペイン南端のジブラルタルの洞窟ネアンデルタル人の住居跡や、骨や狩猟道具がみつかった。おそらくヒトから逃れて隠れた最後のネアンデルタル人達であったろうと思われる。家族も同属の仲間も全部死んでたった一人になった最後のネアンデルタル人は地中海に沈む夕日を洞窟からどんな気持ちで眺めたことだろうか。

話をアジアに戻して、インドネシアからフィリピン、アジア大陸東岸を北上したヒトのグループは中国東部、朝鮮半島、日本列島へと広がっていく。中国大陸に定住したグループは後年(3500年ほど前)黄河流域で中国文明を生み出すが、それがエジプト文明の始まりとほぼ同じ時期だったのは興味深い。最近、中国人、韓国人、日本人その他のアジア人研究者が共同して、DNAの解析から上にのべた南方からの経路が、ヒトがアジアへ来た主要経路であったと結論している。
北アメリカから南アメリカへ
(上掲の経路図を参照)中近東から中央アジアを東進した経路が従来考えられてきたが、中国の南部にはヒマラヤ山脈があり、西部にもパキスタンを南北に走る山脈があり、それを越えたとしてもゴビ砂漠があり、この経路は移動が困難だった可能性は高い。

 
さてアジア大陸の東岸を北上したヒトの狩猟グループの一部はシベリアの東端に達する。そして2万年程前の氷河期で海面が100メートルも下がって陸路になった現在のベーリング海峡を歩いて横切り、アラスカ(Yukon)を経てカナダ(Alberta近く)へ到着した。そこからグループの一部はアメリカ大陸を西海岸沿いにおそらく海路と陸路の両方を使って南下し、1万4千年前までにチリの南端(Monte Verde)に達した。グループの他の一部は北アメリカの内部へ広がっていった。

ダ・ヴィンチの『ヒト』
 世界にひろまったヒトの動きの大要はこんなところだが、6万年以上かかった旅を数ページの小文にまとめるのはもともと無理である。説明不足の点も多々あると思うがご容赦願いたい。

締めくくりの代わりに感想を一言。このようにして地球全体にひろまったヒトは人種が違っても遺伝的には99.9%同じであり、遠い昔、絶滅の危機に瀕したことがあったとしたら、現代人はすべて『血縁関係』にあるといえる。それなのに、中近東やアフリカでヒトはお互いに殺し合いを続けているのは嘆かわしい。今世紀の中ごろには世界人口は90億になると予測されている。気象変化が激しくなってきて自然災害が増え食物の生産が人口増加に追いつかなくなるかもしれない。

エネルギーなどの地球資源にも限界がある。その結果、ヒトヒトの殺し合い(戦争)が今より激しくなることは十分ありうる。殺戮兵器が発達した今ではもう手後れで、H.sapiensネアンデルタル人のように滅びてしまうのだろうか?

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

5万年の旅路の果ては?筆者は問いかけています。人類の絶滅を避けることは大事業です。乗り越えなければならない困難な障害が余りにも多過ぎます。