志知 均(しち ひとし)
2012年6月
どこの家庭でも洗面所のクスリ棚(medicine cabinet)の上には胃薬、風邪薬、鎮痛剤など多種多様のクスリが並んでいる。特に老人(シニア)が家族の中にいるとクスリの数が多くなる。医者は対症療法であちこちの身体の故障に合わせてクスリを処方するので、病気がちのシニアは毎日多種類のクスリを飲むことになる。
60才以上のアメリカ人シニアの220万人以上が毎日、血圧や血糖を下げるクスリ,心臓病のクスリ,呼吸系疾患のクスリ,甲状腺ホルモンなど複数のクスリを飲んでいるといわれる。クスリとクスリが『喧嘩(けんか)』して有害な副作用を起こすことがあるが、お互いに連絡がない複数の医者が処方したクスリを多種類のんでいる場合この可能性は高くなる。例えば、利尿剤(thiazide)はインシュリンの血糖降下作用を阻害するし、血栓防止薬 warfarin (coumadin)の作用はアスピリンを併用すると強化される。warfarinは安全濃度の幅が小さいクスリ(narrow therapeutic range [NTR] drugsと呼ばれる)で、血中濃度が25%上がっても危険である。

クスリの効果を決める要因は二つある。即ち、体内に吸収されるかどうか、また吸収された後、どれくらいの時間体内に残るか。
まず吸収について。クスリの吸収にとって重要な小腸や、肝臓、腎臓などの組織の細胞膜にはP-糖蛋白質(P-glycoprotein, P-gpと略す)と呼ばれる蛋白質が存在する。P-gpは細胞へ入ってきたクスリ(異物!)を細胞外へ排出する作用をする。(ガン細胞にもP-gpが存在し、抗ガン剤に対する抵抗性の原因になる。)そこでP-gp阻害剤を併用すればクスリの吸収はよくなるが、併用しているクスリにP-gp阻害作用があることを知らないと大変なことになりうる。例をあげれば、心房細動のクスリdigoxin(上述のNTRの一種)を飲んでいる人が、P-gp阻害作用がある不整脈のクスリquinidineを併用すると心不全を起こし救急病院へかつぎこまれることになる。

クスリの有害効果を受けやすいのは肝臓や腎臓の働きが弱ってきているシニアに限らない。シニアとは違う理由で幼児はクスリの有害作用を受けやすい。授乳している母親はクスリの代謝にかかわる自分の遺伝子に異常がないことを調べてみるのは無駄ではない。その例をあげると、出産前後の痛みを和らげるためにコデイン(codeine)を飲んでいた母親がコデインをモルフィン(morphine:モルヒネ)に代謝するCYP活性が遺伝的に高い体質で母乳にモルフィンを大量分泌していた。それに気がつかず授乳を続けたため新生児を死なせてしまったケースがある。一般に新生児の体内水分量(75%)は成人の体内水分量(65%)より高く(だから柔らかくてぶよぶよしている)、モルフィンなど水溶性の化合物は全身に回るのが早く、反面、体外への排泄がおそい。新生児の脳細胞は成長とともに複雑なシナプスのネットワークを作っていく。その過程で脳細胞の半分が消滅するといわれる。授乳する母親が抗うつ剤その他の神経系のクスリを常用すると、新生児の正常なシナプス形成が阻まれて、ひきつけや発作を起こす可能性が高くなる。さらに、新生児は2才ぐらいまで胃酸分泌が少なく、腎臓のはたらきも成人の半分、免疫系も完全ではないのでクスリを与える場合、特別な注意が必要である。


薬草を含めて食物の中にはクスリの吸収と代謝に影響するものがあるので注意を要する。二、三の例をあげよう。大酒家がTylenolを常用していると、アルコールがCYP活性を高め、Tylenolの主成分のacetaminophenを毒性の高い代謝物に変えるから、そのうちに肝臓を傷める。グレープフルーツその他の柑橘(かんきつ)類やニンニクにはCYP活性を阻害する物質が含まれているので、いろいろなクスリの作用を長引かせる。抗うつ剤(phenelzineなど)を常用している人が、tyramine(アミノ酸の一種)を含むチーズやニシンやアルコール飲料を大量に摂取すると『チーズ反応』といわれる高血圧になることがある。抗うつ剤は、tyramineを代謝する酵素(monoamine oxidase)を阻害するため、体内にたまったtyramineが神経細胞からnorepinephrine(血圧を上げる代謝産物)として分泌されるからである。ワイン・パーテイーの好きな人はご用心!
クスリにそんなに有害性があるならどうしたらいいのか?と読者は問われることであろう。当たり前の答えしかできないが、
- まず、複数の医者にかかっている場合には、飲んでいる処方薬について医者同士で情報交換してもらうこと。
- クスリを購入すると付いてくる紙の要注意の項を読んで理解すること。
- また処方されたクスリが併用しているクスリの吸収(P-gp)や代謝(CYP)に影響することはないか医者や薬剤師に確かめること。
などでクスリの有害副作用はかなり防げると思う。
結論として、病状がひどくなければ、クスリはなるべく飲まないほうがよい!