2011年4月21日木曜日

われ痛む 故に われ在り

志知 均(しち ひとし)
2011年4月

ギリシャの哲学者、アリストテレス(Aristotle:374B.C.-322B.C.;左の彫刻)は『痛み』は一種の感情だと言った。注射が嫌いな人は注射針が肌に触っただけで痛いと感ずるのはその例かもしれないが、針が刺さればやはり痛いのは事実である。

痛みを詩にしたアメリカの稀有な詩人、エミリー・デイッキンソン(Emily Dickinson:1830-1886:右の写真)は痛みに襲われた時の思いを次のようにうたっている。

痛みの時間は鉛のように重く、過ぎた後の記憶は、凍える人が、雪の-----冷たさ、無感覚、そしてそれが過ぎ去るのを待った記憶と同じようなもの(This is the hour of lead / Remembered if outlived / As freezing persons recollect / The snow- / First chill, then stupor, then / The letting go.)。(After Great Pain A Formal Feeling Comesより)

痛みは大別すると二種類ある。ひとつは傷が治れば消える痛み。もうひとつは傷が治った後でも続く慢性痛で、よい治療法がなく苦しむ人が多い。アメリカ人の4分の1(特に女性)が何らかの慢性痛をもっているといわれる!

17世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者、デカルト(Rene Descartes:1596-1650:左図)「傷の痛みは、傷口からロープを伝って頭に達し、そこでベルを鳴らすことによって生ずる」と考えた。たしかに痛みは体の損傷を告げる警鐘であることは間違いない。デカルトの考えは基本的には現在でも正しいが、痛みのメカニズムは、もちろんそれほど単純ではない。

判り難くて『頭痛』が起きるかもしれないが以下に説明しよう。


現在の通説によれば、痛みの成立過程は三つに別けられる。われわれのからだ全体(皮膚も内臓も)には、痛みを生ずる刺激(noxious stimuli)を感知する神経細胞(nocireceptorsと呼ばれる)が存在している。(
nocireceptorsは寒冷による刺激、酸などの化学物資による刺激、圧力などの物理的刺激、それに炎症因子による刺激などを感知する多種類の神経細胞の総称である。)

nocireceptors細胞の一端は伸びていて皮膚などの組織細胞に接し、他端は脊髄の神経細胞にシナプスしている。 例えば足の指を怪我すると、そのメッセージはnocireceptorsに感知され、脊髄の神経細胞へ伝えられる。これが第一過程

第二過程では怪我のメッセージは脊髄から脳へ送られる。

メッセージは第三過程視床(thalamus)を経て大脳皮質(cerebral cortex)に到り、痛覚を形成する。

その後にメッセージ逆行の過程(第四過程)があって、大脳前頭葉皮質(frontal cortex)その他の部分から脊髄
神経細胞へ抑制メッセージが送られ、nocireceptorsからの痛み刺激のメッセージが脳へ来ないようにする。そのおかげで傷口の痛みはやわらいでいく。

この痛みのメカニズムは外傷でも内傷でもおなじであり、第一、第二、第三過程のどれかを阻止すれば痛みは止まる。例えば、虫歯を抜く時注射するノボケイン(novocain)やリドケイン(lidocaine)は第一過程の初めにある『傷口』の神経細胞を麻痺させる。

第二過程で痛みを止める例は、産婦の脊椎にモルヒネ(morphine)を注射して(spinal blockと呼ぶ)分娩の痛みを和らげる場合で、意識ははっきりしているから産婦は新生児の産声を聞くことができる。

Bold
全身麻酔(general anesthetics)は第三過程における大脳皮質の情報処理を阻止して痛みを止める。

痛みのメカニズムの主役は上述のように
nocireceptors神経細胞、脊髄神経細胞、それに大脳神経細胞だが、最近、神経細胞を取り巻いてそのはたらきを助けるグリア(glia)細胞が注目されてきている。傷で組織の神経細胞が痛められると、グリア細胞は神経細胞増殖因子や、病菌感染を防ぐ免疫細胞を召集する因子などを分泌する。

通常はこの活性化状態は第四過程によって次第に沈静化する。
しかし、どこかで調節が狂って活性化状態がいつまでも続いたり、痛みの刺激がないのに脊髄細胞がメッセージを脳に送ったりすると、脊椎痛(back pain)、偏頭痛(migraine headache)、繊維筋肉痛(fibromyalgia)などの慢性痛がはじまる。

詳細は省くが、グリア細胞が痛みのメカニズムの全過程で『活性化状態』の調節や慢性痛の発現に重要な働きをすることが判ってきた。したがって、神経細胞だけでなくグリア細胞をターゲットにした慢性痛の新薬が開発されるのが待たれる。


非ステロイド抗炎症剤(タイラノール;Tylenol, アスピリン;Aspirin, アイブプロフェン;Ibuprofenなど)を始め、色々な薬を試しても慢性痛が治らない人は、マッサージや針灸などの治療にすがることになる。これらの治療は、メカニズムはよく判らないが鎮痛効果があることは確かである。痛いところがあると、われわれはそこへ手をあてる。手で触れるだけで血中コルチゾールが下がり、ストレス痛が和らぐという。マッサージにはそうした効果も含まれているであろう。針や灸には大脳からのエンドルフィン(細胞が作るアヘン様ペプチド)の分泌を高める効果がある。

物理療法としては、磁波療法(transmagnetic stimulation)がある。これは磁波を頭に当てて、痛みに関係する脳神経回路を変換させる(remapping)治療法である。

また脊髄刺激療法(spinal-cord stimulation:左図)は小型発信器を背中の皮下に取り付け、痛みに関与する脊髄神経細胞へ電気刺激を送って痛みのメッセージを抑える治療法である。痛みの治療法としてはこれらは最後の手段に近い。
デカルトが痛みのメカニズムに興味をもったのは、何かの慢性痛を持っていたからかもしれない。そして、“cogito ergo sum"と書きながら「われ痛む 故に われ在り」と言ったかも、、、。

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

人間の体の組織は複雑にして繊細、大事に使えば長持ちするであろう。